第9話 電源は切らないで

「おー、田舎娘」

「久しぶりなのに嫌な挨拶だなぁ」

 満里奈は、ほんとのことだしー、と笑った。

 確かにわたしはオジサンを釣ろうと思ってたのでノースリーブのワンピとか、ミニスカとかおかしな服ばかり持ち出していて、まともなそうな服と言ったらやっぱりこのTシャツワンピになった。

 なんて役に立つ服。

 肩からお財布とスマホの入ったバッグを提げて、駅前の改札出て一番目に付くところで待ってた。

 漠然とした目標地点だったのに、満里奈はきちんとやって来た。

「暑いー! アイスでも食べたい」

「ひとのこと拗らせとか言った割に、いきなり子供っぽいなぁ」

「えー、満里奈、我慢キライ」

 かわいい顔をする。こういうヤツが待ちとかに向いてるんだよ。二人でいっそやればよかった。


 駅ビルの中のファーストフードの店はそこそこ混んでいて、先に座席を取る。夏限定のヨーグルト味のシェイクがどうしても飲みたいと満里奈は言って、ここに辿りついた。

 まぁ、決まらないであちこち歩き回るよりずっといい。冷房が火照った体を冷やす。

「ていうか、アンタ昨日、倒れたんだって? フラフラ歩いててもいいわけ?」

「倒れたって言ったってただの熱中症だし」

 満里奈はムッとした顔をして、縁にかわいいカットワークの入った黒い日傘をわたしに差し出した。

「舐めんなよ、熱中症。死ねるよ」

「高そうな傘、いいよ。似合わないし」

「あげるって言ってないよ、貸すだけ。わたし、家にスペアもあるから」

 ズズッと音を立ててシェイクを吸うと、満里奈はそう言った。


 前髪も伸ばした長い髪の満里奈は、今日の暑さには流石に耐えられなかったのか、髪をまとめていた。日に透けるオレンジ色の髪をぐるぐると捻って、かんざし一本で留めてある、雑なわたしが絶対にできないヤツ。色気。

 わたしなんかあまりに暑くて後ろにひとつにギュッと結んできた。シャレッ気はない。ピンさえ留めていない。

 オシャレなヤツっているよなと思ってたけど、こっちに越してきたら、本当のオシャレっていうのは違うんだな、と驚いた。

 わたしの思ってたオシャレは一般的で、こっちではみんな個性的なオシャレを楽しんでいる。


「暑いからここ出たらショッピングでもしようよ」

「お金ない」

「それは嘘でしょう? アンタって、貧しい感じしないもん」

「なんでそんなこと言えんのよ」

 満里奈はポテトも食べたいなぁ、と隣の席を見て呟いた。

 隣の席はカップルで、四人がけの席なのにわざわざ同じソファに座って、指を絡ませていた。

 恋人繋ぎかよ。

 ケッと思う。

 あの繋ぎ方じゃなにも食えないじゃん。

「なにガン見してんの? マジで男日照り?」

「そんなんじゃないよ。地元に彼氏、いるもん」

 本当かな?

 自分でもなかなか勇気のいる答えだった。声が震えそうな。まるで嘘をついているような。


 ポテト買ってくる、と満里奈はカウンターに向かった。

 はぁ、と大きなため息が出る。

 すごく緊張した。


 そっと悪いことをするような心持ちで、スマホを開ける。

 緑色のアイコンをタップする。

 トーク画面の、何度もやり取りしたそのアイコンは、いつも海の写真だった。

 特別なところはなにもない、砂浜と海。

 海岸線はどこまでも続いていそうだ。見る度に少し胸の奥が掴まれる。

 サクラさんが最近、気まぐれで飼い始めた猫の写真とかじゃダメなのかな?

 そのアイコンのトーク画面が開けない。たったワンタップなのに。最後のメッセージだけ表示されてる。

『迎えに行くよ』

 どこによ、と思う。

 昔みたいに自転車で来られるような近くにいてくれないくせに。

 だから徒に『逢いに来て』なんて言えない。

 きっと来ちゃう。

 例え遠くても。例え新しい女の子がいても。

 変に血が繋がってるからだ。

 罪作りな男。


「なぁに見てんの?」

 ポテトを乗せたトレイを持って、満里奈は戻ってきた。わたしはクラウドに上げてあるアキの写真を見ていた。寂しさに完敗だった。

 すっかり成長したアキに、複雑な気持ちを抱いていた。

「イケメン!? アンタってイケメン好きなの?」

「いや、勝手にイケメンに育ったから」

「誰よこれ」

「えーと⋯⋯」

 今となっては『彼氏』とは軽々しく呼べなかった。彼氏っていうのはもっと、近い存在だ。

 文通するみたいなスピードで、メッセージのやり取りをしたりしないだろう。例え遠恋だとしても。

 また、現実という壁にぶち当たる。

「えーと、従兄弟。一つ下。競争率高いよ」

「へぇ、従兄弟なの。確かに競争率高そう。でもやっぱりアンタと似てるところがあるね」

「⋯⋯どこ?」

「ほら、鼻筋とか瞳の色とか、口角の上がり具合とかさ」

「⋯⋯そうかな?」

「似てると思うよ。イケメンの従兄弟かぁ。まぁ、アンタもよく見るとキレイな顔してるしね」

 硬直する。この子、なに言ってんだろう?

 今すぐパウダールームで確認した方がいい気がしてきた。


 しなった長いボテトを一本摘んで、ゆらゆらさせながら満里奈は話を続けた。

「自覚ゼロだよね」

「へ?」

「わかりやすいヤツも近くにいるのにさ」

 まぁ食べなよ、とわたしにポテトを勧めると、満里奈は最後のシェイクをズズッと吸った。


 涼しければなんでもいいよ、と言うのでプラネタリウムに誘ったら、満里奈はお腹を抱えて笑った。

 サークル活動の一環じゃん、と。

「サークルの夏合宿よりよっぽどマトモな活動だわ」

 確かに眠れるほど涼しいよね、と彼女の足もプラネタリウムに向かう。

 待っている間、通路に今月の星座早見表が置いてあり、一部もらう。

 アキと来た時にもらったものは引っ越しの時にたぶん、誤って捨ててしまった。あの時はただ、星空にも圧倒されたけど、普段は十三歳の男の子のアキが、デートなるものにわたしを誘ったということ、それに感激してしまい、ドームいっぱいの星空よりもアキとのデートに圧倒されてしまった。

 若かった。

 もう一度、一緒に来ることがあったら、同じ気持ちで観られるのかな? そんな疑問が頭をもたげる。


 プラチナの散りばめられたような星空は隅々まで変わることなく美しく、わたしを無重力空間へ運ぶ。

 不思議な浮遊感。

 伸ばした手を捕まえてくれるのは誰?

 そのまま――そのまま離さないで。


「千遥!」

「はいっ!」

「まさかとは思ったけど、誘った方が寝る?」

「⋯⋯あ、ごめん、寝てた?」

「結構いい感じにね。⋯⋯まぁ、男だったら許さないけどいいわ。会った時から冴えない顔してたし。よく寝られたの?」

「うん」

 ⋯⋯とても。

 思えば恭司がどんなにいい人でも、知り合ったばかりの人の家ではよく寝られなくてそれは当たり前のことかもと思う。

 よく知らない男の家で熟睡もどうかと思うけど。


「ねぇ、悪いこと言わないからさ」

「ん?」

 満里奈は珍しく困った顔をした。

 即決即断、自分最高人間の彼女が、だ。

 悩んでいる姿を見るのは初めてかもしれない。

「男のところに転がり込んでるんでしょ? 余計なお世話だっていうのはわかってんだけど、やめなよ。自分がすり減るよ」

「あー」

 航太か。

 アイツなんでも喋るんだな。

 恭司は親戚だって言ったのに。なんで尾ヒレついてんのよ。


「大丈夫、うち、休み中もママは仕事でいないから暇でさ。それで親戚のね、オジサンて言うにはまだちょっと若いんだけど、その人のところに泊めてもらってるだけ。うちより交通の便がいいから遊びに行くのに丁度いいんだよね。オジサンも仕事で昼間いないし」

「⋯⋯ふぅん? 遊び歩くようなタイプでもあるまいし。まぁ、プライバシーがあるからあんまり言いたくないけど、わたしたちだっていつでも危険と隣合わせなんだよ」

 やけに鬼気迫る声で、満里奈はそう言った。

 つまり危険なのはあの夜のナンパやパパ活であって、恭司は。

 恭司は無害、というよりすごく良くしてくれるけどなぁ。

 こういう思考回路だから騙されやすいとか?

 恭司に騙されている。可能性はゼロじゃないかもしれない。でもずいぶん良くしてもらったし、多少のことはWin-Winなんじゃないかな。


「心配ありがとう。大丈夫だよ。オジサンの作ったおいなりさん、めちゃくちゃ美味しいから今度作る時、満里奈もおいでよ」

 満里奈はププッと笑った。

「自分で作るんじゃないの? 作るのはオジサンなの? それって結構ウケるんだけど、オジサン幾つよ?」

「⋯⋯二十八」

「アラサーか、なるほど。アンタを泊めてくれるってことは彼女ナシかな。婚活の邪魔はしないように」

「婚活」

 スーツ姿の恭司のことを思い出して、ププッと今度はわたしが笑う。あのスタイルで迫られたら迫力ありすぎ。

 大抵の事は「うん」と相手も頷くだろう。

 それともラフな格好で⋯⋯あのTシャツ姿は偽姪っ子のわたしとしても、勘弁してほしいところだよね。


「なんかあったらまた連絡してよ。知らないうちにニュースになるみたいなのはやめてよね」

「ないない。実のオジサンだしさぁ」

「油断大敵。それから、心配するからさ、スマホの着信は無視してもいいけど、電源は切らないで」

 そう言ったじゃん彼女は、すごく大切な友人のように見えた。

 付き合いも浅く、お互いのことは知らないことの方が多いのに。

「うん、また連絡するよ」

 不思議な感覚にドキドキしながら、わたしは満里奈とじゃあねと別れた。

 駅前のスクランブルはいつもと同じく混雑してて、慣れたはずなのに、誰かの肩にぶつかる。

 ⋯⋯馴染んでるかな、この街に、わたし。

 大切なものはみんな、過去に置いてきてしまったような、そんな気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る