黒くて白くて赤いもの

夏目 棗

SS

 職場近くの喫煙所で出会ったその黒ギャルは初対面からひどく馴れ馴れしかった。


 でも、飾らないあけすけな物言いと、意外にも含蓄深い名迷言の数々に僕は次第に喫煙所通いを楽しみにするようになっていた。

 僕から半ば無理やり奪った名刺から知った下の名でこちらを呼び捨てる彼女だけれど、僕には未だ自分の苗字すら教えてくれない。


 今日も今日とて制限人数2名の喫煙所に彼女は長々と居座っていた。先客のサラリーマン数名が一人ずつ入っては退出するのを待ち、吸殻入れを挟んだ隣へと滑り込むと彼女曰く時代遅れな紙巻きタバコを取り出す。


 今日こそはテコでも名前を聞き出すという不退転の決意とともに、タバコの先に火を灯す。


「のぞむ、今日遅かったじゃん」

「こんなご時世でも毎日定時上がりできる訳じゃないんだよ」


 いつもと変わりない、とりとめのないやり取りをしながら肺に一旦落とした煙を天井の換気扇に向けてくゆらす。同じ喫煙者だが、カートリッジ式の電子タバコを愛用する彼女に自分の紙巻きタバコの紫煙を纏わせるのは気が引けて、タバコの先を換気扇へと近付けていると、気もそぞろに彼女がふぅんと相槌を打って、妙な間ができる。

 好機到来とばかりに本題を切り出す。


「前も訊いたんだけどさ……」



 案の定、いい加減名前くらい名乗れよの言葉に「個人情報なんですけどー」と、いつも通り難色を示す彼女だったが、今日ばかりは譲れない。


 いつになく食い下がる僕に、彼女はくどいとばかりにそろそろ充電切れサインの点いた電子タバコの先を突きつける。一体いつから居座っていたのか。


「なんなの。のぞむ、今日ほんっとしつこくない?」


 睨めつけてくる彼女だが、怯んではいられない。

 フィルターを残して消し炭になったタバコを吸殻入れへと押し込み、腹を括る。


「今日ばかりは名乗って貰わんことには話が進まん」

「だからなんで!?」


 充電切れサインはとうに消えた電子タバコ越しに頭一つ低い彼女を見据える。


「今から告る相手の名前も知らんとかありえんだろうが」


 まだまだ反駁を続けようとしていた彼女の動きがピタリと止まる。ぱちくりと瞬く瞳はまるで彼女の充電切れを報せているみたいにも見えた。


 やらかした気はしたが後にも引けず、フリーズしつつある彼女に畳み掛ける。


「理解したか? で、名前は」

「ま………………」


 いつもは愉快げに口角を上げた整った唇を、いまは酸素を求める金魚みたいにぱくぱくさせていた彼女から絞り出すような声が漏れた。


「……ま?」

「…………しろ」


 思わず問い返した声に被さるように再び彼女がボソリと呟いた声は聞き取れなくて、もう一度を促すように顔を見つめ返す。


「……ましろ」


 てっきり、マジうけられるのかと身構えたのだが、ぽそりと彼女が吐き出した三文字に今度はこちらが瞳をしばたくと、気まずげにした彼女に視線を斜にそらされる。


「それ、名前?」


 やにわに静かになった彼女はコクリと頷く。


「………上の?」


 珍しくはあるが無くもない苗字だと思ったのも束の間、彼女は今度はプルプルと首を横に振った。


「あー……下か。ましろ……サンね。ひらがな?」


 予想外の展開に、自分が今日何を告げるつもりで喫煙所を訪れたかの主旨から逸脱し始めている気もしたが、どうにも気になった疑問が口を衝いてでる。


「ま………真っ白って書いて………ましろ」


 そっぽを向いたまま、手の中の電子タバコを所在無さげに弄ぶ、誰がどう見ても黒ギャルの彼女。


「真っ白……ね。ははぁ……」


 頑なに名乗らなかった理由に思い当たって、したりと内心頷く。


「だから言いたくなかった……のに。…………ってか、もう言ったんだから、そっちの番でしょ!」


 持ち直したのか、噛みつかんばかりにキッと睨みつけてくる彼女だったけれど、本人がひた隠しにしたがる愛らしい名前を知ってしまった今ばかりはいつもの凄みは微塵も感じられなくて、思わず笑ってしまいそうだった。


「こっちの番?」

「なっ……まさか冗談だったとか抜かしたら、マジ根性焼きしてやるから」


 残念ながら非加熱式だし、とっくに充電切れの電子タバコを命綱よろしく握りしめた彼女の狼狽えっぷりが面白くて、もう少しからかいたい気もしたけれど、かぶりを振る。


「まさか。……あなたが好きです。結婚も視野に入れて、お付き合いして貰えませんか」


 いつもは飄々として余裕たっぷりなのに、いまは両手に握りしめた電子タバコを抱えるようにして俯いた彼女の答えを待っていると、胸元から解かれた片手がおずおずと差し出される。


「も…………もうひとこえ」


 俯いたままの彼女が小さく絞り出した声。

 突き出す拳からピっと立てた人差し指が僅かに震えていた。


「他の誰でもない、あなたがいいんです。好きです、真白さんが」


 まるで永遠みたいな沈黙。

 天井の換気扇の音がうるさい。


 心臓の叩く早鐘の音で鼓膜が破れそうだとくらくらしかけた頃、彼女は小さく頷いてぽそりと呟いた。


「不意打ちされたのだけが遺憾だけど……」


 喫煙所で出会った黒ギャルの真白さん。

 いまは真っ赤に俯いた真白さん。

 込み上げる感情に思わず伸ばしかけた指先は硬質的な音に遮られてピタリと止まる。


「あのー………もうそろそろ代わって貰っていい……………ですかね?」


 喫煙所のガラス囲いをノックして困ったような表情をした初老の男性を先頭に、数人の男女がやはり気まずそうにそっぽを向いて並んでいて、僕と真白さんは先を争うようにして喫煙所を後にした。




「あー……もー……あそこもう使えないじゃん、最悪、恥ずかしすぎる」


 ぶつくさとごちながら隣を歩く真白さんに「そうだね」と相槌を打ちながらも、僕はあの喫煙所を失った事実は割とどうでもよく思っていたりした。

 あの喫煙所でなければ困る理由はもうない。


「とりあえず飲も。今日は割り勘ね、今日は」

「………そういえばさ」


 明るく染めた髪をわしゃわしゃとかき混ぜ歩く真白さんに、ふと思いついて話しかける。


「僕の苗字なんだけどさ……」


 ツ……と、立ち止まった真白さんは、油のきれたブリキ人形よろしく首を回してこちらを睨む。


「だから…………余計に言いたくなかったのに」




 あれから丁度3年経った今日、僕と真白さんは籍を入れる。

 相変わらずの黒ギャルで、名前も無邪気さも真っ白な真白さんは、益々名乗りにくいと口ではかなり僕の苗字を名乗ることにごねてみせた。それなら僕が真白さんの苗字を名乗ると申し出ると、それは即座に却下された。


 そういえば、3年前のあの日。

 確か真白さんは「だから余計に……」と言っていなかったっけ。

 それってつまり………真白さんは……最初から。


のぞむ、窓口空いたよ。ぼっとしてないで行こ」


 

 市役所の待合ベンチで記憶の淵に沈みかけたところに声がかかって思考は中断された。


 まあいいか。

 3年前のあの日からも、今日から終の日までも彼女は僕の隣に、僕は彼女の隣に居ることを望むのだから。

 それでいいじゃないか。


 手を引かれながら立ち上がり、僕は今日から”雪原ゆきはら 真白ましろ”さんになる彼女と並んで歩き始めた。



 ―fin―

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黒くて白くて赤いもの 夏目 棗 @na2me_9

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