月光の庭、白磁の閨(ねや)

朧(oboro)

月光の庭

 困ったことになりました、と。

 濡れ縁に立ち眉尻を下げて笑う兄の体は、確かに月光を透かしていた。


 兄とは言っても血の繋がりは多くて半分というところだった。

 父が十九、当主の座を継がないどころかまだ大学も出ない先から芸者に産ませた子。父は本気でその芸者と一緒になるつもりだったそうだが当然の如く祖父を始めとする親戚一同から大反対を浴び、そうこうしているうちに月足らずで兄は生まれ、芸者はそのまま亡くなった。引き取る引き取らないでまた悶着はあったそうだが、一応は――本当のところはわかったものではないが一応は――直系の男子である、ということで兄は当家の養子となった。


 くだらない、と思う。

 ああ、全くもってくだらない話だ。


 なにしろそれから十九年後、私を産んだ母親も元は芸者であったからだ。


 我が父ながら唾棄すべき愚行を重ねたものだとは思うが、兄の時と違ったのは父が既に家督を継いでいたため有無を言わさなかったこと、私は十月十日を待って生まれたため婚礼が間に合ったことだった。


 先に生まれたが形式上は庶子である兄。

 後に生まれたが形式上は嫡子である弟。


 父が重ねて愚かなのはどちらが後継ぎかを決めないまま年月を重ねたことだった。どちらが家を継ぐに相応ふさわしいか親戚連中は揉めに揉めたがもうその心配もない。


 文机に置かれた真新しい骨壷。

 兄は今やその中に収まっていた。


 足を滑らせたものか飛び込んだのかは今に至っても有耶無耶なままだが、引き揚げが早かったのが幸いしてか疏水で溺れ死んだ兄は割合にきれいな顔をしていた。なるほど九相図とやらが作られる理由もわかる――などと。駆けつけた時には場違いなことが頭をよぎったほどだった。それも、骨になってしまえば儚いものだが。


 骨壷と向き合って端座した喪服の膝で握る拳が震えていることに気づき、意識して緩めた。骨となった兄は生前――といってもほんの数日前までなのだ――寝起きしていた離れへ仰々しく運び込まれたが、離れへ残ったのは私一人だった。使用人の一人が遠慮がちに夕食を知らせに来たが不要の旨だけ伝えて帰した。兄に言いたいことがあった。言ってやりたいことが山のようにあった。けれど一言も口に出来ないまま日は沈み月が昇った。月が――


 ふと。

 膝頭のあたりを何かが滑った気がした。

 影ではない。もっとおぼろなものだ。

 はっとして濡れ縁の方を見る。雨戸のことなど気が回らず、障子だけを閉めたそこに、影より曖昧な何かの輪郭が揺れていた。

 き動かされるように立ち上がり障子を開け放つ。そこには。


「……兄、様」


 生前の姿のままの、兄が。


「……おや、見えますか、君には」


 いや、生前そのままではなく。


「なんと言いますか……困ったことになりました」


 月光を透かして半透明の、兄の幽霊がそこに居た。

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