ほんの宝の持ち腐れ

そうざ

Just a Useless Treasure

 二人は薄暗い空間に居た。

 高い位置に開いた窓から初夏の陽射しが差し込む。それがなければとても堪えられない陰気な場所だった。まさかこんな所に案内されると思っていなかったタツキは、早くも帰りたい気持ちで一杯だった。

 そんな事は露知らず、カラタは目の前に積まれたガラクタの山の中でごそごそと何かを探している。


 数時間前、昼休みの教室、机の上に様々な宝物が鏤められていた。

 ビー玉、お弾き、面子、お手玉、酒蓋、王冠、貝殻、小石等々、皆がそれぞれ自慢の宝物を披露する中、タツキは一冊のノートを提示した。

 怪訝そうな級友達を一通り見回した後、タツキは徐にノートを開いて見せた。色取り取りの服を纏った外国人の写真が現れた。外国のファッション雑誌から切り抜いたものらしく、それが全てきちんと整理された状態で貼り付けられているのだった。

 女の子達は一斉に黄色い声を上げ、男の子達は静かに感嘆の溜息を吐いた。

 誰もがタツキを特別な目で見ていた。それは異端視ではなく、羨望の眼差しだった。タツキの遣る事成す事が大人という単語を連想させ、皆を平伏せさる程の威力を持っていた。そこに更なる説得力を与えているのが、容姿だった。タツキは可憐さと凛々しさを併せ持ち、映画女優が将来の夢と公言するのに値する端麗な少女だった。

 タツキにとって、話題の中心になる事はこの上のない至福だった。まるで級友の全てが唯々自分を崇め称え、自分の優位を際立たせる為に存在しているかのような、支配的な愉悦を覚えていた。

 そんなタツキを、皆の輪に加わらず遠巻きに見ているのがカラタだった。

 放課後、下駄箱の前で友達という名の取り巻き達を待っていたタツキは、不意にカラタに声を掛けられた。

「僕の宝物を見に来ない……?」

 カラタは、今にも泣き出しそうな表情で学らんの裾を握り締めている。考えに考えた挙げ句、意を決し、やっとの事で話し掛けたという面持ちだ。

 タツキは、カラタが自分に気がある事を薄々勘付いていた。そもそも、男の子達は誰も彼も自分をそういう目で見ている事を悟っていた。自分が可愛い事を自覚していた。

 対するカラタと言えば、背の順の最前列、ひょろっとした薄い体躯に青白い坊主顔を載せている、学級では目立たない部類の子だった。当然のように友達は少なく、授業が終ると決まって一人そそくさと家路を急ぐ。その卑屈な姿は、痛々しい程だった。

 そんなカラタが、高嶺の花であるタツキに初めて話し掛けた。しかも、家に招待するというのである。タツキは、身の程知らずも甚だしいという感想以前に、あり得ない事態を受け止め兼ねていた。

 しかし、誘っておきながら視線さえ合わせられないカラタに、タツキははっきりとこう答えたのだった。

「良いよ。遊びに行ってあげる」


 カラタがガラクタを弄り回す度に無数の埃が舞い上がるのがはっきり判り、タツキは慌てて口元を押さえた。

 襟に花柄の刺繍を施した白いブラウスも、朱色の吊りスカートも、襞飾りをあしらったソックスも、尾錠の付いた皮靴も、全てタツキのお気に入りだった。こんな時に限ってお気に入りばかり身に付けている事が、一層タツキの後悔を色濃いものにしていた。

 カラタの家に遊びに行った者など学級には一人も居ない。タツキは、カラタの末生うらなり然とした雰囲気から、その住居はさぞかし貧乏臭いものだろうと想像していた。カラタの貧乏振りを我が眼で検分し、面白可笑しく学級で報告すれば、美貌だけでなく、恰好の笑い話を提供する情報発信元の地位をも獲得出来る――それがタツキの目論みだった。

 ところが、カラタの家は屋敷と呼ぶに相応しい立派なものだった。屋敷正面に構えられた大きな棟門や、その左右に続く白く長い塗り塀だけでもタツキは圧倒された。しつらえこそ年季が入っているものの、かつては武家か豪農か、何れにしろ歴史のある旧家に違いなかった。

 自分の事をそこそこ裕福な家庭のお嬢様と自負していたタツキは内心、動揺していた。まるで、劣等感を味わう為にのこのことやって来てしまったかのようで、堪らなく悔しかった。

 カラタは脇門を使わず、無言のまま塀に沿ってタツキを誘導し、やがて裏手に小さな通用門が見えると、そこから中へと招き入れた。

 敷地内は鬱蒼と庭木が生え茂り、森の中に踏み込むような印象を与えた。この時点で、タツキはもう劣等感さえ忘れ、感動にも似た気分に浮き立っていた。

 から銀いぶし瓦の列なりが見え、タツキに更なる期待を抱かせた。門構えや庭だけでもこんなに立派なのだから、屋敷内はさぞかし高価なお宝で溢れているに違いない。明日は別の意味で級友に驚きの話題を提供する事になる――タツキは興奮を噛み締めていた。

 しかし、カラタは母屋らしき建物を素通りし、奥にひっそりと鎮座する土蔵に直行した。勿論、土蔵も大きく立派なものだったが、くすんだ外壁と言い、錆色の鉄格子が嵌った入り口の引き戸と言い、全体から陰鬱な臭味が漂っていた。

 カラタは、タツキの不安そうな表情には目も呉れず、慣れた手付きで入口の鍵を開け、重たい引き戸を押し開けた。明らかに外気と違う澱んた熱気と共に、噎せ返るような黴の臭いが吹き出し、タツキは思わず息を止めた。

 カラタは、タツキに疑問を差し挟む隙を与えず、普段とは違うきびきびとした立ち振る舞いで中へ入って行ってしまった。タツキの足は地面に貼り付いたかのように進まない。恐る恐る中を覗くと、内壁は真っ黒に塗り潰されていて、地の底へと続く洞窟を連想させた。

 土蔵の奥からカラタが呼び掛ける。

「どうしたの?」

 その言葉の裏に、学校では偉そうにしている癖に怖いのか、という含みを勝手に嗅ぎ取ったタツキは、否が応にも足を進めるしかなかった。


 タツキは、カラタが次々と運び出して来る埃塗れの我楽多がらくたを何とはなしに見回した。針が曲がった掛け時計、縁の欠けたランプ、ボタンやダイヤルが紛失したラジオ、農作業に使うらしい名も知らぬ木製の道具、何やらメーターの付いた用途不明の器械等々、その全てが汚らしく思え、タツキは自然と小鼻に皺を溜めた。

「ねぇ……さっきから何してんの?」

 タツキの問い掛けが聞こえないのか、作業に没頭しているのか、カラタは黙々と我楽多の山を動かしている。

 タツキは思った――女の子を誘っておきながらこんな埃っぽい場所で放ったらかしにするなんて、無神経にも程がある。

 タツキは普段から周囲の男達を観察するに付け、つくづく感じる事があった。男は何かに夢中になると周りが見えなくなってしまう。高価な皿や壷に自室を占領されている父親、何処ぞの未亡人に熱を上げて離婚の危機にある伯父、学業を其方退そっちのけで模型飛行機を弄っている書生、木登りの高さを競い合う悪餓鬼共。一旦そうなってしまった男に何を言っても無駄だ。将来、結婚の相手には充分に気を付けなければならない――そう肝に銘じている。

 カラタに世間の男達と同じ気質を感じ取ったタツキが黙って帰ろうとした時、あった、という微かな声がした。

 闇の中から現れたらカラタは、大きな木箱を抱えていた。それを床に置いた、というよりは落としたと表現する方が似つかわしい動作で鈍い音を響かせた。

「何……?」

「……宝箱」

 木製のその箱は、如何にも年代ものらしい頑丈そうな作りだった。角の部分に黒い金具が鋲で取り付けられ、真ん中には黒々とした南京錠がぶら下がっている。

 宝箱というからには、中に宝物が入っている事になる。

 どうやらカラタは、昼休みの宝物自慢に参加したかったらしい。が、こんな大きな物を学校に持って来られる筈もない。

「どうして私に見せたいの?」

 唇の端に微かな笑みを作るタツキに、カラタは箱の埃を拭うばかりで何も答えない。だが、タツキはそれ以上、問い質そうとはしなかった。タツキは、好いた女の子にだけ宝物を見せたかったカラタの心情と、内気さ故にその心情を素直に吐露出来ない葛藤とを見越し、敢えて意地悪く遠回しに問うてみたのだった。

 カラタは、薄暗がりの中でもはっきりと判る赤い顔を誤魔化すように、ズボンのポケットから鈍い光りを放つ黄土色の鍵を取り出した。

「待って!」

 突然、声を大きくしたタツキの顔を、カラタは初めて真面まともに見詰めた。

「私、中に何が入ってるのか当ててみたい。何か手掛かりを頂戴」

 勝手に当て物にしておきながらいきなりヒントを求める高慢さを見せ付け、タツキはたちまち主導権を取り返した。

「高価でしょ? 宝石とか、珊瑚玉とか、真珠とか、金塊……あっ、小判っ?!」

「値段が……付けられない物」

 箱を開けた途端に眩い光が一面に溢れ出すという、タツキが最も期待していた光景は消え失せた。外国の最新デザインのドレス、ソックス、ネッカチーフ、ベルト、ペチコート、靴、手袋、ポシェット――憧れでありながら値段の事など想像も付かないファッションのイメージが止め処なくタツキの脳裏に湧いて来る。とは言え、そんな素敵な品々がこんな汚い土蔵の古びた箱に仕舞われている訳がない、そもそもそんな物品がカラタの宝物である筈もない。

 カラタの佇まいからあれこれと想像する内に、曖昧模糊としていた像が或る形状に結実した。途端にタツキの総身にぞわぞわと悪寒が走り、小さな悲鳴がタツキの喉元にまで込み上げそうになった。

 男の数ある理解不能な趣味の中で、最も嫌悪すべきもの――何故、あんな物がこの世に存在しなければならないのか。全く存在価値のない、寧ろ害を及ぼすばかり――幾度そう思ったか知れない。それでいて、こんな陰気で黴臭い土蔵には如何にも相応しいとも感じていた。

 いつの間にか陽は傾き、学らん姿のカラタはほとんど闇に溶け、タツキの白いブラウスと靴下だけが朧気おぼろげに宙に浮いていた。

 光が失われるに連れ、タツキの想像も翳りを帯び始めた。カラタは私を威かす為にここに招き入れたのではないか。怖がる私を見て愉しむつもりではないのか。明日、学校で笑い者にするつもりなのではないか――そう考えれば、態々わざわざこんな気味の悪い所に誘い入れた事にも納得が行く。

 闇に埋もれたカラタの表情からは何も読み取れなかったが、唯の末生りだと思っていたカラタが突然、狡猾な策士として立ち現れ、タツキはまた総毛立った。

「……降参?」

 カラタが静寂を破った。その声には微かな笑みが含まれているようだった。自分の沈黙を白旗と解釈されたと感じたタツキは、それまでの怯えが嘘のように忽ち頭に血を上らせた。学校の友達がタツキを囲んで大笑し、その様子をカラタが満足気に眺めている――そんな光景が暗闇で明滅した。

「降参じゃないわっ。まだ考えてる最中よっ」

「これ以上考えてたら本当に真っ暗になっちゃうよ」

「その辺にランプが転がってたでしょ? 火を点けて」

「壊れてて使えないよ。そろそろ帰らないと家の人が心配するよ」

「嫌っ」

「……実はね」

 カラタが箱を開錠し、その頑丈な蓋に手を掛けようとした。

「駄目っ!」

 組み付いてまで邪魔立てをするタツキに、カラタも思わず向きになった。予想外に腕力を見せるカラタに驚きつつ、タツキは最後の手段に出た。

「イテテッ!」

 カラタが悲鳴を上げた。

 その腕に、必死の形相のタツキが噛み付いていた。

 タツキは低い唸り声を上げ、更に両手の爪をカラタの腕に突き立てた。それは、カラタが憧れ続けて来たタツキの姿とは全く掛け離れた形相だった。土蔵に住み付いていた魔物か何かがタツキに乗り移り、自分を殺そうとしている――カラタは恐怖と激痛から逃れようと必死に藻掻いた。藻掻いた指先が宝箱を掻き毟る。掻き毟る爪先が蓋に掛かる。

 お前みたいな末生りに馬鹿にされて堪るか――その一心で噛み付き続けるタツキを嘲笑うかのように、宝箱が口を開けながら転がった。はっとしたタツキの顎が反射的に弛む。その一瞬の隙に、カラタは力一杯タツキを突き飛ばしたた。我楽多が崩れる音に紛れ、タツキのか細い悲鳴が響いた。埃は一層、舞い上がり、闇を包み込んで行った。


 直ぐにまた静寂がやって来た。だが、タツキの姿は闇に隠れたままだった。

 手探りで床を這いずるカラタの前に、タツキの靴下がぼうっと浮かび上がった。膝小僧から腿へと眼で辿って行く。その先の身体は我楽多の中に埋もれていた。

 カラタは、タツキの身体に覆い被さったメーター付きの器械に触れたが、直ぐ様、手を引っ込めてしまった。掌に何かべとべとしたものが付着した。よくよく目を凝らすと、指に髪の毛が絡んでいた。

 器械の角に視線を移す。暗闇ではその色までは判別し辛かったが、何かがべっとりとこびり付いているのは確かだった。カラタは立ち竦みながら、唯の機械油だろうと思った。そうに違いない、そうに決まっている、と自分に言い聞かせ続けた。

 闇は更に深まっていた。

 一方、タツキは埃と黴と錆の臭いとを嗅ぎながら箱の中身を思い出していた。一瞬の事でよく判らなかったが、少なくとも想像していたおぞましいもの――昆虫標本ではなかった。一体、カラタの目的は何だったのか――永遠の謎に思いを巡らせたその時、タツキは直ぐ側で南京錠の掛かる音を聞いたような気がした。


 カラタが土蔵から出た頃にはもう陽はとっぷりと暮れ、西方の空の縁に血の色を湛えた雲が僅かに残っているだけだった。

 土蔵の鍵をしっかりと掛けたカラタは、すっかり表情を失っていたが、心の奥底から込み上げて来る高揚に身震いしていた。

 タツキと二人切りの時間を持ちたいが為に、その一時ひとときを少しでも長引かせたいが為に、何の計画性もなく誘い出したが、あれよあれよとあんな事になってしまった。

 決して手の届かないと思っていた宝物が自分だけの物になり、何の変哲もないが本当の宝箱に変わったのだ。

 カラタは、宵闇に沈む墓標のような土蔵を見上げ、ポケットに忍ばせた宝箱の鍵を何処に隠そうかと考えていた。

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