ナミノラ

そうざ

Nami-Nora

 目覚まし時計が鳴る寸前に自然と目が覚めた。

 このところ、頗る寝起きが爽やかだ。これも新規一転した食事のお蔭だろうか。以前のような怠惰な毎日が嘘のように生活リズムも規則正しくなった。

  階下へ行くと、既にパートナーが朝食の仕度をしていた。

「おはよう、クジキア」

「オ早ウ御座イマス。昨夜ハチャント眠レマシタカ?」

 もう何日も同じ屋根の下で生活しているというのに、相変わらずクジキアの口調は堅苦しい。未だ正確な文法を心掛けるだけで精一杯なのだろう。寧ろ地球に来てそれ程の時間が経っていない事を考えれば、卓越した学習能力と言える。

「僕も手伝うよ」

「大丈夫デス。モウ準備完了致シマシタ」

 食卓に置かれた二つの皿には、それぞれ〔ナミノラ〕が山盛りになっている。朝食の仕度と言っても、〔ナミノラ〕を皿に盛るだけなのだ。

 一括りに〔ナミノラ〕と称されてはいるが、地球人である僕に用意された〔ナミノラ〕と、ウニフヨン星人であるクジキアのそれとでは、色も形も香りも感触も全く異なる。当然、その風味も違う筈だが、味覚は各自の主観に負うので実際のところはよく解からない。

 僕用の〔ナミノラ〕は窓から差し込む朝の光を反射し、神々しいまでに輝いている。半透明で、ゼリーのようなプルンとした質感を持っているのだ。

 僕達は、いつものようにダイニングテーブルに向かい合って着席した。既に〔ナミノラ〕の芳醇な香りが僕達の鼻腔を擽っている。きっとクジキアの口の中も僕のそれと同じで、唾液で充満しているに違いない。

「頂きます」

「頂キマス」

 各々〔ナミノラ〕にスプーンを差し入れた。硬過ぎず軟らか過ぎずの適度な弾力が指に伝わり、早くも味覚を刺激した。

 仄かな興奮を覚えながら、僕達はほぼ同時にスプーンを口内に運び入れた。忽ち口いっぱいに広がる比類なき風味。このまま唾液の随に蕩けてなくなるのをじっとしていたい心持ちだ。しかし、矢張り咀嚼の醍醐味も味わいたい。僕達は各々ゆっくりと顎を上下させた。

 濃厚でいて繊細な〔ナミノラ〕が溶け出し、その汁が口腔内粘膜に染み渡る。僕は思わず目を閉じた。出来る事なら、身体中の全神経を総動員し、味覚の感度を増強させたいと思った。

 幾度となく噛み締めると、口内の〔ナミノラ〕は唾液と混ざり合い、すっかり形を失って液状化した。いよいよ呑み込む段階に至った訳だが、この期に及んでも僕は、呑み込むのが勿体ないっ、と声を上げそうになった。が、口いっぱいに頬張った〔ナミノラ〕が口から零れ落ちては、それこそ元も子もない。僕は、ゆっくりと喉越しを楽しみながら少量ずつ呑み込んで行った。

 対面のクジキアが噤んだまま、ん~ん~と悩ましい声を響かせている。形容を絶する美味しさを口を開けずして表現しているのだろう。その円らな瞳には薄っすらと光る涙さえ確認出来た。

 僕達は後ろ髪を引かれる思いで意を決し、最後は一斉のせでごくりと呑み込んだ。自分は〔ナミノラ〕を味わう為にこの世に生まれ落ち、生き続けているという確信にも似た感慨を抱き、しばし幸福感の波間に漂い続けた。


 まるで生まれて初めて〔ナミノラ〕を口にしたかのような反応を示す僕達だが、実の所、三食とも〔ナミノラ〕という日々をもう半年も重ねている。それが、食料省が僕達に与えたプログラムだ。

 仕事とは言え、来る日も来る日も同じ物ばかり食べていてよく飽きないと思うのだか、本当に飽きないのだ。寧ろ、お腹が空くと早くまた〔ナミノラ〕を食べたいと自然に考えてしまう。

 僕達はあっと言う間に山盛りの〔ナミノラ〕を平らげ、いつものように皿の表面にこびり付いた食べ滓まで舌先で丁寧に舐め取り、食事を締め括った。プログラムの開始当初は、流石に皿を舐めるような下品な行為は慎んでいたが、互いの距離が縮まるに連れ、僕達は何の抵抗もなくそれを見せ合うようになっていた。

「ゴ馳走様デシタ」

 クジキアは満足そうな、それでいて寂しそうな顔をしている。僕には彼女の心持ちが手に取るように解かる。次に〔ナミノラ〕を食べられるのは四時間後の昼食だ。プログラムで一日の食事は規則正しく三食までと決められている為、自由に間食する訳には行かない。唯、もし間食を許されたとしても、今の僕は〔ナミノラ〕以外の食物を体内に入れたいとは思わないだろう。

「ハイ、オ薬ヲ持ッテ来マシタ」

「ああ……ありがとう」

 クジキアが持って来たのは、蛋白質、炭水化物、脂肪、ビタミン、カルシウム等々の栄養素を凝縮配合した総合栄養剤だ。この上なく美味しい〔ナミノラ〕だが、その栄養価はゼロに等しい。その為、一日一回、総合栄養剤を服用しなければならないのだ。

 近頃は、何も食べなくても満腹感を得られる便利な薬も開発されている。だが、唯々腹を膨らませて空腹を満たすだけでは、余りにも味気ない。食物を口に入れ、咀嚼し、嚥下するという一連の『食べる』動作を通じ、人は栄養だけでなく生きる実感をも味わう事が出来るのだ。

 栄養面は兎も角、〔ナミノラ〕は万人の口に合い、腹持ちも良い。更に生産コストも低いので、食糧危機の回避に有効な広義の食物として大いに期待されている。

 僕達は、呆けたように空の皿をまじまじと見詰め続けていた。やがて、僕は思い切って或る提案をしてみた。

「ほんの少しだけ……」

「何デスカ?」

「昼食に差し障りがない程度に、ナミノラを用意してくれないかな?」

「…………」

 明らかにプログラムに反する提案だが、クジキアは頭ごなしに窘めようとはせず、何やら思案を始めた。僕の気持ちが痛い程に理解出来るからだろう。

「……食料省ニハ、内密デスヨネ?」

「勿論っ。僕達二人だけの秘密だよ」

 二人だけの秘密という言葉に、クジキアは強く反応した。そして、僅かな逡巡の後、ゆっくりと立ち上がって囁いた。

「分カリマシタ。準備シマスノデ、オ待チ下サイ」

 クジキアは下半身の着衣を捲り上げ、椅子の上にしゃがんだ。僕は透かさず皿を持ち、突き出された尻の下に控えた。

 尻の中央で、深海生物を彷彿とさせる〔両性器〕が微かに脈動している。雌雄同体種であるクジキアは、生殖器を開示する事に何の躊躇いもない。寧ろ誇らし気にも見えた。

 その〔両性器〕から蛸の漏斗管のような排泄器が飛び出す。念願の〔ナミノラ〕が間もなく排泄されるのだ。

「催シテ来マシタ……アア……」

 クジキアが悩ましい声を上げるや否や、排泄器の先端からあの得も言われぬ芳香と共に〔ナミノラ〕がしゃなりしゃなりと御尊顔を見せた。だが、それなりの粘性を有する〔ナミノラ〕は排泄器にぶら下がったまま中々皿の上に垂れて来ない。

「アア……アアッ」

 クジキアは尚も声を上げ続ける。異性人である彼女、と言うか、彼と言うか、その排泄は性行為に勝るとも劣らない程の快感を伴うらしい。

 相変わらず〔ナミノラ〕は瑞々しく煌きながらぶら下がったままだ。いよいよ辛抱堪らなくなった僕は、思い切って排泄器にしゃぶり付いてしまった。

「アアァァァァア~ッ!」

 クジキアの叫びに応えるように〔ナミノラ〕が勢い良く溢れ出し、僕の口内に溢れた。僕は一舐め分も吐き出すのが惜しく、雪崩れ出て来る〔ナミノラ〕を窒息寸前のまま啜り餅宜しくどんどん呑み込んで行った。


 至福の一時が過ぎ、我に返った僕は自分の暴走を深く反省した。

「ご免……ほんの少しの約束だったのに、大量に食べてしまった」

「貴方ガ謝ル必要ハアリマセン。悪イノハ私ノ排泄器ノ締マリ具合デス。ソシテ、勝手ニ絶頂ニ達シテシマッタ私ノ所為デス……ゴ免ナサイ」

「元はと言えば〔ナミノラ〕が美味し過ぎるからだ」

「ソウデスネ、〔なみのら〕ハ人ヲ狂ワスクライ美味シイ」

「そうだ、お詫びと言っては何だけど、君がさっき排泄した量だけ僕のナミノラを食べてくれ。お互いの帳尻を合わせるんだ」

「ソンナ事ヲシタラ、二人共、昼食分ノ〔なみのら〕ガ足リナクナルノデハ?」

「だったら、ちょっと早めの昼食という事にしようじゃないか」

「ナルホドッ、的確ナ状況判断デスッ」

「丁度、僕も催して来たんだっ」

 早速、僕はクジキアの顔面の上に跨り、腸内がすっからかんになるまで〔ナミノラ〕を排泄してあげた。当然、地球人である僕の〔ナミノラ〕は茶系統で粘土のような感触を持ち、お馴染みの臭気を放つ。要するにウンコという代物だ。クジキアはそれを随喜の涙を流しながら貪り食い、最後の最後は皿を舐め回した時のように僕の肛門を舐め捲くった。

 プログラム開始当初から、僕達は総合栄養剤以外は互いの〔ナミノラ〕しか口にしていない。僕が毎日排泄する〔ナミノラ〕はクジキアが排泄した〔ナミノラ〕を原料にしているし、クジキアの〔ナミノラ〕は僕の〔ナミノラ〕を元にして作られている。つまり、僕はクジキアを必要とし、クジキアも僕を必要としている訳だが、忌み嫌われる存在である〔ナミノラ〕が他人の体内を巡り巡った挙げ句、再びお目見えする時にはスタンディングオベーションで歓迎されるべき食物になっているとは、正に人体の不思議、延いては生命の神秘ではないか――僕は、紙で拭う手間も要らない程に舐められて綺麗にされた尻を放り出したまま、感慨に耽っていた。

 この予定外の食事のお蔭で、僕達は新たな発見をした。〔ナミノラ〕は、皿に盛るよりも相手の体内から出て来た直後に頬張ると更に美味しいという事実だ。今までは保存の為もあって冷蔵庫でひんやりと冷やしてから食べていた為、温かい状態はとても新鮮だった。それに加え、尻から直食いをすると互いの心の距離が一足飛びに縮まったような気にもなれるのだ。もしかしたら、後者は僕達にとって最も重要かも知れない。

「君のナミノラは最高だ。プログラムが終了した後もずっと君とナミノラを食べ合いたいっ」

「私モッ、貴方ノ〔なみのら〕ヲ食ベ続ケタイッ」

 感極まった僕達は、思わず犇と抱き合った。各々の息には〔ナミノラ〕の強烈な残り香が混じっていた。相手の〔ナミノラ〕は芳しいと感じるが、自分の〔ナミノラ〕は鼻が曲がりそうな悪臭だ。それでも、互いの心に芽生えた甘酸っぱい想いを抑え切れず、僕達は互いの口臭をブレンドし合うように激しく唇を求め続けたのだった。


 この日を境に、僕達が単なるプログラム・パートナーから恋人同士になった事は言うまでもない。斯くして、異星人かんで互いの便を食物として交換するという『食便連鎖計画』は、両星の食料不足問題だけでなく、星種を超えた精神的愛情を取り結ぶ事にも成功したのだった。

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ナミノラ そうざ @so-za

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