2-1・プレゼント大作戦

 ミステリー小説の主題にはいくつかの区分がある。すなわち『誰がやったのか』『どうやってやったのか』『なぜやったのか』である。『誰がやったのか』――これは「Who done it(フーダニット)」と呼ばれもっともクラシカルかつ一般的にイメージされるジャンルだ。いわゆる犯人当てが主題となる。次に『どうやってやったのか』――これは「How done it(ハウダニット)」と呼ばれトリックの解明に重きを置かれる。曜日固定のサスペンス劇場でよく見る時刻表トリックなんかはこれに当たるだろう。最後に『なぜやったのか』――「Why done it(ホワイダニット)」。犯罪行為を及ぶに至った動機が焦点だ。これは他の二つと違い人物背景が重要視される。たとえば『殺された大富豪に隠し子がいた』場合を例に取り上げよう。誰が隠し子なのかを追求しフーダニットに仕立てるのもいいが、この手の舞台設定であれば大富豪を取り巻く人間模様やドロドロした愛憎劇を主題に描きたい。そこで輝くのがホワイダニットだ。なぜ大富豪は殺されなければならなかったのか――人間ドラマを描くのに適した区分と言えるだろう。

 では、今回の主題は一体どれになるのか――それはもちろん、ホワイダニットだ。

 赤いリボンの巻かれた黒いラッピング袋を片手で弄びながら、俺はため息をつく。前回の事件から少しだけ時間が経過していた。前回の事件というのは、あれだ、ナントカという女子大学生が頭上から降ってきたコンクリートブロックで無理心中させられそうになった事件のことだ。その事件で助手をした俺に、明崎あきさきさんからお礼のメッセージが届いていた。非常に丁寧かつ好感の持てる文章で、あまりの愛らしさからメッセージ画面をスクショしクラウドに保存したものの、俺以外に見せたいとは思わなかったのでスマホの待ち受けだとか背景画面だとかに設定するのは控えた。……話が逸れたな。要約すると『お菓子を振る舞いたいから空いている日時を指定してほしい』という内容で、俺は即座にメッセージを受け取った週の日曜を指定し必要なリスケをすべて終わらせたのだが、問題は、彼女が俺にお菓子を用意してくれるように俺もまた彼女にプレゼントを用意していることだった。より正確に言うなら、プレゼントを用意したのに渡す理由がないことが、問題だった。

 何の記念日でもない日に、何の理由こじつけもなく渡すプレゼント。普通に考えると、不審だ。

 一般的には『なぜプレゼントを用意したのか』素直に述べれば事足りるのだろうが今回ばかりはそうもいかない。俺が彼女にプレゼント――スマートフォン用の手帳型ケースを用意したのは、気まぐれもあるがそれ以上に欲に基づいたものであるからだ。

 明崎さんの所持品に、彼女の領域テリトリーに俺という異物を差し込みたい。俺が近くにいなくとも彼女は毎日俺からの贈り物を手に取り、たまに俺を思い出す――そういう状況を作りたい。

 換言してこれは侵略なのだ。

 彼女の視界に、手元に、なにより心に、俺――黒繰くろくる朔夜さくやを上書きしたい。すべてを塗り潰すほどになんて贅沢は言わない。ただ、彼女の中に存在する俺のスペースを少しでも大きく広げたいのだ。

 俺の中に占める明崎さんばかりが大きいようでは、流石に淋しい。

 もちろんこれがただの我儘であることを、独りよがりであることを俺はきちんと弁えている。だから素直に『これを使うたびに俺を思い出してほしい』と言えないのだ。言えるはずがない。言ったらどうなるかわからない。万が一にでも引かれたらどうしよう。どうしようもない。要するに俺は怖いのだ。だから理由こじつけを探すのだ。明崎さんへのプレゼントを正当化する言い訳を。

 とはいえ期限も差し迫っている。具体的に言うと、今は土曜の夜九時だ。

 俺は書斎のアームチェアに深く頭を預け天を仰ぎ見た。

「とりあえず、風呂にでも入るか」

 アイデアが煮詰まったときは風呂に浸かるのが一番効く。経験則からそう判断したが、この日の俺は結局、有効な打開策も立てられず翌朝を迎えた。


 待ち合わせはいつもの喫茶店だった。俺は集合時間として設定されている午後三時より二時間早く店を訪れていた。そして入店してすぐ、目当ての店員を捕まえる。

「久しぶりだね、今朝方けさがたくん。今、ちょっといいかな?」

「お、お久しぶりッス、お兄さん。この間はごちそうさまでした」

 金髪ピアスの今朝方は軽く頭を下げたあと、信じられない言葉を口にした。

「今スか。オレのタイミング的には大丈夫スけど先に席行かなくていいんスか? お姉さんもう来てますよ」

「えっ」

 明崎さんがもう来ている? 約束の二時間前だぞ?

 硬直する俺に、今朝方は「いつもの窓際の席ですけど、今日はなんだか店長とお姉さんで会議してたみたいで……あ、これ内緒にしてるほうがいいか……と、オレは思うんで、これ以上は内緒ッス」と勝手に自己完結して明崎さんの座る窓際のボックス席を手で示した。

 そこには、今朝方の言ったように明崎さんが座っていた。

「………………」

「お兄さん?」

 俺は、まさか店内に本人がいるのに店員に向かってプレゼントを渡すための口実を相談するわけにもいかなくなり、手に提げたプレゼント入りのトートバッグを鞄ごと握り直すと「ありがとう」と言って席に向かった。

「……早いんだね、明崎さん」

 俺の声に、明崎さんは驚いた様子で顔を上げた。今日の明崎さんは、いつも下ろしている髪を両サイドに分け、三つ編みにして赤いリボンで結んでいた。フリルの揺れる白いブラウスに、レース素材の黒いスカート。かたわらにはチェック柄の赤い大判ストールが畳まれている。まるでデートにでも行くような可愛らしい姿は、俺のメンタルがここまで切羽詰まっていなければ素直に嬉しいものだっただろう。

「く、黒繰さん!? どうしたんですか!?」

「君こそどうしたの? 約束は三時だったと思ってたけど」

「あ、えっと……」

 明崎さんは慌てた様子で何か考えていたようだったが、やがて、観念するように息を吐いた。

「……実は、事前に店長さんにお菓子の持ち込みができるかどうか相談してあったんですけど……そのときに、どうせならキッチンで作って出せばいいんじゃないか? って……それで……今から作ろうかと……私も今、到着したところで……」

 俺が二時間も早く来てしまったせいで重大な事故が起きている。

「黒繰さんは、どうして?」

 しまった、聞きたいが先行しすぎて考えてなかった。

 俺は、とりあえず明崎さんの向かいに座りながら「仕事が早めに終わったんだけど、一度家に帰るのが面倒でね」と適当にそれらしいことを言っておいた。

「えっ!? 今日、お仕事だったんですか!? す、すみません! お忙しいのにお時間をいただいてしまって……!」

 流れるように普通にミスしたな。今日が楽しみすぎて早めに来てしまった、くらいの言い訳のほうがまだ可愛げがあった。これはミス。

 ――落ち着け、黒繰朔夜。明崎さんの前だ。狼狽を見せてはいけない。

「ここで待っていようかと思っていたけど、明崎さんがお菓子を作ってくれるんだよね。じゃあ、俺はお邪魔かな? どこか、外で時間を潰してこようかな」

「そ、そんな……! でも……いや……うー……!」

 俺じゃなくて明崎さんが狼狽し始めた。そんなつもりじゃ……なくて……いじわるを言いたかったわけじゃ……なくて……。

 俺は、客の少ない店内を軽く見回したあと、座ったばかりの席を立った。

「二時間後、また来ます」

「ままま待ってください黒繰さん! 手際が悪かったことは認めます! でもお仕事終わりで疲れている黒繰さんを無意味に外に追いやるようなことは……!」

 ああ、違う、違うのだ明崎さん。俺が悪いのだ。俺の不手際がこんな悲しい事故を引き起こしたのだ。もう、やめにしよう。

 明崎さんの静止を振り切るように店を出ようとして、今朝方と鉢合わせる。

「おや、お帰りスか」

「今朝方さん! 引き止めてください!」

「おっと、修羅場のほうスか」

 今朝方は俺の顔をちらと見て「また来るんスか?」と聞いた。

「二時間後には」

 どうやらそれだけで十分だったようで、店を出ようとする俺をスルーした今朝方は「まあまあまあ」と明崎さんへ説得に入った。

「二時間後には本当に戻ってくるってオレは思うんで。そんなに頑張って引き止めなくってもいいんじゃないッスかね? お菓子もまだ焼けてないしな~とオレは思うんで」

「で、でも……!」

「っていうか、約束より二時間も早く来たお兄さんが悪いとオレは思うんで」

 ぐうの音も出ない。

 ともかく今朝方が明崎さんを宥めている間に、俺は店からの脱出に成功したのだった。


 喫茶店を出た俺は最寄り駅方向に向け所在なく歩いていた。問題を解決するつもりで早めに来たのに、問題を増やしてしまった。失敗だった。せっかく明崎さんと過ごす休日なのに。俺は、凹んでいた。今日は助手を務めた俺へのご褒美デーのはずなのに……。

 ため息をついたところでスマートフォンへの着信に気付く。そういえばマナーモードに設定し忘れていた。着信音はデフォルト。つまり、明崎さんではない。誰からの着信か確認するためスマホを手に取れば、それは会社の人間からの着信だった。

「…………」

 無視してもよかったが、気まぐれに通話に応じた。

『もしもし!? お休みのところすみません! 至急問題が……!』

 ちょっと後悔した。

 俺は歩きながら「簡潔に答えてください。まず、何があったのか。俺にどうしてほしいのか」と電話口に向け言った。相手はトラブルの内容を話したあと、電話越しでいいから指示またはアドバイスがほしいと答えた。

 電話越しに解決するなら、まあ、いいか。

 駅に到着した俺は、適当なコーヒー店に入って飲み物を注文しながら言った。

「わかりました。そちらの対応、手伝います。ただし条件があります」

『は、はい……!』

「二時間以内に終わらせます。二時間たっても終わらないようならあなた一人でなんとかしてください。それ以降、電話は受け付けません」

 相手は一瞬たじろいだが、了承した。

 どうせ二時間はヒマなのだ。仕事をしてやってもいい。

 普段から鞄に入れているタブレット端末をテーブルに出すと、まず必要な資料をメールで送るよう指示を出した。

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