第2話 婚約破棄

ジークとの婚約は、亡くなったお母様が私に遺してくれた、公爵家で生き残るための唯一の武器だった。

 お母様が病に伏せる中、人柄、地位、権力…そして何より、私を守ってくれる存在であるかどうかを考慮して選ばれたのが、ジークのいるブラッドベッツ伯爵家だ。

 まさかお母様も、ジークがあのような裏切りに走るとは思ってもなかっただろう。

 …出会った頃のジークは優しく、とても紳士的な人物だった。

 引き合わされた当時の私は、婚約を継承戦で生き残るための手段としか考えておらず、恋愛をする気などさらさらなかった。

 最初こそ何の感情も湧かなかったものの、しかし、私は次第に彼の人柄に惹かれていった。

 継承戦への不安で怖くて泣いた夜も、お母様が亡くなった時も、いつも私の傍にいてくれたのは、他でもないジークだった。

 だから悪女と呼ばれても、死ぬ間際でも、私は彼に執着した。



…そして、あの有様だ。



「…」


 部屋を出て、ジークが待つという中庭へ続く廊下を一人歩く。

 あの後私はヒースとの朝食を断り、メイが選んだ緑のドレスを着込んだ。

 「悪役令嬢」だった時の私はとにかく高級品を手当り次第身につけていたから、こんなシンプルな服装は非常に久しぶりだ。

 コツコツ、と廊下に上品なヒールの音が響き渡る。



私はこれから、彼に婚約破棄を告げに行く。



 彼との婚約をなかったことにし、ジークから離れれば、少なくとも前世のような無残な死を迎えることはないはずだ。

 彼との婚約は、お母様が結んでくれた、まさに遺品のようなもの。

 しかし、命には代えられない。



…ごめんなさい、お母様。

私は、彼の力ではなく…私自身の力で、この継承戦を生き抜いてみせるわ。



 ふぅ、と今朝だけで何度目かわからないため息をつく。

 この婚約破棄だけは、必ず成功させなければならない。





 中庭に着くと、既にジークは椅子に座り、私を待っていた。

 チェスナットブラウンの髪に、猫のように少し吊り上がった目。

 その後ろ姿は間違いなく、かつて私が愛した恋人の姿だった。


「…ジーク」


 背後から声をかけると、彼は即座に私の方へ顔を向けた。

 にこっと笑うその笑顔が、とてつもなく懐かしい。


「やあグレイス、待ってたよ。今日も一段と綺麗だな」

「…」

「…ん?どうした?俺の顔に何か付いてるか?」


 私はゆっくりと首を横に振った。

 …彼を前にすると、本当に自分が回帰したのだと実感する。

 前世の最後では、こんなふうに彼が笑いかけてくれたことはなかった。


「…いいえ、なんでもないわ。さっさと始めましょう」


 椅子を引き、彼の前に腰を下ろす。

 ガーデンテーブルの上には、色とりどりの菓子が並んでいた。


「それで。どこから話しましょうか?」

「ああ、ちょっと待ってくれ。その前に」


 彼に手で制され、会話が途切れる。

 結婚式の話ではなかったのか?

 一瞬そんな疑問がよぎるが、しかし。

 彼は懐から一つ箱を取りだすと、それを私に差し出した。


「…これは?」


 眉をひそめ、怪訝に私が尋ねると、彼は誇らしげに笑った。


「帝国で一番の店に特注した、ネックレスさ。結婚式で、お前にはこれを付けてほしい」

「!」


 彼が箱を開くと、そこには巨大なエメラルドのネックレスが収められていた。

 石の形や大きさ、輝きからも、その宝石が計り知れないほど高価なものだとわかる。

 予想外の彼の行動に、私は絶句した。

 だが、ジークは続ける。


「グレイス。俺たちの結婚式は、お互いにとって、きっと特別な日になるはずだ。…いや、俺が絶対そうさせてみせる。これは、その証だ」

「…」

「だから、グレイス。どうかこれを受け取って欲しい。俺たち二人で、最高の結婚式にしよう」


 彼の真摯な眼差しが、私の瞳を鋭く貫く。

 目の前から向けられる視線、緊張で赤らんだ頬、少し震えている声音。

 そのどれをとっても、彼が真剣なのは明らかだった。


「…」



 …もし、今。

 私がこのネックレスを受け取れば、どうなるのだろう。

 また気の触れた悪女に成り果ててしまうのだろうか。

 嫉妬に狂い、怒りに身を震わせ、毎晩喚き散らす日々をまた繰り返すのだろうか。

 それとも。

 未来を知る今だからこそ、望んだ幸せを手にすることもできるのだろうか。

 手の届かなかった、彼との幸福な日常を。恐怖に怯える必要のない、憧れの公爵の座を。

 …いや、そんなことはありえない。



だってあの時、確かに私は彼に殺されたのだから。



「…いらないわ」


 ぽろり、と無意識に口をついて出たのは、そんな言葉だった。



私は、彼を拒絶する選択をした。



「…え?」


 一拍置いて、彼の口から蚊の鳴くような声が漏れる。

 そんなジークを置いて、私は続けた。


「聞こえなかったの?その宝石は、いらないと言ったのよ」

「あ…あ、あぁ。デザインが気に入らなかったのか!それとも、色?ま、まあ確かにこれは、お前には…」

「ジーク。恋人ごっこは、もう終わりにしましょう」


 狼狽え始めたジークを前に、私は立ち上がる。

 そして。

 バン、と机に手を叩きつけた。



「ジーク・ブラッドベッツ。あなたとの婚約は、破棄させてもらうわ」



「は…っ!?」


 ガタンッと椅子が鈍い音を立てる。

 ジークは目を見開き、呆然と私を見上げていた。

 何が起きているのかわからない、といった表情だ。

彼は、どもりながらも抗議する。


「な…な、何を言ってるんだ…?婚約を破棄する…?今更何を、」

「心配しなくても、あなたのお父様には私からお伝えするわ」

「…!」

「いくらブラッドベッツ伯爵家の当主といえど、公爵家の娘の私からの提案となれば、受け入れてはくれるでしょう?」

「かっ、勝手に話を進めないでくれ!そもそも、何故こんな急に」



…何故?



 彼の言葉に、私の体がぴくりと反応する。

 今更だ。そんなもの、決まっている。



あなたが、私を裏切っているからよ。




「ジーク…あなた、何を焦っているの?」

「当然だ!両家が交わした約束だぞ!?焦らないわけが」

「あなたが焦っているのは、自分の身が危ないからではなくて?」

「…は?」


 ジークが言葉を失う。

 続く言葉が見つからないのか、彼は口をはくはくさせていた。

 やはり、図星だったようだ。


「あなた、誰かに命じられたんでしょ?…私との婚約を成立させて、油断させて、殺せって。できなければ、代わりにあなたを殺すって」

「そ、そんなことはっ」

「あなたの後ろにいるのは、そうね………レグルスお兄様かしら」

「…!!」


 彼はぐっと息を飲み込む。

 その額には、うっすらと油汗が浮いていた。


「…」


 …前世でジークが私を捨てた際、彼が寝返った先は、私の腹違いの兄弟の一人、レグルス・ガルシオンだった。

 彼は公爵家の長男であり、現皇帝の妹を母に持つ、ガルシオンの一番目の子供。



この継承戦の、最有力候補者だった。



 …まさかよりにもよって、彼に狙われるとは思ってもみなかったが。

 だがあの地下牢で殺された際、ジークが持っていたあの黒い装飾のついた短剣は、確かにレグルスの母の生家である皇室のものだった。

 加えて私が捨てられた後、次にジークに婚約者を設けた速さも異常だった。

 やはり、皇室の力が働いていたのだろう。

 私は、一度息を吐くと、くるりと彼に背を向けた。


「お別れよ、ジーク。私は金輪際、あなたには近寄らないわ。だからあなたも、もう私に関わらないで」

「待てグレイス!俺は!!」


 ジークは未だ私を引き止めようとするが、それを無視して屋敷に向かって歩き出す。

 弁明の機会など、与えない。

 彼が私との婚約を成立できずに、あの残虐な兄にどのような制裁を受けようが、もう私には関係ないことだ。

 全ては、私を裏切ったあなたが悪い。

 …だけれど。


「…」


 私は一瞬だけ、足を止めた。

 彼の方は振り向かず、ただただ吐き捨てるように呟く。


「さようなら。…幸せな時間をありがとう」


 …一瞬唇が震えたのは、気づかなかったことにしておく。

 あれ程酷い仕打ちを受け、もう彼への執着は断ち切っていたと思っていたが、どうやら心はそう簡単に変化出来るほど柔軟なものではなかったらしい。

 いくら傷つけられ、罵られようとも、彼を愛した事実と記憶は変わらないのだ。

 平気だと思っていたが、やはり、辛い。


「…っ、待てッ!!」


 しかし。


「っ!?」



そんな僅かに残った気持ちすら冷め切ってしまうほど、彼は私が思っている以上に、最低な人間だった。



「ちょっ、離して!」


 彼はもの凄い握力で、私の右腕を掴んでいた。

 その目はぎらぎらと光っていて、怒りと焦燥に駆られているのがわかる。


「本当にいいのか!?俺との婚約を破棄したら、お前は伯爵家の後ろ盾を失う!そうなれば、この家で生き残るのも難しくなるはずだろ!?それでもいいのか!?」

「だから、そう言っているじゃない。何度も同じことを言わせないで」


 私がキッと睨みをきかせると、彼は怯んだように一瞬腕の力を弱める。


「…っ」


 ジークはしばらくの間、悔しそうに顔を歪めていたが。

 しかし、次の瞬間。

 彼はとうとう、本性を現した。


「………たかが男爵家の娘が、調子に乗りやがって」

「…」


 …あぁやっぱり、彼のことなんて好きになるんじゃなかった。

 つい先程まで、彼との別れを少しでも惜しいと思ってしまっていた自分が恥ずかしい。

 彼が、ここまで低俗な人間だとは思わなかった。

 


 …ガルシオンの子供たちは、全員母親が違う。

 そのため、この公爵家での地位と継承戦の優勢さは、母親の身分で決まると言っても過言ではなかった。

 爵位が高ければ高いほど母親の後ろ盾は大きくなり、身分が低ければ、継承戦で生き残ることも難しくなってくる。



そして、亡くなった私のお母様の生家は、芸術を生業にする【歌舞】のチェスター家。

爵位の中で、最も地位の低い男爵家だった。



 …お母様の身分だけには、触れて欲しくなかったのに。

 お母様には、なんの非もない。それはもちろん、私にも。

 それに私は、自分の力でこの家を生き残ると決めたのだから。

 私は再び鋭く彼を睨みつける。


「…お母様の家は関係ないわ。私は、れっきとしたガルシオン公爵家の娘よ」

「…」

「この話はもう終わりよ。早く離して」


 背筋を伸ばし、強い意志を込めてジークを見据える。

 だが、彼は諦めなかった。


「いや…俺は、まだ…っ!」

「っう…」


 ミシ、と再び彼に掴まれた腕が軋み始める。

鈍い痛みに顔をしかめた。

 その時。


「ぐぁっあ…!?」



突如、誰かが背後から、ジークの腕を捻りあげた。



 乱暴に、かつ容赦なく腕の自由を奪われた彼は、悲痛な悲鳴を上げる。

 見るとそこには、黒いフードを被った長身の男が立っていた。


「!」


 目を凝らすと、男の胸には見慣れない獅子を模した紋章が付いていた。

 この国では、獅子は騎士の証だ。

 候補者の誰かが護衛として連れてきた、騎士なのかもしれない。

 ジークは、腕を持ち上げられたまま喚き散らした。


「は、離せっ!なんなんだお前は!?」

「…」


 彼がいくら暴れようとも、男は無言でジークを見つめたままだ。

 顔がフードに隠れ表情が読み取れず、どこか不気味に感じる。

 ジークは男が何も言い返してこないと察したのか、僅かに口の端を吊り上げた。


「おい、聞こえてるのか?何も答えないとは、不敬な奴だな」

「…」

「俺は、ブラッドベッツ伯爵家の息子だぞ。立場を弁えたらどうなんだ?」


 先程私に向けたのと同じ、相手を蔑み、萎縮させる視線。

 ジークが、目の前の男を自分より身分の低い人間と見ているのは明らかだった。

 自分に向けられたものではないというのはわかっているが、見ていてとても気分が悪い。

 しかし。



男はそれを、鼻で笑い飛ばした。



「………はっ。伯爵家も、堕ちたものだな」

「なっ!?お前、今なんて…!!」

「…いえ、なんでも」


 唐突の侮辱に、ジークは物凄い形相で男を睨みつける。

 男はしらを切り、なんのことかと肩を竦めてみせるが、しかし、私は見てしまった。



彼のフードから僅かに覗くその蒼炎たる瞳が、嘲笑と侮蔑で、酷く歪んでいたことに。



「…」


 もしかしたら、と口を開くが、それより先にジークが喚く。


「お前ッ、誰だ!?名を名乗れ!」

「…」

「おい、名を…っぐ!?」


 うるさいと言わんばかりに、男がさらにジークの腕を捻りあげる。

 よほど体に堪えたのか、ジークは痛みに耐えながらも、もう何も喋らなくなった。

 男は、静かに告げる。


「…俺は、名乗るほどの者ではありません。ただ、ご令嬢がお困りになっているのが見えたので、止めに入っただけです」

「…っ」

「…お邪魔でしたか?」


 突如、彼が私を見る。

 話を振られ、私は一瞬固まった。

 だが、すぐに首を振って答える。


「いいえ、むしろ助かったわ。ありがとう」

「…」

「では、私はこれで。もう会わないことを願っているわ、ジーク・ブラッドベッツ」


 男がジークを引き留めていることをいいことに、私は彼に別れを告げると、くるりと踵を返し、その場を後にした。

 去り際に彼を見ると、ジークは呆気にとられた表情をしている。

 もう彼に未練はない。

 今後、彼と顔を合わすこともないだろう。


「待て、グレイス!」

「お待ちを」


 だが男が腕を離すと、ジークは未だ私に迫ってくる。

 男はジークの前に立ち塞がり、すぐさま行く手を阻む。


「っ、…お前…ッ」

「お引き取りください、ブラッドベッツ卿。お嬢様にお会いになりたいようでしたら、また後日、然るべき手順を踏んでからお越しください」 


 至極真っ当な男の言葉に、ジークは顔をみるみる紅潮させた。

 然るべき手順を踏んでから、と彼は言ったが、つまりはそれくらい、ジークはもう既にガルシオン家とは縁のない人物と見なされてしまったということだ。

 婚約者としては、これ以上ない辱めだろう。

 ジークはしばらく唇を噛み締め、怒りに肩を震わせていたが。


「…ッ、くそ…っ!」


 やがてそう吐き捨てると、足早に中庭を去っていってしまった。

 彼が消え、ようやく庭園に静寂が訪れる。


「…あなた、見ない顔ね」

「…」


 後ろ目に彼らの様子を見ていた私は、男に顔を向けた。

 マントを翻し、ゆっくりと彼が振り返る。

 その瞳は、夜空のようなタンザナイトの色をしていた。


「さっきのことは、礼を言うわ。見苦しいところを見せて悪かったわね」

「かまいません。失礼ですが、ブラッドベッツ卿とは、どのようなご関係で?」

「婚約者よ。元、だけれどね」

「…そうですか」 


 一般的な紳士なら、この手の話を聞いた際、気まずくなるのが普通だが。

 彼の表情は、あくまでも淡々としていた。

 眉の一つすら動かない。

 思い切って、私は聞いてみることにした。


「そういうあなたは、何者なの?どうやら爵位は、彼より高いようだけど」

「…先程の言葉、聞こえていらっしゃいましたか」


 ふっと彼が口の端を僅かに吊り上げる。

 また、その顔だ。

 ジークを嘲笑した時に唯一見せた、彼のどこか楽しげな顔。

 淡白に見えて、意外と悪戯好きなのかもしれない。

 私は肩をすくめる。


「聞こえるように言ったんでしょう?…あなた、名前は?」

「俺は…」


 彼が口を開きかけた、その時。


「姉ぇぇぇちゃぁぁぁん‼」


 屋敷から、黒い子犬が…いや、弟のヒースが走ってくるのが見えた。

 仮にも殺しあう仲であるはずなのに、彼は躊躇なく私の胸に飛び込んでくる。

 彼のズボンから揺れ動く尻尾が見えるのは、やはり私の幻覚だろう。


「ヒース…どうしてここに?」

「部屋の窓から、姉ちゃんがあの婚約者に腕掴まれてるのが見えたんだっ」

「…!」

「大丈夫⁉ケガとかしてない⁉」


 ドレスの袖を引き、ヒースは心配でたまらないといった表情で私の顔を覗き込む。

 私を見る彼の純粋な瞳は、うるうると潤んでいた。

 彼に言われて屋敷を見上げてみると、確かにここからヒースの部屋が見える。


「…」


 …今後、中庭に来る時は注意を払ったほうがいいだろう。



ここは、あまりにも人目に付きすぎる。



「…平気よ。心配してくれてありがとう、ヒース」

「ほんと…?ほんとに何もない?」


 しゃがみこんで彼と目線を合わせ、無事を伝える。

 が、あまりに念入りに無事を確認するヒースに、私は思わず苦笑した。

 流石に、この心配に悪意はないと信じたい。

 ちらと、ヒースが何かもの言いたげに上目遣いをする。


「ねえ、姉ちゃん」

「ん?」

「さっき、アイツとの婚約を破棄するって言ってたけど…あれって、」

「…ヒース様」


 その時、私の背後からにょき、と、フードの男が顔を出した。

 びくりと、ヒースが体を揺らす。


「うおっ…なんだ、お前、ここにいたのか」

「…朝は剣術の稽古だとお聞きしましたので、迎えに上がったのですが」

「あー…」

「勝手にいなくなられては困ります。ヒース様にはご実家より、専属の講師が手配されているのですから」


 苦言を呈しているのだろうが。

 男の声は、どこまでも一定で平坦だ。

 それに、ヒースの口調からも、彼が男に気を許しているのがわかる。

 …いや、それよりも。


「ヒース…この人、知っているの?」

「え?いや、知ってるも何も…こいつは、俺の従者だよ」

「…従者?」


 私は思わず聞き返す。

 候補者付きの騎士だとは思っていたが、まさかヒースの従者だったとは。

 私の反応に、ヒースはあれ…?といった顔をした。


「い、言ってなかったっけ…?」

「…聞いてないわ」

「え、えーと…姉ちゃんは、俺の叔父さんのことは知ってるよね?」


 狼狽える姿が、少しだけ可愛らしい。

 彼の言葉に、私は頷いた。

 ヒースの叔父といえば…。


「グランツカーラー辺境伯のことかしら」

「そうそう。こいつは、そこの養子でさ。ちょっと前からうちに来て、俺についてくれてるんだよ」


 グランツカーラー家は、ヒースの母の生家、ディルガード伯爵家の分家にあたる家門だ。

 つまりこの男は、事実上ヒースの従兄弟にあたる…母親一族からの支援の一環として送られてきた従者、ということだろう。

 辺境伯の後継者ならば、なるほど、彼がジークを相手に怯まなかったのも頷ける。

 男は私の前に立つと、改めてうやうやしく頭を下げた。


「…お初にお目にかかります、グレイス様。ヒース様の従者、ゼロニス・グランツカーラーと申します。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」

「いいえ、気にしてないわ。こちらこそよろしく、グランツカーラー卿」


 ゼロニスが顔を上げる。

 言われてみれば、確かに彼の瞳もヒースと同じく、ディルガード家やグランツカーラー家のある北部特有の青色をしていた。

 養子と言っていたが、血の繋がりがないにせよ、やはり彼も北部の人間なのだろう。

 ゼロニスが、ヒースに顔を近づける。


「…ヒース様、そろそろお時間が」

「あーはいはい。じゃあ姉ちゃん、俺は剣術の稽古があるから、ここで」

「えぇ。頑張って、ヒース」


 私がそう言うと、ヒースは満足気に首を縦に振った。

 ゼロニスが会釈をし、ヒースが手を振りながら中庭を去っていく。


「…」


 庭に一人残された私は、踵を返すと、屋敷に向かって歩き出した。

 だが、行先は自分の部屋では無い。

 ジークとの婚約は破棄した。

 だが、私にはまだ、やるべきことが残っている。



私はこれから、地下監獄へ。

二人の化け物に会いに行く。

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