名前
入学式から数日。桜久は鞄に念入りに教科書をしまった。自作の暗記ノートもしっかりと。初めての試験である。
桜久の住む地方都市では、中学受験は一般的でない。公立小学校から公立中学へ自動で上がる進路が最もスタンダードだ。彼女も例に漏れず自動的に進学したが、中学受験はしないのかと周りにせっつかれる程度には成績が良かったため、定期試験を楽しみにする稀有な少女となっていた。元来負けず嫌いな性格である。順位を競うのは嫌いではない。
しかし、校則のど真ん中を守る野暮ったさと手を加えていないセミロングの髪。根暗で声の小さい
ところから本当の桜久を知る人は少ない。
現にクラスでも多少浮いた存在だ。お洒落には興味がなかった。髪も、寝ぐせがついていない限りは細かいことを気にしなかった。自分の顔にも特別な感情はない。最近増えてきたニキビだけは、早く治ってほしいと思っていた。
華やかな女の子たちが仕切る教室は居心地が悪かった。新しいクラスになって間もなくで、大体のグループはメンバーを固める。桜久も数人のおとなしい子が集まるグループに属した。メンバーはアニメ好きが多い。桜久はアニメに詳しくなく、かと言って詳しくなる気も起きず、グループでの立ち位置も確立出来ずにいた。制服の布地が未だに固く、身に馴染まないのと同じように。
試験範囲は、小学校の内容全範囲だった。復習に力を入れていた彼女は、確かな手応えを持って試験を終えた。
結果は授業で教科ごとに返ってくる。軒並み90点台であることに安堵しつつ、発表される最高点にはどれも数点届かない。
「1位は原田だろうな」
「あいつ頭いいもん」
クラスの男子の声が飛び込む。テスト返し後の教室のざわめきの中、原田という名前が度々聞こえる。恐らく、幅をきかせている小学校出身の誰かなのだろう。
「本人に聞きにいく?」
「いや、答えねえだろ。でも一応部活の時に聞いてみるわ。今日のバスケ部の練習は1年男子だけだから」
原田君というのは秘密主義な人物らしい。会話の中で分かったのは男子ということとバスケ部ということだけだ。
それから、原田伊織の名を様々な場面で見聞きすることになる。
部活もすでに体験入部が始まっている。桜久は帰宅部と茶道部で悩んでいたが、小学校からの友人が茶道部にすると言うので、早々に入部を決めた。活動は週に数回で、外部講師が指導に来るらしい。学校で最も緩い部活と評判だった。
先生は運動部を勧めているが、桜久は運動が苦手である。持久走は苦しくて息も絶え絶えになるし、ピアノを習っているため球技には親しんでこなかった。突き指をすると練習が出来なくなるからだ。
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