第14話 ある娘の物語

 始まりは、献上された娘の嘆きからだった。

 娘には恋人がいたが、親に追い払われた。恋人は恋人で、あっさり引き下がったと、親が話していた。そこに愛はなかったのだと娘は思った。

 その後、ある王へ献上された。家族として大事に愛されていたと思っていたのに、まるで自分が物のように扱われていることに気づき、それはもう深く傷ついた。ここにも愛などなかったのだと。

 王からは溺愛された。しかし、愛なんてもう信じられなくなってしまっていたので、冷たくあしらうことにした。

 気に入らない、生意気だ、そう思って殺すなら殺してくれれば良い。むしろ殺してほしい。そう思っていたのに、彼は娘を甘やかし続けた。

 ある日、心を閉じ続けるのも疲れて、少しだけ、歩み寄ってみようと思わされた。

 王は大変喜んだ。娘が自分から話しかけてくれたと。

 それからより一層の寵愛を受けることになった。嬉しくて、嬉しくて、親の言いつけどおり、『とても良い子』の振る舞いを続けた。寵愛を受けられるように、誰からも美しく見えるようにと。

 厳しくしつけられていたので苦ではなかったが、今思えば、最初から献上するつもりだったのだろう。今となってはわからないが、娘は自分がとても良い子なのだと、その時は思っていた。

 王と打ち解けたある日のことだ。王の臣下がなにやら失敗をしてしまったらしい。王は激しく怒ったけれど、一度の失敗で殺してしまうのはあまりにもひどい仕打ちだと進言し、王を諌めた。

 結果、その臣下は刑を免れ、娘は臣下から敬愛されるようになった。

 嬉しかった。私も誰かの役に立てたのだと、誰かに感謝される存在になれるのだと。

 しかし、王はそれが面白くなかったようだ。

 王なしでは生きていけないくらい依存しきってしまっていたある日のことだ。

「私はお前が誰かの物になってしまわないかが不安でならない。」

 娘はそれをすぐに否定した。気持ちに嘘偽りがない、王一筋だと信じてほしかった。

「私には友がおりません。恋人からも、親からも、愛情をいただけませんでした。そんな私をいったい誰が愛するものでしょうか。」

 しかし、王は首を横に振った。

「お前の魅力を誰も知らなかったのだ。私は知っている。だからこそ不安なのだ。この王宮には価値のわかる者が大勢いる。」

 言って、王は口角を上げた。

「悪辣に振る舞いなさい。誰にも舐められないように、人前では悪女になれ。私の前でだけ美しくあれ。」

 娘は言う通りにした。それで安心してもらえるのであれば、ずっと愛してもらえるのであればと願って。


 ひたすら、言われたとおりに尽くしたはずだった。

 娘は賢かったので先のことがわかった。このように振る舞えば、自分は破滅することがわかりきっていた。わかりきっていたはずだった。

 人々は娘を恐れた。王宮で孤立し、稀代の毒婦というそしりも受けた。それでも娘は、ただ愛が欲しくて、言われたとおりに振る舞い続けた。

 やがてそれはエスカレートしていった。

 本当は心が痛いのに、愛欲しさに自分を騙し、誤魔化し続けた。

 酒池肉林、蠆盆、炮烙、ありとあらゆる悪いことをした。

 どれもむごたらしいものだった。炮烙のときなど、見ていられなかったのに、目をそらさないで、人間は焼けたらああなるのだと、観察し、気をそらそうとしたが、我慢できなかった。あまりの酷さに頭がおかしくなって、大笑いしてしまった。


 ある日、王と二人でいるとき、天啓がおりた。

 早速王に進言した。このまま娘が悪逆の限りを尽くしていると国が滅んでしまうという天啓がおりたと。

 しかし、王は許さなかった。むしろ、天啓を恐れ、拒み、娘にはそのまま続けるようにと言い放った。

 娘は思い悩み、一人夜風に当たっていたときだ。かつて、王に進言し、命を救った臣下が声を掛けてくれたのだ。

 娘は動揺した。

「私が怖くないのか。」

 臣下は笑ってこう返すのだ。

「ずっとあなたを信じておりました。なにか事情がございますね。」

 娘は思わず、今までのことすべてと、天啓の話をした。臣下は真剣に最初から最後まで話を聞いてくれた。

「王はあなたを悪者にし、自分の人気を高めておいでです。あなたに秘密で。」

 娘はひどく傷ついた。ずっと、信じていた。愛がもらえるなら何でも良いと思っていた。しかし、そこにもまた愛などなかったのだ。

「私はあなたの人となりと、天啓を信じます。私から、王へ進言してみましょう。」

 それが、臣下との最後の会話になった。


 王は臣下を斬首にした。

 娘はひどく傷ついた。相談なんてしてしまったせいで、誰かを頼ってしまったがために、信じてくれた人が殺されてしまったのだ。そう、自分を責めた。

 何もかも信じられなくなっていた。何もかも。

 無気力になるところかもしれなかったが、娘に灯った憎しみと怒りの炎は強く燃え盛っていくばかりだった。身に宿った炎は娘を突き動かした。

 殺してやる、全て滅ぼして、滅茶苦茶にしてやる。許せない、許せない。楽に死ねると思うなよ、人間ども。

 王が殺したのは臣下だけではなかったのだった。娘に残っていた、最後の良心をも殺してしまったのだった。


 娘の悪逆は増していき、王ですら行いを諫めるほどになったが、娘は黙っていなかった。

「私をこのようにしたのは王自身でございます。私は言いつけを守っております。」

 王は返す言葉がなかった。娘は王へ畳み掛けるように、心が苛まれる事実を連ねていった。次第に、王は心を病むようになっていった。

 丁寧に地獄へ落として差し上げます。

 王が病んで、泣いて乞うても、娘の決意は揺るがなかった。


 ある日のことだ。

 人々が娘を悪夢に見るようになり、各地から貘がごちそうをあやかりにきていたときのこと。

 多くの貘は、ごちそうへありつけることに感謝の意を伝え、それはもう醜いほどに悪夢を貪り食っていった。悪夢を食べては次の悪夢へ、それらはただ食に貪欲に、川に落ちた獲物に食らいつくピラニアのように、ただ自分たちの欲求を満たすべく群がってきていたのだった。

 人と同じで、嫌悪感を覚えたそれらを、娘は忘れなかった。図々しくも、もっと人々に悪夢を見せるように要求してきたものもいた。

 貘が挨拶したときに気づいたが、娘はもう人ではなくなっていた。

 いったい、いつから?恋人に諦められた時?親に切り捨てられた時?悪を成すようになった時?王の裏切りを知った時?信頼を寄せてくれた臣下が死んだ時?負の炎に身を焦がすようになったとき?

 いつからこうなったのか、娘にはもはやわからない。わからないまま一人、空虚に笑った。

 あるとき、貘を王宮内で見かけた。

 嫌悪感が先走り、思いのまま殺してしまおうかと思っていたときのことだ。

 タイミングよく、ある女官の部屋へと、そいつは入っていった。そのまま間抜けにまっすぐ歩いていれば、呪い殺していたところだった。

 運のいいやつ。

 心で悪態をつきながら、部屋の様子をうかがうと、悪夢にうなされ、寝込んでいる女官が見えた。先程の貘は安心させようとしているのか、寝ている女官に寄り添い、見ている悪夢を丁寧にしまい込むように、ゆっくり味わって食べていた。食べた後も、女官が落ち着いて、すやすやと寝息をたてるまで、鼻で頭をなでながら傍に寄り添っているではないか。

 娘には信じられなかった。なんて綺麗な生き物なのだと。

 貘どもはどいつもこいつも、人間どもと同じで、自分のことしか考えてないウジ虫なのだと思いこんでいたからだ。

 こいつもきっと、偽善者にすぎない。そうに違いない。

 娘は見たものを信じられなかった。信じられなかったから、その一風変わった貘を真剣に観察し続けた。


 そいつは、どの人間に対しても温かく寄り添っていた。

 見ていて、胸が苦しくなった。そいつはかつて、娘に寄り添い、話を真剣に聞き届けてくれたあの臣下を彷彿とさせたのだった。

 ああ、なんとかして、話ができないものだろうか。

 一度目に声をかけた時は、聞こえていなかったのかわからないが、振り向きもせずにそのままどこかへ行ってしまった。

 二度目に声を掛けたときなんて、あからさまに走って逃げ出す始末だ。三度目以降もそうだった。何度声をかけたかわからない。

 生意気な奴め、なんて失礼な。何様のつもりだろう。この私が声をかけてやっているんだぞ。

 思っていて、はっとした。

 今まで王の言いつけを守り、振る舞っていたままの性格に、いつの間にか成り果ててしまっていたのだ。

 こんなんじゃ、あの臣下に顔合わせできない。あの貘と、お話するには醜すぎる。

 王はすでに終わりだ。自ら手を下すまでもない。

 また、昔のような心を取り戻したい。どうか、どうか…。

 それからというもの、娘は自分の醜さと向き合い、心の美しさをひたすら求めた。それはまるで、初恋でもしたかのようだった。あの貘に振り向いてほしい、恥じない自分で対面したい、どうか綺麗な私を見て、どうか私を怖がらないで、どうか私を愛して。

 しかし、破滅のときは迫っていた。

 王は自殺し、敵国の王が攻め入ってきていた。

 娘は自分の陰口を嬉々として話していた女官を身代わりにし、あの貘が面倒を見ていた女官を連れて王宮を抜け出した。

 身代わりの女官は見事、首をはねられた。これで娘は死んだことになるに違いない。もし嘘が発覚しても、逃げるまでの時間稼ぎにはなる。

 連れ出した女官はというと、困惑していた。

 どうして私なぞを連れ出してくれたのかと、落ち着いて話せるときに聞かれた。

 娘は答えられなかった。気になる貘があなたに寄り添っていたから、大事そうにしていたからなんて、信じてもらえないと思ったのだ。

 黙っていると、女官は問い詰めるのをやめた。

「うなされていたとき、私の頭をなでて落ち着かせてくださったのは、もしかして…。」

 娘は即座に否定した。それは、あの変わり者の貘の功績だ、私じゃない。

 しかし、女官は優しく微笑んでくれたのだった。

「兄が、貴方様は本当は心優しい方なのだと、みなに言い聞かせていました。」

 ああ、あの臣下に違いない。ということは、この方は…。

 女官の言葉で涙が溢れた。いったい、いつから泣いていなかっただろう。もう枯れてなくなってしまったかとおもっていた涙が溢れて止まらなかった。

 女官はそっと抱きしめ、頭をなでてくれた。

「どうか、私の姿をお使いください。そして、遠くへお逃げください。」

 怖くないのかと、尋ねる前に女官は踵を返してどこかへ向かってしまった。聞くまでもないことだった。

 娘は女官の姿を借り、その場を後にした。

 女官がその後どうなったのか、心配だったが、知るすべはなかった。肝心なときに何も見えない、何も見せてくれないのだった。


 女官に化けたまま逃げ延び、空き家をみつけ、夜を過ごした。

 その日はひどくうなされた。あの女官がうなされたときも、こんなに苦しかったのだろうか。

 とても寒かった。化け物になってしまっても、熱なんて出たりするのだろうか。一人は怖くて寂しい。

 娘は今までの悪事を、夢の中で追体験した。辛くて、目を背けたくて、忘れたくて、苦しかった。

 苦しい、助けて、怖い。

 しばらくして、自業自得だと自嘲した。これはみんなに見せた私の悪夢だ。

 苦しみを受け入れようとしていると、悪夢は消え、幼い頃すごした家、大好きだった花畑の景色に変わっていった。家族が誰ひとりとして出てこなかったのも、心の救いだった。

 ただ一人、暖かな日差しを受け、心ゆくまま花を愛で、無邪気に駆け回る。限りなく自由で、とてもあたたかい夢だった。

 涙が伝う感覚で目が覚めた。目が覚めると、貘が添い寝をしてくれているのが目に入った。

 温かくて、柔らかくて、とても安心できるのだった。あのときの貘に違いない。

 思いのまま、殺してしまわなくて良かった。本当に良かった。女官のおかげで、貘も私も救われたのだ。

 貘も一緒に眠ってしまっているようで、娘が目を覚ましたことに気づいていない。

 娘はそっと、貘の額に口づけし、そっと抱きしめ、静かに涙を流した。

 落ち着いてから、貘をなで、腕を離した。

 まだ、自分はふさわしくない。償って、この貘にふさわしい、恥じることのない人になりたい。


 次に目を覚ました時、貘はいなくなっていた。

 しかし、娘は今までと違って、そこに愛がなかったなどと思わなかった。

 次は、娘が会いに行く番だ。

 次に会う時までには、あの貘にふさわしくなりたい。なってみせる。あわよくば、力添えができたらいいな。

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