第5話

 風介はともかく、悠耶だけでも、残ってはくれまいか。


 というか、むしろ悠耶だけ残ってほしい。


 都合の良い流れを考えている惣一郎に、風介は言葉を切って向き直った。


「若旦那、私さえ諦めていたのに、お悠耶を助けてくだすって、本当にありがとうございました。今日はこれで失礼して、大したお礼はできねえですが、また今度、改めて」


 まじめに口上を述べる風介の横で、叱られた悠耶が


「そんなの、おいらだってわきまえてるよ。良いって言ってるのが惣一郎だからだよ」


 と呟き、口を尖らせている。


 悠耶の言動の一々が、心をむず痒くさせる。


 つまり、相手が惣一郎でなければ遠慮するという意味だ。


 けれど、やっぱりここで引き止めるもの不審かもしれない。


 と、惣一郎が諦めかけたところで寛太が話に入ってきた。


「風介さん、では、お悠耶さんを話し相手に残しては頂けませんか。若旦那は、ご覧の通り身動きできず退屈しているのです」


 寛太の提案に、惣一郎の口元はうっかり緩んだ。


 風介は驚き、言葉に甘えて良いのか、迷いを見せる。


「私も、ずっと付き添っていられるわけではありませんので、お願いできませんか」


 願ってもない申し出に、悠耶は大きく頷いた。


「おいら残るよ! ねえ、お父っつあん、いいでしょ? 面白い話、いっぱいしてあげるから!」


(ちくしょう、寛太の奴。上手いことを言いやがる)


 寛太は憎いほどに気の利く男だった。


 奉公人に気を使われて、言うままになるのも癪だ。


 だが、これ以上の策は思いつかない。


 素知らぬ顔で尻馬に乗ろうと決め込んだ。


「それがいい、風介さん。お悠耶がいれば退屈しねえ」


 呆気にとられたのは風介のほうだった。


 だが、果たして惣一郎の望みは叶えられた。









「お茶をお持ちしました」


 風介と寛太が去って程なくして、女中のこうが茶と干菓子を持ってやって来た。


 一昨日、悠耶たちの長屋へ惣一郎が持って行ったものと同じ菓子だ。


 幸が座卓の上に茶碗と菓子の入った皿を並べるところを、悠耶はうっとりと笑みを浮かべて見つめていた。


「お悠耶、そんなに見ちゃあ、お幸がやりにくいだろう」


「だって、待っていたからさあ。お姉さんは、お幸さんていうの」


 幸はひと月前に、風介の紹介で奉公にやって来た。


 橋本町の金物屋の娘で、歳は十四だそうだ。


 店へやって来た日に挨拶したくらいしか機会がない。


 だが、声も聞いたことがないくらい物静かな女だった。悠耶とは正反対だ。


 悠耶の問いに、幸は小さく頷いた。


「どうだい? 勝手方の仕事は。慣れたかい」


「若旦那……! はい。お陰様で随分と。あの〝お悠耶さん〟とは……?」


 幸は悠耶を不思議そうな眼差しで眺めている。


 

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