第2話

「あの子ってのは誰の事だい」


「風介さんのところの倅だよ。あんたの寝ている間に二度も来たんだよ。確かに可愛らしい子だけどさ、男とばかり遊んでないで……」


 母の口調で、ああまた、この話かと惣一郎は悟った。


 両親は優しく、惣一郎にはなんでも自由にやらせてくれる。


 惣一郎が優秀な跡取りだという仔細もあるが、何かを強要された記憶はない。


 ただ惣一郎が十五歳を迎えた頃から、母の菊は惣一郎の男色を気にするようになった。


 男色だけなら珍しくもないが、惣一郎は女子に全く興味がない。


 店に来る婦女子が向ける好意があからさまでも、見向きもしない。


 町を歩けば付け文される機会も珍しくない男前だ。


 実家は大店で、家柄も申し分ない。


 男あまりの江戸なのに、引く手は数多の幸福者だ。


 江戸の習わしでは、店を継ぐのは必ずしも血族でなくても構わない。


 だから実子のあるなしは、さほど重要ではない。


 でも、女の菊には思う所があるのだろう。


 遊ぶのは結構だが、嫁を迎えて子供はもうけて欲しいというところか。


 惣一郎が黙ってしまったので、菊は諦めて部屋を出ようとする。


「お悠耶は娘だよ。倅じゃねえ」


 菊の去り際に、惣一郎はポツリと呟いた。


 菊は何を聞いたか理解できずに首を傾げた。


 一瞬間をおいて口をあんぐり開くのが見えた。


 惣一郎は気まずくなって、さっと目を伏せる。


 菊は数瞬、そこにいた。


 だが、襖の閉まる音がして足音が遠ざかっていった。


 よかった。


 それ以上は聞かれても困る。悠耶は倅ではなく娘だ。


 それは単なる事実であり、他に含まれる意味などはない。








 薬湯を冷ましながらゆっくり飲んだ。


 飯を食べに行きたかったから着替えようともした。


 だが、思うように体が動かない。


 菊に手伝われそうになって諦めた。


 握り飯を部屋に持って来てもらい、ゆっくり食べた。


 だが、口内も数カ所切り傷になっていたので、塩気がしみて痛かった。


 すぐに眠くなってしまい、微睡みに落ちた。


 気づいた時には昼九ツ半刻(午後一時頃)になっていた。


 丸一日寝ていて、それでもまだ眠るとは、よっぽど体はこたえていたと見える。


「はあ。自由が利かねえってのは、こういう情態か」


 惣一郎は布団の上に起き上がったものの、手持ち無沙汰に耐えかねて一人ぼやいた。


 頭はいつも通りなのに、体だけが重く、動く気力が出ない。


「若旦那。起きなすったんですか。入ってもいいでしょうか」


「ああ、そこにいたのか。寝間着で済まないが、構わないよ」


 かしこまりながら部屋に入って来たのは寛太だ。


 寛太は九歳で三河屋に奉公にやって来た小僧だ。今年十七になり、惣一郎とも歳近い。


 そのため何かと惣一郎の面倒を見て、他出の供も務めるのが仕事の一つであった。


 寛太は自分より年若なのに、古着屋として抜群の才を持つ惣一郎を未来の主として崇拝していた。


 真面目すぎるきらいはあるが、非常に真剣に務めを果たしてくれている。手代候補の筆頭だ。


 一昨日は寛太を置いて出かけたため、惣一郎の怪我について咎められてはいないだろうか。

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