雪の季節

如月はじめん

雪の季節

 寒風が自転車を漕いでいる私を撫でた。ハンドルを握る手の感覚はだんだんと白くなってくる。手袋を付ければよかった。あまり速度を出さないまま、誰ともすれ違わない歩道を走る。

 赤い横断歩道の前で止まる。

 私の鼻に、白い雪が付いた。

 


 

 考えなしに家を出たのが二時間前。家に居づらいとか、家でやることがないだとかそう言うわけではなく、外の空気を吸いたかっただけだった。重苦しい空気は、タバコのように肺に纏わりつき、気分を害すから、新鮮な空気は呼吸をするのに必要だ。それか、どこか心の奥で楽になりたいと願っているのだろう。

 親から貰った財布と、30%しか充電がないスマホをポケットに入れ、コートを羽織り家を出た。どこに行こうかも考えてなかったが、私の体は何処かへと向かおうとしてた。

 結局、二時間かけて向かったのが近所の海水浴場。寒さのせいか誰も海岸におらず、潮の匂いはこそばゆい。適当に自転車を止め、海岸に降りる。先から降り出した雪は、一人しかいない海岸をLEDのように飾りつけて、さも幻想的な空気を作る。

 そんな空気も、海からの強風で潮の香りと共に街の方へと流れていった。

 

 スニーカーに砂が入らないように、足を大きく振り上げて歩く。

 夏に来た時に、彼女は言ってた。波の音が嫌いだと。波は、近くまでやってきて、すぐにどこかへ行くから嫌いだと。いらない何かを運んできて、無責任に放り出すから嫌いだと。

 何も考えずに、ただ頷いていた私は、食べていたかき氷の味よりも、その言葉が鮮明に頭の中へと広がっていた。

 彼女の言葉を思い出しながら、閉じた口で反芻する。

 砂がコートにつくから座らない。波にも触れないし、海に入ろうとは思わない。

「私は、海から何かがやってくればいいと思う。魚だったり、海藻だったり、神様だったり。何も変わらないなんてつまらないじゃないか」

 抵抗もなく、口から出た言葉は海底にまで沈んだのだろう。波の音が小さくなった気がした。

 

 湿った砂と、乾いた砂を、交互に踏むように歩く。

 先から雪の重さは変わらない。コートに纏うようにつく彼らが、十二月にやってくるのは珍しい。クリスマスには降らなかったのに、この調子じゃあ正月にも降りそう。最高に性格が悪い奴らだ。

 地平線まで船は見えない。私が見渡す海の上には、誰も人間がいない。だからか、孤独を紛らわすように雪が蔓延してるのだ。

 ポケットが振動した。彼女が起きたのだろう。けたたましい着信音が海岸線に響く。画面には、歪んで写った私の顔。受話器を右にスライドして、スマホを耳にくっつけた。

「どこいるの」

 良かった、案外元気らしい。彼女の声と共に、何かを焼いてる音がする。

「コンビニに行ってるんだ」

「早く帰ってきてね」

 雪が積もるまでかかりそうだと踏んでいた電話は、雲が動くよりも早く切れてしまった。早く帰って、と言われたんだ。精一杯遊んで帰ろう。

 

 消波ブロックの上を器用に歩く。

 子供の頃、横断歩道の上の白い箇所を歩いていたことを思い出した。何も知らなかったから、何にでもれたあの時代は、今の私が欲しくて欲しくてたまらないものだ。彼女もそうだ、どこまでも純白で無垢だから、私は彼女が好きで、彼女の汚れる姿がたまらない。

 感覚のままに生きていたあの頃は、今よりもっとわからなくて、簡単で、戻りたいとは思えなくて、大人がテトラポットのように、脅威から身を守ってくれていた。フナムシが沢山這い回るここはお世辞にも綺麗とは言えずに、街を海から守っているのだろう。先端まで行くと、波が冷たい歓迎をしてくれた。帰ったら風呂に入る予定ができた。飛沫を何度も上げる波は、どこかで見覚えがあった。

「あ、」

 思い出したくもない彼と似ていたが、名前を出すのは躊躇した。

 結局口には出さなかった。

 

 コンビニでおでんを食べて家に帰った。行きに通った信号機にはうっすらと雪が積もっている。明日には、真っ白い埃でこの街は覆われているだろう。

「体調には気をつけないと」

 私の声は、静かな街に吸われてった。

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雪の季節 如月はじめん @kisaragi_hazimen

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