第34話 葵玲香②
ガンガンガン、と音がして小春と幸恵がびくりと動きを止めた。首を傾げる由流華の前で、鉄格子の方を振り仰ぐ。
見張りの男が鉄格子に寄りかかるようにして鉄格子を叩いているようだった。
「もうそんな時間か」
「とりあえずここまでにしようか。ほら、由流華も準備」
「え、う、うん」
よくわからないまま小春たちに倣って立ち上がる。
男のところにはののが行っていた。下の小さい扉が開いているのを見て、食事が来たのだとようやくわかった。空腹を自覚して、腹に手を当てた。
魔法の練習の初日としては、成果はあったと言えた。小春が属性魔法を習得したのもそうだが、ついさきほど幸恵も身体強化を発動させることに成功していた。
発動したての効果量は微々たるものだっただろうが、幸恵は手ごたえを感じているようだった。もともとスポーツをしていて体を鍛えている分身体の感覚には敏感なのかもしれない。鍛えたところ以外から力を感じるのはなんか気持ち悪いとも言っていたが、由流華にはよくわからない感覚だった。
しかし焦る気持ちは強くなっていた。魔法の練習は損になるわけではない。続けるべきだし、由流華ももっと力をつける必要がある。
だが、この調子でやっていればいつになったら脱出できるのかわかったものではない。たった数日かそこらで劇的に能力が上がるわけではないというのはさすがに理解しているが、なにか抜け道のようなものがないのかと考えてしまう自分がいた。
食事はパンにふかし芋だった。メニューとしては少ないが、それなりの量はある。
エンリケとしては、栄養失調などで病気になったり死なれたりしたら困るというのもあるのだろう。本人が死亡するようなことがあればギフトタグは消滅する。お世辞にも良い環境とは言えないが、まったく気を遣っていないというわけでもない。
それにしても、と食事の支度をしながら思う。由流華も含めて六名。転生者として身元もなくギルドに所属しているわけでもない自分たちを探す人間もいない。日本と違いこんな大胆な犯罪がまかり通るのだとしても、別の問題があるはずだ。
六人分のこれだけの食事を用意するのは、労力と金が必要なはずだ。家で食事関係を全て担当していた由流華からしても、決して楽なものではないだろうと思えた。
とはいえ、トーイロスの常識は由流華には一切わからない。こういったことが苦ではない何かがあるのかもしれないし、それは由流華には想像することはできないだろう。現実として食事は毎回用意されている、それだけだ。
「由流華はさ、しばらく地上にいたんでしょ?」
食事が始まるなりこう言ってきたのは玲香だった。由流華に話しかけてきているのに、幸恵が不機嫌そうににらみを利かせた。
また衝突しても、と思い玲香の問いに答える。
「うん、一か月ないぐらいだけど」
「どんなんだったか、話聞かせてよ」
「どんなんって……」
困る由流華に、ののがいいじゃんと柔らかく促してきた。
「ここの伝統みたいなのあってさ。みんなここに来た時に生前のことを話すんだよ。由流華の場合生前よりトーイロスの話の方が面白いだろうし話してほしいな」
玲香やののだけではなく、小春なども興味深そうな視線を向けてきていた。
うつむいて考え込む。話すかどうかではなく、何を話すかを考えていた。灯のギフトタグのことはやはり話せない。どうにか筋が通るようにしないといけないだろう。
顔を上げると、にやにやしている玲香と目が合った。目を若干逸らして、誰にでもなく頷く。
「わかった。あたしは灯っていう友達と一緒に転生して……」
考えながらなのでところどころつっかえながら話していく。
灯のギフトタグのことを伏せるとしても、ほとんどはあったことをそのまま話せばいいのだと気づいた。マリーから話を聞くまではそもそも転生の効果を知らなかったのだ。
結局、任務についていった先に絶域に入り、由流華を魔物から庇ってノエルが死亡したという話にした。話してから途中でノエルと別れたとか穏便な話にできたかもしれなかったと思ったが、既に話してしまった後だった。
しかしこれで良かったのかもしれないという思いもあった。ノエルは実際に死んだのだし、責任は由流華にもある。ノエルが生きているかのような話をするのはその責任から逃げているような気がした。
話し終えて、深く息を吐く。話の途中堪えきれずに何度か泣いてしまいそうになったが、どうにか話すことができた。
長い話になった。食事をしながら話をしていたのだがとっくに全員食べ終え片付けも済んでいる。いつもは食後は各々好きに過ごしているが、今日は由流華の話を全員が黙って聞いていた。
ぽん、と肩に手が置かれた。小春の手だった。
「……辛かったね」
「…………」
何も言葉にできずただ小春を見返す。
辛かった、といえば間違いなく辛かった。灯を失ったと思った日々は、由流華の心から色を奪っていた。それでも、ダイアナやノエルが接してくれたお陰で回復してきた。灯のいない人生を、生きていくと思えるようになったぐらいに。
実際には灯は生きていて、ノエルはギフトタグを奪い転生を果たすことなく死亡した。今は地下室に監禁までされていて、辛いことしかないともいえる。
だが、辛いとまとめるのはどこか違和感もあった。もう少し、違う言葉があるような……
「ま、辛いだろうね」
別のところから言ってきたのは玲香だった。
「由流華はこのままここにいた方がいいんじゃない?」
「……どういうこと?」
「だってさ、ノエルって人は由流華を庇って死んだわけでしょ? ギルドの人だって由流華を恨むんじゃないかな」
「……っ!」
玲香の言葉に、心に爪を立てられたように感じた。
痛みは感じるが、歯を食いしばって受け入れる。ノエルのギルドに恨まれることは仕方のないことだとわかっている。由流華さえ絡まなければ、ノエルは死なずに済んだことは間違いないからだ。
玲香の嗜虐的な眼差しは少し腹立たしいが、我慢はできる。幸恵の忠告がなくても何かすることもなかっただろう。
誰か話を流してくれないかなと視線を巡らせようとした由流華の耳に、玲香の次の言葉が届いた。
「灯だっけ。その人も、由流華のこと恨んでるかもね」
「…………」
灯の名前が出て、じろりと視線を向ける。心臓の鼓動が高まり、抑えはきかない。
灯が由流華を恨んでいるか。灯が死んだときは、そんなことが頭をよぎることがあった。なにしろ由流華は自分を優先して灯を見捨てたのだ。そのことだけは、会って謝らなくてはいけないと思う。
もしこのことで灯に恨まれ、嫌われていたとしても、仕方ないのかもしれない。けれど、由流華には確信していることがある。
顔を合わせ謝れば、灯はきっと許してくれる。由流華の居場所は灯の隣以外にありえないのだ。灯も同じように思ってくれていることを由流華は信じることができる。
もし――本当に万が一、灯との関係が修復できなかったとしても、生きてさえくれていたらそれでいい。一度死んでしまったと思ったからこそ、灯が生きているのならばそれでいいとも思えるようになった。
「由流華もすごいよね。灯にノエルに? こっちに来てから二人に庇われて、由流華だけは生き延びて。よっぽど誑かすのが上手なんだね」
「うるせえよ」
幸恵が玲香を制止するが、玲香はちらりとした視線を向けるだけで無視した。
「よかったね由流華、その二人が間抜けで」
「……何言ってるの?」
「だって、わざわざ他人を庇って死ぬなんて間抜けじゃなきゃなんなのって話だよ。むしろ由流華が二人を盾にして生き延びたって方がしっくりくるけどね」
「……そんなことしてない」
「ほんとかな? こういうのは正直に言った方が良いよ、こんなところでとりつくろったってしょうもないし」
「正直に言ってるよ」
「そ。うちはせいぜいあんたには気を付けるよ。灯やノエルみたいな目に遭いたくないからね。行こうか未那」
言うだけ言って、玲香は未那の手を取って立ち上がった。寝室の方へ歩いていこうとして、ふと振り返る。
「人殺し」
あざ笑うように言われて、頭の中で何かが切れる音がした。
気付くと立ち上がり、玲香の腕を握っていた。
「え、な、なに」
慌てる玲香に構わずに、全力で握り込む。玲香は呆気なく悲鳴を上げて、床に倒れ込もうとした。が由流華が腕を掴んでいるので半端に釣り上げられる格好になっている。
「痛い痛い痛い! 離して!」
「なにしてんのよ!」
未那も泡を喰って由流華を引きはがそうとする。その力はやけに非力で、由流華を動かすことはできなかった。
ぎりぎり、と握り込んだ腕から音が聞こえるようだった。このままいけばどうなるのか、そんなことはどうでもよかった。衝動だけが由流華を突き動かしていた。
玲香の表情が弱々しく歪んでいく。それを見ても何も感じない。全力で身体強化を入れることだけを考えてひたすらに握る。
「おい、止まれ!」
後ろから引っ張られてバランスを崩す。それでも玲香の腕は離さず、痛みにうめきながら由流華と一緒に引っ張られる。
由流華を引っ張った幸恵が、耳元で怒鳴りつけてくる。
「いい加減にしろ、やりすぎだって!」
「…………」
反応を返さないまま、ゆっくりと手に込めた力を抜く。自分でも不思議なぐらい、怒りの衝動が失せていた。
玲香は握られた腕をさすりながら、怯えた眼差しを由流華へ向けた。
「頭おかしいんじゃないの?」
言い捨てて、そさくさと寝室に消えていく。
残された未那は嫌そうな表情でつぶやいた。
「あんた目ヤバいよ」
未那も寝室へ向かっていった。それを見ながら、やや荒くなった呼吸を整える。
「玲香もやりすぎだけど、由流華も落ち着いてよ。あんまり揉め事起こされても困るよ」
「……ごめんなさい」
いさめるののに、頭を下げる。ののは苦笑して手を振った。
幸恵と小春はなんといっていいのかわからないとでもいうような困り顔を浮かべていた。二人ともその目には確かな怯えが走っているのが見えて、目を逸らす。
何かを言う気にもなれず、寝てしまいたかった。しかし今は玲香が寝室にいってしまっている。顔を見て何かを言われたら自分もどうなってしまうかわからなかった。
地面に目を落として、大きく息を吐く。
握り込んだ拳には、確かな手ごたえが残っていた。
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