一番綺麗な花

青篝

短編です

ある春の日のこと。

一人の男性がこの世を去った。

男性はまだ27歳という若さで、

妻と4歳の娘を遺したまま、

癌との闘いに敗れたのだ。

男性はとても誠実で優しく、

誰からも慕われるような

素晴らしい人間だった。

男性の通夜が行われると、

親族をはじめとして、

学生の頃の同級生や会社の部下上司、

合わせて50人近くが集まった。

男性の希望に沿って

小さな規模で執り行おうとしたが、

あまりの人の多さに

会場を変えざるを得なかったほどだ。





通夜が始まると、

人で溢れ返るような会場は、

啜り泣く声で飽和していく。

目元にハンカチーフを当て、

喪服にシワを作り、

ティッシュで鼻を拭う。

だが、そんな大人達に囲まれて、

一人だけ不思議そうに

顔を傾げる女の子がいた。

言わずもがな、男性の一人娘である。

まだ4歳の少女は、

自分がいる状況を理解できていないのだ。

隣りにいる母親を見上げても、

母親はただ涙を流すばかり。

周りを見渡してみても、

母親と同じように泣いているだけ。

皆がどうして泣いているのか、

少女には分からない。

少女は、生前に父親からもらった

綺麗なたんぽぽ形の髪飾りを髪から外し、

前髪が目にかかるのも気にせずに

それを指先で弄びながら、

お坊さんが読んでいるお経を

何となく聞いていた。




お坊さんが帰ると、

大広間に豪華な食事が並ぶ。

その一番端っこに置かれた

子ども用のランチの前に座り、

少女はマイクを握る

母親のことを見ていた。


「夫は、そんな私にも、

優しく、思いやりを持って、

暖かく私に、寄り添ってくれました。

本当に、本当に、どうして、

夫が先に、逝ってしまうのでしょうか……」


嗚咽混じりに言葉を発する母親を、

誰も咎めることはしない。

ここにいる誰もが

男性の死を残念に思っている。

癌が発見されてから約半年。

その短い時間で

男性の死を覚悟するなど、

誰にも出来なかった。

無論、少女に至っては、

いつお父さんは仕事から帰ってくるのかと

母親に聞いてしまっていた。

その度に母親はもうすぐだよと誤魔化し、

男性は愛する家族がいる家に

帰ることなく、亡くなった。


「ねぇ、桜ちゃん」


その場に泣き崩れて

立てなくなってしまった母親を

親族も泣きながら抱き締める。

そんな母親を不安そうに

少女が見つめていると、

一人の女性が話しかけてきた。

長い黒髪がとても綺麗な

喪服の似合う女性だった。


「お父さんはね、

とっても優しくて、

とっても素敵な人だったよ」


目元を真っ赤に腫らした女性は、

そう優しく少女に話す。

高校生の頃から一緒で、

就職先も男性と同じだったという彼女は、

幼い少女に言い聞かせた。


「あなたのお父さんはね、

顔は普通だったけど、

学校でも職場でも皆から好かれるような、

とても真面目で暖かい人だったよ。

彼のことが好きだった人も

たくさんいたし、

ここだけの話、私もそうだったんだ。

でも残念ながら、彼はずっと

あなたのお母さん一筋で、

他の人が付け入る隙なんてなかった。

その一途さも、彼の魅力の一つかな。

2人が結婚した時なんて、

祝福以外の言葉をかける人を

私は見たことがなかった。

それほどまで、2人はお似合いだったし、

いつか結婚するって分かってたから。

初めての子どもが、

桜ちゃんが産まれた時は

当の本人達よりも私達の方が

飛び上がって喜んでたのを

今でもよく覚えてる」


彼女は一気に語ると、

近くにあったグラスに

瓶に入ったオレンジジュースを注ぐ。

それを少しだけ飲んだ後、

少女の前に差し出した。

大の大人がこんなことを言っても、

まだ4歳の少女には

彼女の話は理解できない。

急に渡されて疑問に思うも、

少女は無言で受け取り、

コクコクとジュースを飲む。


「本当に、早かったなぁ…。

いい人過ぎるって…」


男性の納まっている棺の方に

遠い眼差しを向けながら、

彼女は再び涙を浮かべる。

少女は彼女の言葉を

今度は理解できた。


「いい人だと、ダメなの?」


少女の言葉に彼女はハッとして、

ハンカチーフで目元を拭うと

無理な笑顔を作って

少女に一つの話を始めた。


「桜ちゃん。私のお家の庭にはね、

たくさんの綺麗なお花が咲いてるの。

そのお花畑の中で、

好きなお花を1輪だけ

持って帰っていいよって言ったら、

桜ちゃんはどんなお花を選ぶ?」


少女は想像した。

広い庭に咲き誇る、綺麗な花達を。

いつしかテレビで見た、

どこまでも続いていく綺麗な花畑。

赤、白、黄色のチューリップ。

太陽に向かって顔を咲かせるヒマワリ。

保育園で育てているパンジー。

道端で元気に揺れているたんぽぽ。


「う~んとね…」


持っていたジュースをイスの上に置き、

両手を頭に乗せて

少女はうんうんと唸る。

そして、前髪を留めている

たんぽぽ形の髪飾りに

手を触れながら無垢の笑顔で言った。


「一番綺麗なお花!」

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一番綺麗な花 青篝 @Aokagari

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