三燦華(サザンカ)

鹿助 裕亮

第1章 叶わぬ願いと精霊の女王

プロローグ

これは過去の一場面。一つの事象。一つの可能性。




(***)


 目の前に広がる光景。変わり果てた光景。友人の家も、なじみの商店も、昔遊んだ公園も何もかも破壊されている。

 覚えのある、だけど馴染みのない匂いがする。肉の焼ける匂い。肉。人の肉。

 僕は歩みを進める。頭の中には悪い予想しか浮かばない。しかし確かめなくちゃいけない。僕は機械的に足を動かす。

 名前を呼ぶ。父の名を、母の名を、友人、知人の名前を。町は大きくはない。全員知っている。血は繋がってはいないがみ、僕はみんなを家族同然と考えていた。

歩きながら動かない人をたくさん見つける。強面の大工の棟梁がいる。禿頭の酒場のマスターがいる。優しい笑顔でみんなを見守ってくれた先生がいる。パン屋の看板娘がいる。顔が潰されていてもバラバラにされていても焼かれていても判別できる。一人一人の特徴を僕は覚えている。それを一人一人確認する。ここに誰がいるのか、誰がいないのかを確かめる。すぐに感情は死ぬ。自分の心を守るために。町の惨状で動揺している場合ではないから。町のみんなは家族同然だけど、僕にとってもっと大事なものがある。

僕は歩みを進める。頭の中では最悪の事態を考えている。

だけど最悪とは何だろう。町にとって、僕にとって、世界にとって。

 家にたどり着く。町の最奥、小さな山に建てられた神社。町と同じように人が死んでいる。しかし死体の様子は町とは異なる。鳥居に吊るされた人、狛犬と並べられた生首。町にはない見せしめの要素がある。最悪の予想は現実となる。賊の目的はここだ。ということは、これはただの盗賊の仕業ではない。

 僕は名前を叫ぶ。妹の名前を。世界で一番大事な人の名前を。

 どこからも返事はない。犬の声も鳥の声もしない。動くものの気配を感じない。自分以外の世界が終わってしまったような錯覚を覚える。

 そして神殿で目をそむけたくなるような拷問を受けた男女の死体を見つける。父と母だ。

 妹の姿はない。他にも妹と同じ巫女の姿がない。

 目的は妹だ。そして巫女としての妹の力だ。

 僕が産まれた理由。妹を守ること。それを果たせなかったことを理解する。

 僕にとっての幸福な世界が終わったことを理解する。

 

いや、まだだ。

まだ妹は死んでいない。そう感じる。確かに。間違いなく。

僕は自分に言い聞かせる。そうだ。僕がこうして生きていることがそれの何よりの証左だ。僕は妹を守るために生まれてきた存在だ。ぼくが生きているということは、そういうことだ。僕にはまだやるべきことがある。


 四年前、人生の分岐点。




(****)


「後戻りはできないよ。だけど君の望む力は手に入る」

 悪魔のような提案をするコイツは悪魔ではない。悪魔は僕の敵でこれは悪魔を倒すための手段だ。構うものかと、僕は右手を差し出す。

 では悪魔に対抗する術を提供するコイツは、天使の類か? いや、それも違う。コイツはそんなに高貴なものではない。本人もそう言っていた。詳しくは僕の頭では理解できない。するつもりもない。なんでもいい。今の僕に必要なものは力だ。それがどんなものであれ、純粋に力がいる。

 僕は自分のために、コイツも彼自身のために契約を交わす。

彼が差し出すのは彼の技術の結晶だ。彼が数百年を費やし編み出した秘儀。悪魔と戦うための術。

僕が差し出すのは僕の体。健康で屈強な肉体。兄とは違い地位も金もないから、今の僕が差し出せるのはこれくらいしかない。

 どうも彼にはそれがちょうどよかったらしい。利害の一致。ウィンウィンの関係。

 しかし彼は最後の確認をとる。

 後戻りはできない。

 僕は自暴自棄だろうか。

 自分の無力さに嫌気がさして、それでもあきらめきれなくて、外法の力に頼ろうとしている。そんな自分が許せなくて、何かしらの代償を求めている。そんな気もする。

 姉の笑顔を思い出す。僕の唯一の理解者。不貞の血が流れる僕に優しくしてくれた人。厳しくしかってくれて人。僕が家族と思える唯一の人。好きな人。

それを取り戻すために手段は選んでいられない。

 僕もコイツも結局は自分が大事だ。僕は僕の目的のために彼の秘儀を利用する。彼は彼の秘儀の完成のために僕の体を利用する。この行為は徹底的に自分のためのものだ。すべての責任は自分自身にある。

「望むところだ。頼むぞ、相棒」

 これから長く使うことになる言葉を初めて口にする。

 相棒は少しぽかんとしてから答える。

「相棒ね。人間とコンビを組む日が来るとは思ってなかったよ」

 相棒がニッと笑う。心底楽しそうだ。僕もニッと笑う。これは半分強がり。

ふたりして邪悪な顔。

 だけどコイツは信用できる。たとえ何があっても大丈夫だろう。


 一年前、人生の分岐点。




(***)


 狼は集団で狩りを行う。

 リーダーを中心とした集団。所属する狼にはそれぞれに役割がある。探索、偵察、追跡、陽動。最後にとどめを刺すのはリーダーの役割だ。完璧なコンビネーション。完璧な集団。

『狼』もリーダーを中心とした最高の集団だった。私はそのメンバーの一人としていられたことを誇りに思う。

ゴミクズのような世界から抜け出し、一人で活動していた時に声をかけられた。実力を認められたのだ。誰かと組む機などなかったがそれが『狼』の勧誘でということならはなしはべつだ。私は二つ返事で快諾した。

 完璧なリーダーに従うことで得られる最高の報酬。一人では成しえることができない大きな成果。充実した日々だった。人生最高の日々だと思っていた。

しかし、それも今となっては価値のないものだ。私は群れを離れた。

 何故、彼女は命を落としたのだろう? そんな必要はなかったはずだ。それは彼女の所為ではない。誰の所為か? 考えるにそれは群れを率いたリーダーの所為ということになる。しかし、彼の選択は組織として正しかった。皆はそう言う。私もそう思う。それは正しい。感情を挟まずに論理的に考えると。その結論にしかならない。

しかしその正しさを私は受け入れられない。私たちは尻尾を切り落として生き延びるトカゲではない。何も切り離さない。誰も見捨てない。彼の力があればそれができたはずだ。あの場面で彼女を切り捨てる必要はなかったはずだ。仮定だけが頭を駆け巡る。

『狼』は完璧な集団だった。なぜそれが、一人を失うことになったのか。突き詰めれば、それは『狼』の頭脳である私の責任だということになる。

 彼女が死んだのは私の所為だ。

 私は組織を離れた。組織を許せなかった。組織に所属する自分を許せなかった。

「君は戻ってくるよ。ここ以上に君の能力を発揮できる場所はない」

 去り際の私にそう言うオオカミは、完璧な予言者でもある。私は『狼』に戻るつもりはないとはっきりと伝える。その予言は外れると。

「歓迎するよ。二人で戻っておいで」

 しかし、オオカミのこの言葉が予言であるなら。私の望みは達成されるということだ。


二年前、人生の分岐点。




(*******)


 視界が赤に染まる。血の色。でも私の血じゃない。

 目の前で人が倒れる。一人、二人。

 信じられない光景に思考が固まる。認識はしているけど理解ができない。何かしなきゃいけないのに動けない。

 悲鳴。大型の肉食獣の爪が友人を切り裂く光景が目に入る。スローモーションで血の花が散る。

「メグ!」

 その光景で我に返る。叫ぶと同時に肉食獣は消える。

「メグ!」

 もう一度彼女の名前を叫び、倒れている少女に駆け寄る。

 大きく開いた瞳と引き裂かれた体を前に立ちすくんでしまう。何とか手を伸ばし、触れる。手が血に染まる。

 動かない。呼吸がない。

 いや、そんなことは触るまでもなく分かる。肉と内臓を裂かれている。どうみても死んでいる。

 なぜ。なぜこんなことに。

 私がこの地で死ぬことはない。ここでは私は守られている。だから私と一緒にいれば危険はない。それは当たり前のこと。私が悲しむことは決して起こらない。それがここのルールのはず。

 少し目を離しただけで、少し意識を外しただけでそのルールは簡単に破られた。

 その事実を初めて知る。

 やりすぎたのだろう。力を過信して乱用した。

 ごめんなさい。次からは気を付けます。

 けど。けど、これはその代償としては大きすぎんじゃない?

 メグをここに連れだしたのは私だ。護衛もつけずに山奥の湖まで来たのも私の意志だ。

 メグは私の友達。大切な友達。

 どうして私の失態のツケをメグがはらわなきゃいけない?

こんな事実は受け入れられない。

 そんなの私は認めない。許さない。

 遠くから人の声が聞こえるような気がする。けど今はそれどころじゃない。間違った現実を戻さなきゃいけない。なんとしてでも。

私にはそれができる。私にできないことなんてない。どんなことでもやってみせる。当たり前に。

 だって、私は精霊の国の女王だ。

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