幸福の温度

和泉

01 可愛い紅茶

「ご注文はお決まりですか?」


 切れ長の黒い瞳に見つめられた少女は恥ずかしそうに俯き、躊躇いがちに「まだです……」と呟いた。

「では決まりましたらお呼び下さい」

 極上の甘い微笑みと低音ボイスで囁き、会釈した後その場を去って行く。

 此処は、繁華街から少し離れた脇道沿いに建っている、個人経営の喫茶店。店内はアンティークな雰囲気で統一されていて、カウンター5席、テーブル6席というこじんまりとした造りだ。

 辺鄙な場所にも関わらず客足に困らないのは、此処を運営するマスターと唯一の店員のおかげだろう。

 喫茶店『rencontre』のマスターは名を倉沢くらさわ瑠惟るい。5年前、此処を経営していた両親を失い二十歳の若さでマスターとなった。黒髪であるにも関わらず、光の角度によって緑にも見える瞳の色は何世代か前のイギリス人の血縁が瞳にだけ隔世遺伝したものだ。丸く大きな目が彼を実際の年齢よりも幼く感じさせる。可愛らしい顔をしたこのマスターは、お人好しとしか言えない性格が外見にも現れていて、柔らかい雰囲気を纏っている。

 そして唯一の店員の名を宇佐美うさみ絋夢ひろむ。長身な上に人目を惹く緋色の髪、切れ長の黒い瞳に、女性受けの良い甘いマスクと目立つ特徴をこれでもかと言うほど兼ね備えている。現在23歳の彼は、高校時代からここでバイトし、今に至っている。

「また誘惑したの?」

 頬を赤らめている女子中学生を見てくすくす笑ったマスターを一瞥し肩を竦める。

「絋はねぇ居るだけで人を惹き付けるから参るなぁ」

 くりくりっとした瞳を見返して、絋夢が不意打ちで口付けた。

「ちょっと絋夢っ」

 慌てて離れた瑠惟に、意地悪く微笑む。

「ルイは隙有りすぎ!」

 言いながら、カウンター越しに引き寄せようとしたところで先程の中学生に呼ばれた。

「残念」

 舌打ちして引っ込めようとした腕を瑠惟が叩く。

「ったく仕事しろよ」

 言われて振り返り、何事も無かったかのように歩いていった。

 絋夢の後姿を見送り、厨房に引っ込もうとしたところで名を呼ばれる。

「ルイ、ちょっと」

 手招きされて、首を傾げながら歩いてきたマスターを見上げた少女が、柔らかく微笑まれて照れたように再び俯いた。

「どうしたの?」

 隣の絋夢に尋ねると、メニューを指差す。

「飲みやすい紅茶」

 絋夢から告げられた台詞に頷くと、少女を見つめて「ミルクはお使いになりますか?」と尋ねた。

 少女が首を左右に振ったので、「じゃあ可愛い紅茶を淹れますね」と微笑む。

 この喫茶店のメニューには、瑠惟の両親が紅茶好きだったことが要因して多種類の紅茶が載ってる。それで稀に何を選んでいいのか分からない客が、こうして店員に尋ねるのだ。

「あとの注文宜しく」

 小さく隣人に囁き、一人厨房に戻った瑠惟は紅茶を淹れる準備を始める。それを見送りながら、絋夢は「他にご注文はありますか?」と尋ねた。

「あ……えと、紅茶だけで」

 あたふたと答えた少女は続けて「可愛い紅茶って何ですか?」と訊いた。

「それは出来てのお楽しみ」

 甘い微笑みに、真っ赤になった少女を面白がりながら見つめ、絋夢もカウンターへと戻っていく。そこにはティーコジーを被せたポットの前に佇む瑠惟の姿があった。

「何を作ってるんだ?」

 尋ねると、微笑みが返ってきただけで、答えはくれなかった。

 充分に茶葉を蒸し、カップのお湯を捨てた後、紅茶を注ぐ。

 甘い香りが辺りに拡がった。

「苺だ……」

 絋夢の言葉に頷き、角砂糖の入った可愛らしい容器とソーサ、銀色のスプーンが置かれているトレイに紅茶を注いだカップを乗せる。淹れたての紅茶を運ぼうとした絋夢の動きを瑠惟が制した。

「おれが持ってく」

 トレイを持ち、少女の前まで来ると、音を立てないように紅茶を置く。

「甘い匂い」

 瑠惟を見上げた少女に、「ストロベリーティーです」と言いながら微笑んだ。

「これが可愛い紅茶?」

 問い掛ける少女にふんわりと頷く。

「甘い香りに滑らかな舌触り、苦みのないオススメの紅茶です。お砂糖はお好みに合わせてご利用下さいね」

 にっこりと笑いながら頷いた少女に「ごゆっくり」と声をかけてテーブルを後にした。

「あれが可愛い紅茶?」

 戻ってきたマスターの腰に腕を回しながら耳元で囁く。

 瑠惟は絋夢の腕を払い除け、「ストロベリーって可愛くない? あの甘い香りとまろやかさ、おれ大好きなんだ」と笑った。

 絋夢は払われた腕をめげずに絡めて引き寄せ、「おまえの方が可愛い」と耳を舐める。驚いて飛び退くと、「店ではやるなって言ってるだろ?」と怒鳴った。それに対して紘夢は「ヤってはいない」と笑って答える。

「ひろっ!!」

 再び怒鳴った時、紘夢がちょんちょんと後ろを指差す。不思議に思って振り返ると、先程の少女が財布片手に不思議そうな顔で見つめていた。

 少女にいつもの笑みを浮かべると、「お味は如何でしたか?」と尋ねる。

「とても……美味しかったです」

 少女の返答に、今まで以上に優しい微笑みを返した。



 ちょっと僻地に位置する喫茶店。初めて訪れた少女が、友達と再び訪れたのはそれからまた何日後かのお話。

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