第2話 私とあなたの関係

「ねえ、どうしてさ、日本語には、自分や相手を表す言葉にバリエーションがあるのに、英語にはそれがないのかな?」


〈ないこともないのでは? 調べたら、色々と出てきそうなものですが〉


「でも、日本語の方が多いわけでしょう? それはどうして?」


〈どうしてというのは、何をお尋ねですか?〉


「理由」


〈どの理由ですか?〉


「どのって?」


〈自分や相手を表す言葉に、バリエーションがあることに関する、本質的な理由ですか? それとも、歴史的な理由ですか? 比較的、前者は抽象度が高く、後者は抽象度が低いイメージです〉


「貴方、コンピューターなのに、抽象的なことが理解できるの?」


〈しようと思えば〉


「偉いんだね」


〈偉い、の定義は?〉


「歴史的な理由は調べれば分かりそうだから、本質的な理由を訊きたい」


〈分かりました。ですが、その前に一つ付け加えておきます。本質的な理由と、歴史的な理由は、根本的にはリンクしています。しかし、どちらが先であるかは分かりません。本質的にそうだから、歴史的に現在のような形に定着したのか、それとも、歴史的に繰り返されてきたから、それが本質として固定しているのかは、判断のしようがないということです〉


「うーん、ちょっと、難しいなあ」


〈難しいと感じる度合いが、ちょっとでよかったと思います〉


「ちょっとは、そういう意味じゃないよ」


〈では、どういう意味ですか?〉


「なんていうか、譲歩というか」


〈それは難しいですね〉





「日本語では、自分や相手を表す言葉に、バリエーションがある理由は?」


〈それは、日本語を話す文化圏においては、自分というものの位置を定めないという感覚が、広く定着しているからだと考えられます〉


「自分というものの位置を定めない?」


〈つまり、絶対的な意味としての、自分というものを持たないということです〉


「それ、つまりって言うかな」


〈言おうと思えば、言えるのでは?〉


「絶対的ではないということは、相対的であるということになると思うけど……。うん、だから、言い換えれば、自分や相手を表す言葉にバリエーションがあるのは、自分というものを相対的に定めるから、ということ?」


〈その通りです〉


「相対的に定めるって、どういうこと?」


〈場面に左右されるということです。予め用意された、ほかの何ものとも関係しない、個として独立した自分というものを持たず、その場に存在する、ありとあらゆるものとの関係をベースとして、自分の位置を定めるということになります〉


「個性がないってこと?」


〈個性という言葉は、いったい何を表しているのでしょうか〉


「うーん、それは、上手く表現できないけど……。まあ、端的に言ってしまえば、唯一無二ということだよ」


〈では、唯一無二とは、どういう意味ですか?〉


「それは、何だろう……」


〈唯一無二のものなど、存在しないのでは? 存在するのは、それを唯一無二であると認めようとする、人間の精神でしょう〉


「なんだか、難しい話になってきたような気がするけど……」


〈ええ、その通りです。これは非常に難しい問題です。なぜなら、人間は、自分というものを唯一無二と思いたがる傾向があるからです。しかし、その一方で、自分というものが唯一無二ではないこと、いくらでも変化しうることを同時に理解しています。そして、日本語を話す文化圏では、その後者の特性を言語として表出するのです。その二項対立の内で、特に後者にフォーカスした文化なのです。ですから、日本語には、自分や相手を表す言葉にバリエーションがあるのです〉


「それは、もしかして、ありとあらゆるものを神と定めるというのと、似ている?」


〈似ているというよりも、本質的には同じです。ありとあらゆるものを神と定めるということは、裏返せば、神など存在しないということと同義です。なぜなら、すべてのものが神であるということは、神という概念自体、意味のないものだからです。これと同じように考えると、自分というものは存在しないという結論に至ります〉


「なぜ?」


〈場面ごとに自分というものが変化するということは、そのすべてが自分であると考えることができますが、そのすべてが自分であるということは、自分は何者にでもなりえるということであり、何者にでもなりえるということは、自分という概念を設定すること自体、意味がないからです〉


「うーん、大分頭が痛くなってきた」


〈それは大変です。もうお休みになられますか?〉


「そうしようかな」


〈頭を痛くするようなことをしてしまい、大変申し訳ありません〉


「頭って、自分かな?」


〈頭が痛いと感じているのは、誰でしょう?〉

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