幕間Ⅰ ジョート家
その子供はジョート家の屋敷の裏にいた。
黒髪黒目というジョート家領があるパニエラ王国では珍しい容姿のその子を、ジョート家領主のレット・ジョートは何故かは分からぬが育てようと思った。
「レット、その子は……」
「ミカ、屋敷の裏にいたんだ。私はこの子を育てたいと思っている」
「まあ、いいじゃない! 私、大家族に憧れていたの!」
レットの妻であるミカも快く了承してくれたこともあり、その子供はクナンと名付けられ、ジョート家で育てられた。
家族の中で一人だけ容姿が違うことやクナンだけ他の子供に比べやや劣っているところをクナンが気にしないか、レットが心配していた頃もあったが、それは杞憂に終わった。
「父さん、クナンと先日話していて思いついたのですが――」
「父上、クナンと少し森の方に行ってきます」
「父さん! クナン兄さんが言ってたヒンシュカイリョウってものに挑戦させてくれませんか?」
「パパ、見て見てー。これクナンお兄ちゃんが作ってくれたのー」
ジョート家の子供たちはクナンによく懐いた。
どこから得たのか分からないが、時折、子供かと疑うほどの知識と大人びた考えを出すクナンに惹かれたのだろう。
レットもミカも、ジョート家に長い間使えるバトラーもクナンには一目置いていた。
ジョート領を継ぐのは長男のケンだろうが、クナンにはそれを横から支える立場について欲しいと考えていた。
そして、願わくば家族全員誰一人欠けることなく笑える未来を望んでいた。
だが、その未来が来ることは無かった。
*
朝、ジョート家の食卓には一人分の空席があった。
昨日までは当たり前にいたはずの一人の少年がそこにいない。
「今、なんと言ったの……?」
「クナンは昨夜、家を出た」
愛する妻の言葉に、レットは坦々と告げた。
「い、家を出たってどういうことですか?」
「言葉の通りだ。クナンは我が家と領地の状況を正確に把握していた。その上で、自ら家を出た」
カラクの言葉に長男のケンと長女のミキ、そして母のミカは察したのだろう。
苦虫を噛みつぶしたような表情で視線を下げる。
「あなたは、止めなかったの?」
「……すまない。私には止められなかった」
レットの悔いるような表情に、ミカは顔を真っ赤にしながらレットに近づき、そしてその頬を力いっぱいビンタした。
「……すまない」
言い訳することもないレットの姿を目にし、ミカはその場に崩れ落ちる。
ミカ自身、レットが悪くないことなど分かっていた。それでも、クナンの母としてそうせざるを得なかった。
それと同時に、レットの悲壮に満ちた表情からクナンがもう戻ってこないことを察し、涙をこぼした。
父の言葉を聞き、母親の涙を目にしてクナンの兄弟たちも漸く状況を理解する。
クナンの妹のミクは母親につられて涙を流し、弟のケントは呆然としていた。
長男のキースはクナンがそこまで思いつめていたことに気付けなかった自分を責め、そして長女のミキは部屋を飛び出した。
「ミキ!」
父親が呼ぶ声を無視して、ミキは走る。
そして、その足で森の方へと向かった。
ミキの心はざわついていた。
ミキはその実力を買われ、子供でありながら兵士に混じって魔獣の討伐作戦に参加することがある。
特にここ数日は街の中の冒険者の数が減ったことで、ミキたちの仕事は増えていた。
そのことをミキはクナンに漏らしていた。
その時、クナンがやけに思いつめた表情をしていたのだ。
もしミキの予感が当たっているならばクナンはその身で森に行っているはずだ。
家族のために家を出る選択を出来てしまうクナンならやりかねない。
だからこそ、ミキは森の方へと駆ける。
もう間に合わないかもしれない。それでも、ミキにとってクナンはかけがえのない弟だった。
「なにこれ……?」
森の入り口に着いたミキの目に飛び込んできたのはいくつかのブラビットの死体と乾いた血だまりだった。
何より気になったのはブラビットの死体が森の奥の方へ点々と続いていることと、ブラビットの死体の口にある短くて黒い髪の毛のような毛だった。
ジョート家領に黒い髪の毛の人間は一人しかいない。
どんどん鼓動を早める胸を手で抑えながら、ミキは衝動のままにブラビットの死体が導く先へ走り出す。
子供が一人で森に踏み入れるなどあってはならない。
ましてや今のミキは家を出る前に剣こそ持ったもののそれ以外は碌な装備を整えていない。
それでも、居ても立っても居られなかった。
そして、遂にミキは足を止める。
そこは木々に覆われており、陽の光が殆ど入り込まない薄暗い場所だった。
そこにブラビットの亡骸がいくつも転がっている。
ブラビットの亡骸には目もくれず、ミキは目の前の光景に気が遠くなりそうになりながらもよろよろと一本の木に向けて近づいて行く。
木の根元には一本の短剣が転がっていた。
それはミキがクナンにプレゼントしたクナンの名が彫られた短剣だった。
その短剣が既に乾いた血だまりの上にポツンと置いてあった。
他には何も残っていない。
ただ、その血の量を見る限り短剣の持ち主がどうなったかは容易に想像がついてしまった。
「嘘よ……嘘……ッ! あああああああ!!」
涙を流しても、もう自身に微笑みかけてくれる弟の姿は無い。
唯一遺された短剣を抱きしめながら、ミキは森の中で泣き続けた。
*
この日を境にジョート家領は少しづつ持ち直していく。
その立役者が後にジョート家の天才たちと評されることになる
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