第7話 一回目の人生 リンディは6~10歳


 母親を殺した……?


 デュークの衝撃の発言にフローラは絶句し、ただ次の言葉が発せられるのを待った。


「……妻、ナタリアには想いを寄せる男性がおりました。私の従者です」


 奥様と旦那様の従者が!

 小説の様な話に、フローラは息を飲む。


「妻は離縁を申し出ましたが、私はそれを許しませんでした。不義の末に愛人を選び、幼い息子を捨てたとなれば、妻は一生表を歩けないからです。私は従者を追い出し、彼女を部屋に閉じ込めました。思いつめた妻は、二年前自ら命を絶ち……その姿を最初に発見したのがルーファスでした」


 幼い子供が、母親の自死を目撃する。それはどれ程の衝撃だったか……想像に難くない。


「離縁し此処から出してやれば……妻は死なずに済みました。私は結局、ただ妻を許せなかっただけなのでしょう。人の心など縛れるものではないのに。私が間接的に殺したも同然なのです」

 デュークの瞳が更にかげる。


「ルーファスは母親の不義を知らないでしょうが、私が部屋に閉じ込めた為に亡くなったことは理解しています。きっと私を恨んでいるでしょう。彼にどう接すれば良いか分からず、ここまで来てしまいました」



 ……ポタリ

 あれ……私、泣いてるの?


「……何故泣いているんですか?」

 彼は目を見開きながら私に尋ねる。

 本当に、何で泣いているのかしら。

「分かりません……だけど、貴方はどうされていたのですか?」

「どうされて……とは?」

「誰かにすがったり頼ったり共有したり慰めてもらったり……抱き締めてもらったり、その様なことが出来ていたのですか?」


 涙の理由わけが分かった。同じく夫に不義を働かれた自分と、この人を重ねていたからだ。

 人生明るく前向きがモットーの自分だが、心の内には表せない傷を抱えていたのだ。

「夫が愛人と出て行った時、私にはリンディが居ました。ご存知の通りあの子は個性的ですが、私を愛し沢山抱き締めてくれたのです」



 そうか……この女性ひとも。

 デュークは目を伏せ答える。

「私は……全て一人で対処しました。家門の為、息子の為に強く居なければなりませんでしたので」



 髪の毛から爪先まで。全身で泣いている様なデューク。

 気付けばフローラは、彼を抱き締め……いや、がしっと抱き付いていた。

 咄嗟の圧迫感に、デュークはぐえっと変な声を出す。

「がの(あの)……」

「私が抱き締めてあげます。よく頑張りましたね」



 ふっ……ふっ……

 デュークの胸が震え出す。


 あら、泣いてしまったかしら。

 フローラは腕を緩め、彼を見上げた。やはりルビー色の瞳には涙が浮かんでいる。そして……

「ふっ!ははははは」

 彼は大声で笑い出した。


 涙を拭って差しあげようと取り出したハンカチをそのままに、フローラはぽかんとそれを見つめる。

 やがてはあはあと息を整えると、デュークはフローラの肩に優しく手を置いた。

「……ありがとうございます。でも、ご心配なく。貴女方母娘がこの屋敷に来てから、私はとても楽しいのです」


“楽しい”

 その言葉が、フローラには嬉しかった。

 自分の生き方には誇りを持っているし、リンディも自分にとっては魅力満載の子供だけど……

 お前達は何か違うと、周りに壁を作られていることを知っていたからだ。



「フローラ・フローランス嬢。私はリンディだけでなく、貴女のことも結構気に入っているのですよ。抱き締めて頂けたということは、私も嫌われてはいない様ですし……この話、真剣に考えて頂けませんか?」


“好き”も“愛してる”もないプロポーズ。

 だけど、自分達母娘を“楽しい”と受け入れてくれたプロポーズ。

 ニ度目の結婚だもの。こんな形もありじゃない?

 フローラの中の好奇心が、むくむくと顔を出す。


「お返事はいつでも……」

「お受けします」

「え?」

「そのお話、ありがたくお受け致します」


 大丈夫、きっと幸せになれる。

 それに……私も結構、この人のことを気に入っているのだもの。

 前向き過ぎるフローラは、12年後の悲劇を描くことなど出来ずにその手を取った。


「ありがとう……だが一つ、貴女に了承を頂かねばならないことがあります」





 ◇


 三ヶ月後──

 クリステン公爵家の所有する神殿で、ささやかな結婚式が行われた。


 白いドレスに身を包んだ母を、リンディはルーファスの隣で、顔を輝かせながら見つめる。

 その母の手を取るのは、同じく白い礼服に身を包んだカラスの坊っちゃまのお父様。


 思わず駆け寄りそうになるリンディの手を、ルーファスはぎゅっと握り囁く。

「ここで絵を描いてもいいよ」

 おいでと言う風に、ぽんぽん叩かれる膝。

 リンディは笑顔を浮かべルーファスの膝に座ると、スケッチブックを広げ、指輪を交換する二匹の白い山羊ヤギを書き始めた。




 式が終わり、ルーファスと手を繋ぎながら屋敷の庭をスキップするリンディ。

 小さな身体が上下する度に、ワンピースの白いレースがふわふわと膨らむ。

「……白鳥みたい」

「白鳥?」

「君はカラスより、白鳥になる方が早いかもしれない」

「そうなの!?」

「うん。どっちになるか、選ぶのは君の自由だけど」

「どうしようかなあ、ねえ、白鳥も綺麗?」

「どうだろう。新しい図鑑に載っていたから、見せてあげる」


 陽の光にキラキラ輝く青い瞳。

 本当にこんな白鳥が居たら綺麗だろうにとルーファスは思う。

 はしゃぐリンディのスキップは更に激しくなり、繋いだままのルーファスの手はぶんぶん振られ、今にもげそうだ。


「そうだ……僕達は今日から兄妹になるんだね」

 聞き慣れない響きに、ピタリと動きを止めるリンディ。

「きょうだい?」

「年齢的に、僕がお兄さんで君が妹。君の呼び方は……リンディのままでいいか」

「うん!リンディはリンディのままだよ」


 よく理解していないくせに、にこにこ笑う……義妹。

 何だろう、何か、もやもやする様な、ぎゅっとする様な……そして怖い様な。この気持ちは何だろう。



 ある日突然、目の前に現れた小さな女の子。

 カラスと呼ばれて、何故か昼食を一緒にとらされ、膝に乗られた。訳が分からないまま一緒に過ごす時間が増え、気付けば兄妹になっていた。


 でも……彼女がコップを倒さない様に、しっかりご飯を食べる様に、色鉛筆に汚れた手をちゃんと洗う様に、時間までに自分の部屋に戻る様に。

 そんなことに気を配っていたら、いつの間にか、あの暗い闇が現れなくなった。

 自分の全てを飲み込む暗くて冷たい闇。

 飲み込まれない様に、心を空っぽにしていたのに。


 ……だから、彼女と一緒に居るとすごく楽だった。



「カラスのお坊っちゃまは、カラスのお兄様になるの?」

「どっちでもいいよ。好きな方で」

「どうしようかなあ、ねえ、図鑑には載ってない?」


 ぷっと笑うルーファス。

「どうだろう。探してみようか」

 温かく小さな手に、ぎゅっと力を込める。




 こうして、この日から義兄妹となったカラスと白鳥。

 カラスのお坊っちゃまから、カラスのお兄様。カラスのお兄様から、ただのお兄様に呼び方が変わった頃──


 リンディは10歳、ルーファスは12歳になっていた。

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