第5話 一回目の人生 リンディは5歳 (5)
リンディは例のごとく目を輝かせながら、ルーファスの黒い服をツンと引っ張る。
「ねえ、カラスさんと一緒にお食事出来るの?」
ルーファスは何も答えず、ルビー色の瞳を最大限に見開いたまま固まっていた。
「リンディ!!」
今度こそ本当に叫ぶフローラ。風の様な早さでリンディの元へ行くと、小さな肩をがしっと掴み、腰を屈めて目線を合わせる。
「この方は烏ではないわ、リンディ。確かに髪の毛は黒くて艶々していて烏の羽みたいだけど、肌の色は黒くないでしょ。ほら、今日は服もたまたま黒だから余計そう見えるだけよ」
「カラスじゃないなら何なの?」
「人間よ、ただの人間!この屋敷のただの何でもないお坊っちゃま。よく見て、
しんと静まり返る食堂に、フローラはさっと青ざめた。
私ったら……何てことを。
恐ろしくて顔を上げられない。
「ふっ……ふっ……あはっ、はははは」
デュークが震えながら、腹を抱えて笑い出す。寡黙であまり感情を表に出さない父のそんな様子に、ルーファスは呆気に取られ、口をぽかんと開けていた。
笑い声に楽しくなったリンディは、フローラの腕をすり抜け再度ルーファスの前へ立つ。
「見て見て、私もカラスなの」
黒いワンピースの裾を持ち、パサパサと羽の様に広げながら踊り出す。恐らく即興であろうリンディの烏の歌と、デュークの笑い声だけが響く。
もう終わったわ…………
台に置かれた硝子の鉢には、すっかり忘れ去られたエリザベス達が悠々と泳いでいた。
食事が終わり部屋に戻ると、フローラはドサリとベッドに倒れ込んだ。早く荷物をまとめた方がいいのだろうが、もはやそんな気力は残っていない。
そんな母を気にすることなく、一目散に中庭へ走って行くリンディを横目で見ながら、今日のことを振り返る。
デュークの笑い声とリンディの興奮が収まった後、漸く始まった食事会。普段なら興味津々であろう、テーブルにそびえ立つタワーの様な誕生日ケーキには目もくれず、リンディは対面の烏……ではなく、ルーファスに夢中だった。
ルーファスがフォークを口に運ぶのを、身を乗り出しながら観察するリンディ。
『……食べないの?』
ルーファスの口から発せられた一言に、デュークとフローラはもちろん、その場に居た給仕まで彼へ目を見やる。
自分から喋った……
『食べる!』
そう言うとリンディはフォークを取り、ルーファスをチラチラ見ながら同じ物を口に入れ始める。彼が肉を食べれば肉、スープを飲めばスープといった調子に。やがてリンディがルーファスに尋ねる。
『カラスのお坊っちゃまは、ブロッコリーが嫌いなの?』
ルーファスはピタリと手を止め、皿の端に避けられたブロッコリーを見ながらぼそっと呟く。
『……木みたいで気持ちが悪い』
『じゃあ何でパセリは食べるの?』
今度は、先程までパセリの乗っていたサラダを見て呟く。
『……葉っぱだから』
『同じ形なのに?』
『太さが違う』
リンディはへえ!と目をキラキラさせて叫ぶ。
『じゃあ私もこれからブロッコリーは食べない!』
『いけません!』
思わず叫んであっと口を押さえるフローラに、皆が注目する。
『どうして?』
きょとんと尋ねるリンディに、内心ため息を吐く。
ただでさえ偏食気味で痩せているというのに、彼女の数少ない栄養源であるブロッコリーまで奪われては堪らない。
『あなた、ブロッコリーは好きでしょ?栄養もたっぷりなんだから食べた方がいいわ』
『でも私、カラスになりたいの。同じ物を食べないと、黒い羽になれないでしょ?』
そう言いながら、自分の金髪を指で摘まむ。
『それはどうか分からないけど、とにかくブロッコリーは関係ないと思うわ』
『でもやっぱり食べない』
こうなったらリンディは頑固だ。フローラはフォークでブロッコリーを掬い、猫なで声で彼女に言う。
『ほうら、こんなにもしゃもしゃして美味しそうよ。あなたの大好物でしょ』
ごくりと唾を飲むも、頑なに首を振るリンディ。
その時だった。ルーファスはおもむろにフォークでブロッコリーを刺し、パクリと口に入れた。表情を変えずに咀嚼し飲み込むも、その目には涙が浮かんでいる。
それを見たリンディは、自分も嬉しそうにブロッコリーを刺すと口一杯に頬張った。
結局その後も、リンディは散々ルーファス坊っちゃまを烏呼ばわりし、食事会は終わった。
リンディがコップを倒さなかったことと、珍しく皿を綺麗に平らげたことだけが救いだ。
フローラは身体を起こし中庭へ出ると、庭の生垣に顔を付け、何かをスケッチするリンディを見る。
こうして改めて見ると……我が子ながら惚れ惚れしてしまう。
父親譲りの美しい金色の巻き毛。白い肌に映える大きな青い瞳と薔薇色の唇。唯一自分に似たやや低めの鼻だけが惜しいものの、動かず黙っていれば天使の様だった。
「……出来た!」
天使が溢れんばかりの笑顔でこちらへ走って来る。
「お母様!見て!」
小さな胸に広げるスケッチブックには、緑の巨大な木を啄む、赤い目の美しい烏が居た。これは……
「ブロッコリーを食べるお坊っちゃま?」
こくこく頷くリンディに、ぷっと吹き出してしまう。
ん?ということは……
フローラはさっきリンディが居た生垣の前へ立つと、背を屈め彼女と同じ目線になる。
枝と枝の隙間が丁度穴の様になっており、そこを覗くと中庭の外が見えることに気付いた。
……あっ!
穴から見える向こうは、まさしくルーファスの部屋だった。
大きな窓に、黒い頭がユラユラと動いている。距離がある為フローラの目にはぼんやりだが、野性なみのリンディの視力ならハッキリと見えるのだろう。
そうか……リンディが描いていた烏って、元々お坊っちゃまだったのね。
スケッチブックをめくると、他のページの烏も全て目が赤い。そりゃ本物に会ったらあれだけ興奮もするわよね。
納得し、うんうん頷くフローラの耳へノック音が響く。
ああ……不吉な予感。
「フローラ先生、旦那様がお呼びでございます」
……やっぱりね。良い職場だったけど仕方がないわ。
フローラは覚悟を決めた。
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