承
静謐な教室の中で、ホワイトボードの上に水性ペンが走る音だけが響き渡っている。
いや、正確には違うのかもしれない。みんながタブレットと向かい合って電子ペンをを駆使しているさなか、教室の最後尾の席で、授業には使わないボールペンを振るうウチら二人がいたから。
ウチは机の上に広げられた端末の死角の中で、切り取ったノート用紙に返事を書きこんで隣の席のミコに手渡す。書く内容もさることながら、それを受け取るとたまに頬ずりしてるのが最高にキモい。もはやそこらへんの野性動物より、はるかにマーキングの頻度多そうで。
「クーちゃんなにか分かった?」
「分かんねーわ。二人が書いてる内容にもよると思うけど」
口には出さずに筆談しながらミコと意思疎通を行っていく。それこそ最近バラ園でよく筆談をしている、鳩吹メルと篠原キョウカの二人と同じように。
「じゃあやっぱりカップルだね!
恋人だもん。お互いの全てを知りたいはず!」
「一緒にいるのに、わざわざ本人じゃなくて筆跡見て喜ぶやつとかヤバすぎでしょ」
そんな性癖のやつは二人もいないだろうし、そもそも女の子同士で付き合うとかありえないでょ。よしんば存在したとしても、会話の頻度で繰り出される筆跡を喜ぶ恋人とか怖すぎるわ。別れろ。
でもだとすると、いったいどういうことなんだ。やっぱり二人が書いてる紙を見るのが手っ取り早いとは思うけど――。
「隣のクラスのクレハちゃんいわく、それを想像して楽しむのが最高らしいよ!」
「暇すぎだろ」
「後輩の鹿波さんいわく、バラの壁を背景にするお二人は素敵らしいよ!」
「暇なやつしかいないな、この学校」
話がどうでもよくなってきたところで、そろそろ切り上げようと動物女から紙を受け取る。それで何となく見た紙の表面をみたウチは思わず「ひんっ」と上ずった声を上げてしまう。手紙の隅に書かれた、ウチとミコの相合傘に。
全員の視線が一斉にこっちを向く。タブレットに何か書いてるフリをしてやりすごしていると、外から「ニャー」という野良猫の鳴き声が聞こえて、みんなが前に向き直ってくれた。助かった。
この事態を引き起こしたもう一匹の動物はというと、フォローもせずに机に突っ伏して居眠りしていたから、とりあえず頭に飴を投げて起こしておいた。
本人はなぜか「起こしてもらうの、新婚さんみたいー」と浮かれている。いやなⅮⅤ家庭ですね。
それから授業を終えたウチは、食堂に向かう。「顔赤くてかわいい~」と、耳打ちしてくるミコを無視してながら。相合傘とか新婚とか恥ずかしい事ばかりすんな!
お昼ご飯を平らげたウチらは、その足でバラ園に向かう。入り口の側面にあるテラス席にも人はちらほら見えるけど、噂の二人は見つからない。
するとミコが手を掴んできて、「こっちー」と誘導してくる。バラが幾重にも重なる壁の間をジグザクに進むのは、さながらアトラクションのリアル迷路をほうふつとさせる。
迷路の出口のバラの門を抜けると、また開けた庭に出る。鼓膜を叩く水の音の釣られてそちらを見ると、水路の上で何匹かの蝶が浮いているのが見える。
少し綺麗かも――そんな風に別の場所に手放した意識を、急いで戻したウチは、ミコの首根っこを掴んで茂みに隠れる。
あの腰まで伸ばした綺麗な赤髪は、学校中に貼られた選挙ポスターの人相と一致してたから。
特にトイレでの遭遇率が高いのはさすがにどうかなと思うけど、あの迷いを感じさせない力強い笑顔は、たしかにトイレで一仕事終えた後に見たい顔ナンバー1かもしれない。本人の鳩吹キョウカさんは、絶対怒りそうだから言えないけど。
「クーちゃん、クーちゃん。ほら、筆談してる!」
クロスのかけられたガーデンテーブル。椅子に座って向かい合っている、メガネに三つ編みといういでたちの子が、鳩吹さんに紙を手渡す。次いで別の茂みから「素敵ですわねー」という第三者の声が聞こえた。ガチで先客いるんだけど。
「いまやお嬢様たちの観光スポットだからね!」
本当に暇なんだな。ウチもその一人にさせられそうな気がするから口には出さないけど。
「ちなみにこれはいつから流行ってんの?」
「選挙期間が始まってから、すぐだったと思う」
選挙の人気取り、にしては回りくどすぎるからさすがにないか。支持率は確実に高まってるだろうけど。
「そんな利害関係じゃないよ! あの目を見てよ! 二人の将来を恋焦がれてる目をしてるぢゃん!」
「鳩吹さん、口笛吹きながらクロスワード解いてるけど」
集団生活の中では、その人自身を構成する要素ではなく、その人が纏ってる目に見えないなにかに重きをおく心理が顕著に働く。特に<人気>なんてアクセサリーは、多感な女子にとっては格好の餌になるのはありがちな話だ。
好かれてる人を好きと錯覚してしまうその心理を、利用してるとしたら、本当に人気取りである可能性もあるけど。
「アタシはクーちゃん好きだけどね! 人気なくても!」
「殺すぞ」
ウチは隣の茂みに目を送る。本当にそうだとしたら、ある程度の観客を自分たちで配置してるんだろうから。
だけどそれこそ規約に引っかかるし。選挙権をはく奪されることを考えると、リスクのある作戦かもしれない。
ウチが「あまりピンとこないな」と頭を抱えていると、隣のミコに肩を叩かれてそちらを振り向く。すると――。
「ちゅー」
避けるヒマもなく唇を重ねられてしまう。すかさず後ずさりながら「なに考えてんの!」と大声が口から出た。耳が一気に熱くなってしまう。
「クーちゃん、人気なくてよかったなーって思ってる」
未だに舐めた事を言ってるミコは「何度チューしても、こんなに初々しくてかわいいから」と、はにかんでから笑った。
「う、うっさいしね!」
それからもあーだこーだ言い合って、普通に気付かれてしまったウチらは、追われるように庭園を後にするほかになかった。絶対許さん。
◆
パンダの上半身を模したミトンを奥に差し込んで、オーブンからピザを取り出す。ところどころについた焦げ目と、溶けたチーズがふつふつと泡立つ様子を見て、ウチはスキップしながらリビングに向かって、テーブルに大皿を置いた。
なんなら一年前から使い倒したパンダも、白い部分もほぼ残ってなくて強いて言うなら丸焦げに近いけど、それはそれこれはこれ!
なんてったって今日のピザはぶつ切りにしたローストビーフがふんだんに乗せた変わり種! トマトとレタスを乗せたその姿は色どりも兼ね備えた、まさにピザ界のジュエリークラウン!
こんなの滅多に食べられないものね。いただきま――。
「クーちゃ――」
メッセージアプリから許可なく通話を飛ばしてきたミコを、音速のフリック操作で即座にブロック。それから両手に持ったピザにかじりついて、さくさくとした生地に広がるチーズの風味を堪能する。
それからはピザを片手に、バラ園に置かれてた長方形のパンフレットをめくっていく。そもそもなぜあの場所でする必要があったのかが疑問だったから。
仮に誰かに見られたいとしても、学園内なら他にもいい場所が沢山ありそうたけど。朝、昼、放課後とあそこにいちいち行くのは、傍観者目線で見ても少し面倒に感じるし。園芸部のついでとかだったり?
開校から受け継がれた伝統の場所って書いてるけど、それがあの二人にとって意味があるかはどうかは微妙そうだ。庭園の管理者は別にもいるらしいけど、
「あの二人をどういう立場で見るかだよなー」
歴史ある園芸部の一員としてか。それとも生徒会長候補としてか。ミコの言うように恋人とかでは絶対ないけど!
あーだこーだ考えながら食事を楽しんでいく。その途中で何度もテーブルに置かれたスマホに目が行った。今度は電話でかけてこないか心配だし。
アイツは隙見せるといつもそう。キ、キスだって何回されちゃったか分からないしさ……。
今までのあれこれを思い出しながら髪をいじっていると、段々と部屋が暑くなってくる気がする。それから「べ、べつにピザと夏のせいだし」とか、誰に言うでもない言い訳をしながら、ウチは床を這いつくばってリモコンを探す。
それから見つけたリモコンを鷲掴みにしたウチは、仰向けになって何度もそれを押した。
だけど一向にエアコンは動かない。いや動いてるけど、生ぬるい風しかただよってこない。
えぇ!? またぁ!? っていうかウチちゃんと部屋移動したよな!? ここ実は一年生の寮とかじゃないよね!?
自分のエアコン運の悪さを恨みながらとりあえずエアコンを止めてどうするかを考える。さすがにこの時間に図書室は無理だよね。
いや、でも夜だしそろそろ涼しくなるけどそれまでに待つべきか。でも最高の状態のピザを最高に食べるには室内の環境も必要不可欠。温度差があってこそ際立つものもあるから。
「そうだ、誰かの部屋に行けばいいんじゃ」
いやでも「ピザ食べたいのでお邪魔します」した後に、すぐ「お邪魔しました」はまずくないか色々と。あだ名を<空き巣>されても文句言えないでしょ。
おそるおそる冷蔵庫を開けても、捧げモノになりそうなデザート類などは一切見当たらない。何度開け閉めしてもピザの材料ばかり、こんな冷蔵庫に誰がした。わたしです。
逆に言えば、そういう事を気にしない、気軽な相手とかならいいんじゃ。
「……ミコの部屋」
いや、ないない。気軽かもしれないけど構成するその他の要素がヘビーすぎる。キモいし、あとなんか部屋汚そうだし、それにキモいし、チューしてくるし、なによりもキモいし。うーん。
ウチはため息を一度つき、以前ピザ屋さんに頼み込んで譲ってもらった、配達用のピザケースに特製ピザを入れて部屋を出た。それから階段で一階下に降りて、部屋の扉の前に立つ。あれ、そういえば。
「ミコの部屋の中に入るのはじめてじゃん」
つい回してしまっていたドアノブが元に戻る。だからじゃないけど、ウチはすり足でドアスコープから外れて、羽織ったパーカーから手鏡を取り出して、髪をさっと直していく。よし。
あくまで身だしなみはちゃんとしなくちゃだから。いや別にどうという話じゃないけど。女の部屋に行って気にするのがおかしいし。
(ていうかさっきブロックしちゃったんだけど!?)
なんとなく気まずくなってきたウチの手が、ドラノブとインターホンを行ったり来たりする。はたから見たらかなり挙動不審かもしれない。だって、自分から遠ざけた相手にもう一度近づくのってかなりヤバいでしょ。しかも頼みごとをもって、ウチだってプライドあるし。
だけど、まぁいいか。アイツの事だし「好きだから許すよ」の一言で終わらせるに決まってる。そこに安心感を覚えてしまうのは、すこしだけ癪だけど。今は少しだけ嬉しい。
それから意を決してドアを叩く。だけど反応がない。おかしいなと思ってドアノブを掴むと、確かな手ごたえが伝わってくる。ウチはそのままドアを引いた。
「……ミコ?」
靴を置いてから廊下の電気をつける。二人部屋じゃないなら、間取りと配置は同じだ、フローリングの廊下をまっすぐ進めばリビングに入るハズ。
ゆっくり進むと、突き当たりのドアが少し開いている。独り言だろうか、ミコの声もかすかに聞こえた。キモ。
そこでふと頭によぎる。いつも驚かされてばかりでムカつくし。たまにはウチがアイツを驚かせてやる。なんて事を考えながら取っ手に手をかける。
それから「こんちわー」を大声を出しながらドアを思いっきり開け放った。そこにはスマホに顔を寄せてニヤつくミコがいて、ウチはつい固まってしまう。その端末からなぜかウチの声も聞こえてきていたから。
「今日は水族館の時のクーちゃんの可愛いお声聞いて寝ようかなー。でもキスされてる時のクーちゃんのお声も捨てがたい。録音しといてよかったぜ、へへへへ」
大きく振りかぶったウチは、そのままピザをミコの顔面に叩きつけた。
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