第9話 アーサー警部の休日
その日のアーサー警部は休日であった。
妻が作ってくれた朝食を家族で食べ、今日は何をしようか談笑していると、ふと警察署に手紙を届けてくる貴族の少年が思い出された。
彼は賢い人間だとアーサー警部は評している。
そして自分の立場とこちらの立場を考慮して動いてくれている。
聡い彼がこれからどんな未来を進むのか、興味があった。
それはまったくの偶然だった。
久々の休日は午前中は近所の公園を一人で散歩をし午後には家族の買い物に付き合うと決めて歩いていた公園で、渦中の少年達に出会ったのだ。
しかもなにやら静かに言い合っている。
大人として、貴族子息の少年達がこれ以上の醜態を晒さないように仲介する事にした。
アーサー警部が挨拶をする前にローシャが警部に気付いて挨拶をした。
「お久し振りです、アーサー警部」
ローシャが挨拶をするとリオンも慌てて挨拶をする。
「ごきげんよう、御二方。相変わらず仲がよろしいですな」
どう見ても喧嘩をしていたのだが、アーサー警部は二人を見て微笑んだ。
気まずそうな二人に自分にもこうして友とくだらない事で言い合う日々があったものだと感慨に耽りながら事の顛末を訊ねる。
「さて、御二方。なにやら言い争っていたご様子ですが、いかがされましたかな?」
「お恥ずかしい限りですが、警部にまで心配されるような事ではありませんよ」
「そんなことないぜ、ローシャ!この公園に現れるっていうひったくり犯を捕まえようっていうなら警部がいた方が心強いぜ!」
リオンがローシャの肩を持ち向き合うと、ローシャは掴まれたその手を払った。
「だからね、リオン。僕は散歩のつもりでこの公園に来たんだ。なんだって僕らがひったくり犯を捕まえる話になるんだい?」
「だって、犯罪があるって聞いちゃったら捕まえるしかないだろう?」
ローシャは今度こそ盛大に溜息を吐いた。
「お心遣いありがとうございます。ですが、それは我々警察の仕事。あなた方の御手を煩わせるような事ではありませんよ」
アーサー警部は穏やかにリオンを諭した。
「ほらな、リオン。アーサー警部もこう仰っている。僕らの出番じゃないさ」
アーサー警部に乗っかる形で再度リオンを諭したローシャにリオンは不満気だ。
「なんだよ。事件があったら解決するのが探偵だろ?」
ローシャは頭を痛め、アーサー警部は微笑んだ。
「その正義感はとても素晴らしいものですが、どうか我々警察を信頼して今日のところは御二方で遊んではいかがですか?天気もよろしいですし、探偵業はまたの機会に披露してください」
「そうだぞ、リオン。そうだ!キャッチボールでもしてやろう。たまには体を動かすのも悪くない」
その言葉にリオンの瞳が煌めいた。
「本当か!?ローシャが運動なんて珍しい!いつも盤上の遊技しか相手してくれないもんな!いいぜ!やろう!」
単純だ、というのは諭した二人の感想で思わずアーサー警部とローシャは顔を見合わせて小さく笑った。
しばらくリオンとローシャがキャッチボールをし、それをベンチに腰掛けて微笑まし気に見ていた。
しかし僅か数球でローシャの体力が尽きたので早々に終了となってしまった。
三人でベンチに横並びになるとリオンはローシャに文句を言った。
「なんだよ!ローシャ!そんなんだからいつも体力をつけろって言ってるんだろ?やり甲斐がないぜ、まったく」
「そうは言うけどね、見てくれよこの手を。君の剛球を受け止めて真っ赤に腫れている」
立ち上がりまた言い合いを始めたローシャとリオンにアーサー警部が咳払いをして止めた。
「申し訳ありません」
「すみませんでした」
謝罪し再度座って沈黙が流れるともう一度アーサー警部が咳払いをした。
「さて、これは恥ずかしい私事の独り言なのですが」
アーサー警部が前置きをする。
「実は最近妻が一人でこそこそ何かをしているようなんですよ」
アーサー警部が頭を軽く振った。
「妻に直接問い正せばいいのは分かっているのですが、どうにも度胸が足りず、妻になんと言われるか怖いのですよ。お恥ずかしい」
頬を掻き、暗に仕事に没頭するあまり家族を放置していた事を反省する事を告白した。
そんなアーサー警部を見てローシャも自分の考えを呟く事にした。
「僕も独り言なのですが」
ローシャも前置きをして呟く。
「もしかしてご夫妻の結婚記念日が近いのでは?」
その言葉にアーサー警部が驚いた。
「その通りです。何故分かったのですか?」
「左手の薬指が答えですよ。その結婚指輪に嵌められている石は今月の月宝石のものです。きっと、今月の何日かが御二方の結婚記念日だろうと考えたまでですよ」
「なるほど」
「奥様は貴方に何か贈り物をしようとしているのではないでしょうか?」
「きっとそうですよ!アーサー警部も、奥様に何か贈り物をした方がいいですよ!」
結婚記念日も忘れていたアーサー警部は左手の薬指に嵌められた指輪を見て、少年達の言う事が現実味を帯びて感じられた。
「結婚記念日…そういえば、そうでしたな。何か妻に贈り物でもしようと思います。ありがとうございます、御二方。しかし贈り物……そういったものにはからきし疎くて妻に何を贈ればいいのやら」
「奥様はきっとアーサー警部に何を贈ってもらっても嬉しいと思いますよ。警部のスーツもネクタイピンもすべて手入れが行き届いている。アーサー警部を思ってのことですよ。そんな奥様のことです。きっと大丈夫です」
ローシャはアーサー警部を励ましたがアーサー警部はまだ困り顔だ。
「近頃の流行りも分からない。もう歳ですよ。若者の趣味も分からない」
アーサー警部の見遣る方を向くと、派手ななんとも言えない柄シャツを着た青年が歩いていた。
遠くにいるため顔はわからないがその柄シャツだけは印象に残っていた。
「あの趣味は…僕にも理解しかねますね」
「俺も分かんねーな」
そこで三人は顔を見合わせて笑った。
「ひったくりだ!」
誰かの言葉に素早く三人がベンチから立ち上がり叫び声の方へと向かうと、お婆さんが青年に支えられていた。
「こちらのお婆さんのお荷物があのひったくりに盗られてしまったんです!」
青年が指差す方を向かうと先程の派手な柄シャツの男性が走って行った。
三人が駆け付けるとその場にはトイレから出てきた男性も含めて数名の男性がいた。
追いかけるのに後ろ姿を見ていただけなので柄シャツしか印象にないが、誰も柄シャツなんて着てはいなかった。
「一体誰が犯人なんだ?」
「お婆さんの荷物とやらも私物のリュックに隠したんだろうね」
「一人一人に尋問するしかないか…困ったものです」
アーサー警部が一人ずつ声を掛けようとするのをローシャが制して一人の男性を示した。
「そちらの男性が犯人です」
三人はローシャが示したトイレから出てきた男性に近付いて行った。
そして事件のことを訊ねた。
「貴方、この暑い日に随分と着込んでらっしゃいますね。1番上のボタンまで閉めて」
ローシャが男性に声を掛けると男性はあきらかに狼狽えた。
「何を証拠に私を犯人だと言うんだ」
「そうだぜ、ローシャ。この男の服はあんな悪趣味な柄シャツじゃないじゃないか」
「この洋服はね、リオン。リバーシブルになっているのさ。多分、トイレの中で表裏変えて着替えたんだろう」
「警察です。失礼ですが、シャツの裏生地を見せていただいてもよろしいですかな?」
脱がせてみると、ローシャの言った通り地味なシャツの裏側はあのひったくり犯の柄シャツだった。
男性はその場で通報から駆け付けた警官に連れて行かれた。
アーサー警部は二人に礼をした。
そしてローシャにこっそりと話し掛けた。
「ご友人から聞きましたよ。将来は名探偵になるのだとか」
その言葉にローシャは顔を少し崩した。
「なりませんよ、そんなもの。僕は地道に真っ当に生きるのです」
「いやいや、しかし貴方は警察より文官よりそういったものの方が向いているかもしれませんよ」
アーサー警部の言葉にローシャが目を白黒させる。
「よもや貴方がそんなことを言うなんて思いませんでした」
アーサー警部は笑みを深くした。
「規律に殉じるより、上に仕えて生きるより、その方が貴方の才能が生かされる気がするのですよ」
アーサー警部は少年達の未来を思い描いて微笑んだ。
「それでは、調書作成のために警察署へ行ってきます。御二方は良き休日を」
アーサー警部が頭を下げるとローシャとリオンも礼をした。
「ありがとうございます、警部」
「散々な休日になっちまったかもしれないけれど、奥方への土産の一つでも買って帰れば許されると思いますよ」
それはそれとして、アーサー警部の奥方の行動はやはり結婚記念日のプレゼントを用意するためのもので、アーサー警部から贈り物を貰えるとは思っていなかった奥方は大層喜び二人は久々にお互いの大切さを改めて祝福した。
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