若手助教授の旅立ちは、新設の特別急行列車から

与方藤士朗

プロローグ ~山陽特急の新設・1953年3月

第1話 山陽特急の新設~史実をもとに

 幹線用大型蒸気機関車C59にけん引される戦後初の山陽特急「かもめ」は、この年新設されたばかり。東海道本線の東京―大阪間に「つばめ」と「はと」が復活して3年。ついに山陽本線にも、待望の特別急行列車が復活することとなった。

 本来なら一等展望車も連結されるはずだったが、山陽本線の区間は東海道筋ほどの需要が見込めないとのことにより、三等車と特別二等車の座席車、それに食堂車のみの編成。夜行運転はないので、寝台車もない。


 この年の運転開始後数か月して特別二等車1両が三等車に置き換えられたほど、この路線での特別二等車等の優等車に関わる乗車率は、東海道筋に比べ低かった~それは今の新幹線のグリーン車に至るまで続いている傾向ではあるが。


 この列車の最後尾は一等展望車ではなく、三等車スハフ43。

 ブレーキと車掌室が附属されている車両で、中間の同型車スハ44(当時すでに特別急行「つばめ」「はと」に使用されていた)よりも幾分、定員は少ない。座席は「つばめ」と「はと」と同じく進行方向に向けられた、いわゆる「ロマンスシート」と呼ばれる座席で、背面にはテーブルも取付けられている。

 もっとも、これは三等車であって、現在の特急列車の普通車や当時の特別二等車のように、リクライニング機能はつけられておらず、背もたれは自在には倒せない。


 それでも、向かい合わせのボックスシートと呼ばれる座席よりは、格段に優等列車の雰囲気を醸し出している。


 当時、距離がある移動については、夜行列車の利用も多かった。

 東京-大阪間は、最速の特別急行列車2往復が、つい3年前、ようやく戦前並の8時間に戻せたところ。

 そんな時代に、日中に特別急行列車で移動できるのは、それなりの社会的地位がある人に限られていた。

 まして、特別二等車ともなれば、言わずもがなであろう。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 その新設特別急行列車に乗って、ある京都大学の助手が旅立つこととなった。

 彼の赴任先は岡山。新制の国立O大学理学部物理学科の助教授として、この春より教壇に立つ。

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