第2話 羊飼いの草原 バイオリン弾きの少女

『ラシーラ村』と彫られた杭が立っているあたりには、建物はなにもなかった。

 なだらかな登り下りをくり返す丘、夏らしい青々とした草原が視界いっぱいに広がっているだけだった。ところどころに向日葵が突っ立つ人のように生えている。向日葵の花は太陽を見上げていた。

 緩やかな風が吹き、草原をさわさわと撫でている。

「田舎だな」

 ダダはつまらなそうにつぶやき、白馬の歩みを進めた。照りつける太陽が彼の額に汗を流させた。

「人口は少なく、土地は広い。ラシーラ村はそういうところです。綺麗な風景だと思いますが」

 シャンはダダの進行速度に合わせて、栗毛の馬を操っていた。司教で小隊長、要するに自分の上司にぴったりと付き従っている。


「音楽が聴こえるっす」

 ノナが言い、馬を街道からはずれた草原に走らせた。

「ノナ、戻ってこい」

「この音はバイオリンっすね。そんなに遠くないですよ」

 第3騎士が独走し、仕方なくダダ、シャン、リムは追いかけた。

 丘をひとつ登ると、眼下にはたくさんの羊がいて、草をはんでいた。軽く100匹はいるだろう。牧羊犬が2匹走り回り、羊が遠くへ行ってしまわないように警戒していた。コーギーという犬種で、足は短いが、すばしっこい。身体は小型だが、その吠え声は意外に大きかった。


 羊たちの中心あたりに、4人の人影があった。

 ひとりがバイオリンを弾いていた。すっくと綺麗な姿勢で立ち、左手を伸ばしてネックを持ち、あごを使ってバイオリンをはさんでいる。右手は弓を持って、緩急をつけて動かしていた。

 悲しい、心に染み入るようなメロディを奏でていた。遠く離れてしまった故郷を懐かしむかのような旋律だ。

 バイオリン弾きは十代の少女のようだった。同じくらいの年齢の少女がじっと座って、耳を傾けている。

 彼女たちより年下らしい少女が、地面をほじくっていた。バイオリンには興味がないようだ。

 女の子はその3人。もうひとり、たくましい中年の男性が、羊を見て回っていた。

 バイオリンの音には少しの淀みもない。澄み切った清流のように音楽が流れていく。丘を渡る風と悲しげなメロディが重奏しているようで、耳にやさしかった。奏者の腕はかなり高いようだ。


「若い女の子がいますよ。悪魔少女かもしれない。殺していいっすか」

「バカ。殺すかどうかはボクが判断する」

 ダダが白馬を走らせ、バイオリン弾きの少女の前に回った。少女は少しも気にしないで、演奏をつづけた。彼女の目は弦を押さえる自分の左手に注がれていた。

「おお、なんて美しい……」

 ダダが賛美したのは音楽ではなく、演奏する少女の容姿だった。涼やかな目、微かに笑みをにじませる唇。まぎれもなく美少女だった。髪は赤毛で、ゆるやかにウェーブしながら肩甲骨あたりまで伸びていた。臙脂色の羊毛のワンピースは着古して色が抜けかけている。肌は透けるように白くてなめらかだ。

 ダダは少女の顔に見惚れた。そして、ふくらはぎから足首にかけての曲線にも極上の美を見い出して、凝視した。ふくらはぎにはほのかな色気があり、足首はきゅっと細くしまって簡単に折れてしまいそうだ。太ももを見たい、とダダは思ったが、そこは服に隠されていた。


 曲の演奏が終わった。奏者と鑑賞者のふたりの少女がいぶかしげにダダを見つめた。

 ダダは鑑賞者の容貌を見た。平凡な顔立ちで、彼はすぐに興味を失った。 

「こんにちは。きみ、綺麗だね。名前と歳を教えてくれないか」

 ふう、とバイオリン弾きが息をついた。

「知らない顔ね。チャラそう。ワタシの名前を知りたいのなら、先に名乗ったらどうなの」

「ボクはダダ・バルーン。16歳だ。ラシーラ教区の司教だよ。これから赴任するところなんだ」

「16歳で司教? あり得ないでしょう」

「本当よ。その方は教皇様の甥でいらっしゃるの。優秀な方で、バルーン教皇国で最年少の司教になられたのよ」

 シャンが馬から下りた。

「ラシーラ村には司教なんていなかった。牧師さんならいるけれど」

「これからはボクが司教になり、村人全員を導くんだよ。そして、悪魔少女を狩る」

 バイオリン弾きの少女の目がさっと冷ややかになった。

「悪魔少女狩り?」

「怖いかい? きみは悪魔少女なのかな?」

「ちがうわよ。ワタシはユウユウ・ムジーク。17歳。見てのとおりバイオリンの練習をしている。お父さんとお母さんが音楽家だから、ワタシも跡を継ぎたいの」

「ユウユウはきっと国一番のバイオリン弾きになるわよ。だってすごく上手なんだもの」

「きみは?」

「あたしはステラ・ファロファロ。ユウユウと同じ17歳。羊飼いの娘よ」

「きみは悪魔少女ではないな」

「そうだけど、どうしてわかるの?」

「顔が美しくないからだ。悪魔少女は美少女と決まっている」

「きいーっ、なんて失礼な人なの!」

 ステラは激昂した。


「ユウユウちゃんは美しい。ひとめ惚れしてしまったよ。悪魔少女でなかったら、ボクと付き合ってほしい」

「悪魔少女じゃないけど、お断りよ。あなたみたいなチャラい人は嫌い」

 まったくそのとおり。チャラいんですわよ、ダダ様は、とシャンは思った。でもそれ以上に怖い人。もしこのユウユウ・ムジークって子が悪魔少女だったら、地獄を見ることになるでしょうね……。

「あの子はなにをしているんだい」

 ダダは地面を掘ったり、もぐらの土塚を観察したりしているもうひとりの少女を見た。

「あの子はルナル・ファロファロ。ステラの妹で、13歳よ」

 ルナルが顔を上げた。鼻の頭に土がついていたが、はっきりとわかるほど愛くるしい顔立ちをしていた。

「かわいいじゃないか。お姉さんとは似ていない」

「失礼すぎるわよ、あなた。あたしだって、か、か、かわいいところがあるのよ!」

「どこに?」

「おへそよ。絶対に見せてあげないんだから」

 ダダは少しも遠慮することなく、ステラのブラウスをまくり上げた。

「平凡なへそだ。かわいくはない」


 ステラが怒る。ダダが流す。

 女の子のブラウスをまったく躊躇なくめくり、へそを確認するしぐさを見て、この男は異常だ、とユウユウは思った。こんなやつがラシーラ村の司教で、おまけに悪魔少女狩りだなんて。

 チャラい顔の奥に、残忍さを隠している。相当に悪い男のようだ。

 嵐がやってきたのかもしれない。暗く激しい嵐が。


「質問に答えてもらおう。ルナルちゃんはなにをやっているんだ」

「もぐらを捕まえようとしているのよ」

「もぐら? そんなものを捕まえてどうするんだい」

「焼いて食べるのよ。食べるのはルナルだけで、ワタシたちは食べないけれど。あの子はもぐらの丸焼きが好きなのよ」

「もぐらなんて土臭いだけだろう」

「さあ。そうかもしれないけれど、人の好き好きでしょう?」

 ダダとユウユウが話しているときに、ルナルがもぐらを手づかみで捕まえた。

「やったーっ。美味しいもぐらを捕まえたよ」

 

 ダダはルナルに話しかけた。

「きみはもぐらを食うのか?」

「うん、美味しいよ」

「変な子だね、きみは。悪魔少女じゃないのか?」

「なにそれ。ちがうよ」

 ステラとルナルの父親、ファット・ファロファロがどすどすとやって来て、ダダとルナルの間に割って入った。

「さっきから聞いてりゃ、聞き捨てならねえことばかり言ってやがるな。失せろ」

「男には興味がない。おまえこそ失せろ」

 ダダは剣を抜いた。その動作にもまったく躊躇がなく、ユウユウは戦慄した。

「ここで剣を使う気か。おれを殺すのか。さっき司教とか言ってたが、とんだ司教がいたもんだぜ」

 ファットはダダの目を睨んでいた。数秒間睨み合ってから、ダダは剣を鞘におさめた。

「まあいい。悪魔少女容疑者をふたり発見した。いきなり有意義な仕事をすることができたよ」

 ダダは白馬にまたがり、去った。3人の少女騎士がそのあとを追う。

 ユウユウは不吉な4人の来訪者を見送った。

 悪魔少女の容疑者にされてしまった。

 あいつはまちがいなく嵐だ。ラシーラ村に吹き荒れる嵐になる。

 ユウユウは憂鬱な気分になって、バイオリンをケースに仕舞った。

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