憎き顔と生きて行く

大和詩依

第1話

 街中で父を見つけた。もう父と母は何年も前に離婚していて、親権は母が取ったから正直父と呼んでいいか分からない。


 それでも私は父と呼びたかった。娘と呼んでほしかった。


「あの、お父さん、ですよね? 数年ぶりだけど私です。娘の由依です。覚えてますか?」


 私は思わず声をかけていた。記憶の中の父よりも髪の白い部分が増えて、老けている印象を受けたが、あれは間違いなく父だった。


(私だよ。由依だよ。お願い分かって)


「ええと、人違いじゃないでしょうか。確かに娘はいましたが……」


 分かってくれなかった。


 この時の衝撃をなんと言い表せばいのか。

 

 冷水を頭からかけられた。


 崖から突き落とされた。


 どれだけ言葉を尽くそうと、この衝撃を言語化するのは無理なのではないかというくらいの衝撃を受けた。


 この後何と言って父との会話を締めたのか覚えていない。


 ただ、私は今日話しかけた父が実は父でなかったという可能性は考えられなかった。


 父と母が別れるまでだが、たくさん遊んでもらった。何回も、何百回も見た大好きな父の顔を間違えるわけがない。


 そう思っているからこそ、父からの拒絶は到底受け入れ難いものだった。


○○○


 私は、私の顔が嫌いだ。元々好きではなかったが、父に気づいてもらえなかったあの日から一層嫌いになった。


 別に醜いと周囲から罵られるような容姿をしているわけではないが、逆に天使だと讃えられ、羨望の眼差しを向けられるような容姿をしているわけでもない。要は大した特徴もない平凡な容姿なのだ。


 それでも嫌いだ。それはもう鏡を見ればそれを叩き割りたくなるほどに。


「由依、朝の支度しちゃいなさい」


 鏡を睨みつけていつまでも支度の手が止まっている娘に母から声がかかる。


 ふわふわしていた意識が現実に引き戻され、私はのそり、のそりと支度を再開した。


「なんで……?」


 あの日、父に私だと分かってもらえなかった理由をずっと考え続けている。考えれば考えるほど、理由は推測にしかならず、脳内はそれよりも悲しみや悔しさで塗りつぶされていく。なんの生産性もないひたすら自分が苦しいだけの行為に成り果てている。


「どうして……?」


 この顔でなければ父に気づいてもらえたのだろうか。もっと可愛いと世間一般から褒め称えられるような顔をしていれば、もう一度あの頃のように由依、と。私を私だと認識した上で声をかけてくれたのだろうか。こちらも、考えても考えても答えは結局父にしか分かり得ない。


 女の子は父親の顔に似ると幸せになれると言う話がある。幼い頃から私の顔は父親に似ていると言われていた。


 両親の仲はともかく、私が大好きな父と大好きな母と一緒にいれた幼少期。この頃は自分が不幸だなんてカケラも思ったことはない。幸せを感じることの方が多かった。


 でも今はどうだろうか。


「他人には否定されるだろうけれど、私が世界で最も不幸だと思いたい。私が不幸であると肯定されたい。今一番不幸であるのは私だ。私が私であることを否定されて幸せになんてなれるわけがない」


 それほどどん底に落とされたような気持ちなのだ。


 幸せは一過性なもの? ならばそうであると話に付け加えておいてほしい。「女の子は父親の顔に似ると幸せになれる。けれどそれは一生ではない。一過性のものだ」と。


 まあこんな迷信じみたものに縋っている私も悪いのだろう。


 今日もまた暗くて重いもので思考を塗りつぶしながらなんとか朝の支度を終えた。最後にもう一度だけ鏡を見る。


 そこには何も変わらない自分の顔が写っていた。


 醜いと周囲から罵られるような容姿ではない。逆に天使だと讃えられ、羨望の眼差しを向けられるような容姿でもない。要は大した特徴もない平凡な容姿が、言い換えれば父に気づいてもらえなかった顔が写っている。


 私は私の顔が憎い。父に覚えていてもらえなかったこの顔が、女の子は父親に似ると幸せになれると言われていたのに、幸せになれなかったこの顔が。


 きっとどんな手段を使って顔を変えようと、今ある問題は何も解決できないのだ。ならばいっそ。


「さようなら。この一言でお別れできればいいのに」


 そんなことはできないのだから。この生涯の幕を閉じるまで憎きこの顔と生きていかねばならない。

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憎き顔と生きて行く 大和詩依 @kituneneko

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