第30話 破門の波紋

「も、もうわかりましたぁ、あ」


 ハァハァ息を吐いている若い侍女が崩れ落ちそうになるのをオーガスタは支える。このままゆっくりとその場に休ませてあげるのかと思いきや、


「それでは、今からハムハムをお教え致しますね」

「ええっ! これ以上は……」


 若い侍女はオーガスタから逃げようとする。しかし、背後から羽交い締めにされている。羽を掴まれた昆虫のように身動きが取れない。


「安心してください。左耳は十分堪能しました。今度は右耳にしておきますから」


 そう言って、若い侍女の耳元に息を吹きかける。


「止めなさいッ!」


 オーガスタの暴走を止めたのは、聖総主教ではなかった。その横に立っている妙齢の女性だ。鋭い眼差しでオーガスタのことを睨みつけている。


 ロジーネはその圧力に、悪くもないのにごめんなさい。と謝りたくなるが、オーガスタは平然としている。何事も無かったようだ。


「結構、美味しゅうございました」


 ジュルっと耳元で舌なめずり。若い侍女のヒィという声を聞いて、ニコリと微笑む。


「止めなさいと言ったのが解りませんか!」


 妙齢の女性が、ズカズカズカと壇上から降りてきた。わざとらしく高く手を振り上げ、引っ叩こうとする。さあ、謝るなら今のうちですよ。そう言わんばかりの態度に対し、オーガスタは微笑んだまま。


 どうぞ。お好きなように。左の頬を差し出します。オーガスタの温和だが明確な反抗的態度に対し、妙齢の女性は眉を吊り上げると同時に、平手を打ち下ろす。ぱああぁぁん。と言う音が謁見の間に広がるが、それでもオーガスタの微笑みは変わらない。


 そりゃそうだ。こんな程度、痛みのうちにも入らない。ダンジョンの中では、それこそ生きるか死ぬかをくぐり抜けている。クロエとの死闘。二度のミノワウルスとの戦い。それ以外でも、少しの油断で死んでいてもおかしくない状況が何度もあった。


 パーティーの中でも、回復担当のオーガスタの役割は大きかった。他のパーティーメンバーは死なければ、聖女スキルで完治できる。しかし、オーガスタが瀕死になった場合、治療は難しくなる。下手をすれば全滅する可能性だってある。


 非戦闘員として背後で回復だけしていれば良い。そんな単純な話ではない。ある意味、自分の命が全員の命にかかっている。その見えないプレッシャーがあったはず。


 ロジーネは、自分は比較的自由な立場だった。と改めて感じる。後衛でプレッシャーもなく戦えていた。しかも、パーティーコントロールはタローがしていた。今思えば、戦闘指示をされたことくらいで文句を言っていたのが恥ずかしくなってくる。


「申し訳ございません。ペロペロやハムハムを許されないような場所では、私、生きていくことが出来ません。やはり、ここは教会から離れて……」

「お待ちなさい」


 オーガスタが話していると、聖総主教に止められる。聖総主教は妙齢の女性を呼び寄せて、何か告げる。緊急の用事であろうか、妙齢の女性が出ていくのを見てから、今度はオーガスタのことを手招きする。


 拒否することは出来ない。オーガスタは、命令を下されたゴーレムのように素直に壇上をゆっくりとあがる。聖総主教の前で両膝をつき頭を下げる。


「あなたは間違っています。オーガスタ・ウィリアムズ」

「はい。私は道を間違えました」

「いえ、違います。そうではありません。あなたの間違いは……」


 聖総主教は立ち上がると、オーガスタに覆いかぶさる。


「なっ!!」

「あなたはペロペロとハムハムだけと言いましたね。では、モミモミはどうするのです?」

「モミモミ?」

「教えてあげましょう」


 モミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミ


「ひ、ひゃあああぁぁ~、せ、聖総主教様ッ!!」


 ロジーネは頭を下げる。ゾンビに襲いかかるスライムのように見たくはないものを見てしまった。と言わんばかりに、目を閉じる。本来ならば、両手で耳を塞ぎたくなるところではあるが、流石にそれは躊躇われた。何の罰でこんな目に合わなければいけないのか。そう文句を言いたくなるのを只管耐える。


「わかりますか? あなたがしたこと」

「ふぁ、ふぁい。気持ちが良いです」

「まだ、分かっていませんね。ハムハムも合わせましょう」

「や、やめ、止めてくださ……、や、やっぱ、ち、違います。止めないで、でも、あ、無理……、そこは……、いけません……、でもいい……」


 酷い。ここは本当は教会ではないのだ。何らかの不謹慎な場所だ。ロジーネは祈りの言葉を口の中で繰り返していると、背後で音がする。横目で見ると、先程部屋を出ていった妙齢の女性が、二人ほど連れている。


「な、なんでお止めになるのですか? も、もっとハムハムを」

「オーガスタ、よくお聞きなさい。あなたのハムハムは良くないハムハムです。相手の気持を慮っていないハムハムです。いくら相手をテクニックで気持ち良くさせたとしても、それはいけない行為なのです。わかりますか?」

「は、はい」


 オーガスタは聖総主教の足元で跪いたまま。表情は見えないが、声には元気がない。流石にやりすぎたと反省しているのか。


「用意ができました」


 妙齢の女性が声をかけると、聖総主教は身を引く。元の椅子に腰を掛ける。


「オーガスタ、少し我慢しなさい」


 妙齢の女性が連れてきた女性の一人が、持っていた桶の水をオーガスタの頭からかける。あまりの勢いの良さに、水は飛び跳ねてロジーネの顔に、一滴、二滴とかかる。


 ヒヤッ、冷たい。ロジーネは懐からハンカチを取り出したい気持ちになる。しかし、この場でハンカチで顔を拭くのは何かふさわしくない気がする。仕方がなく、あまり目立たぬように頬を手の甲で拭う。


「現れなさい!」


 聖総主教は椅子に座したまま、強い声を出す。すると、命令に従うかのように、オーガスタの背中からユラユラと黒い塊が現れた。それを見た女性が別の桶の水を再び勢いよくオーガスタにかける。


「不浄なる汝、神のみなにおいて命ず、地の底へ帰れ」


 聖総主教が黒い塊に向かってユラユラと手を振る。すると、黒い塊は馬のいななきのような声を上げる。と、同時に聖総主教に襲いかかる。


 オーガスタの体を追い出された。その代わりに、体を貰い受ける。とでも言わんばかりの攻撃。どれほどの能力を持っているのか不明な存在に、ロジーネは反射的に魔法を詠唱する。が、攻撃はできない。聖総主教を巻き込んでしまう。そもそも、魔法が通じる相手なのかも確信が持てない。


 あっという間に聖総主教は、黒い塊に体を乗っ取られ……たりはしない。塊は聖総主教に近づけない。それどころか、立っていることすら出来ない。その場に跪き、そして、床に這いつくばる。


 よく見ると、聖総主教から金色の光が薄く放たれている。魔法にも似ているが、魔法には非ざる力は、ゆっくりと塊を溶かしていく。塩をかけられたナメクジのように縮んでいく。


「オーガスタ、よく見ておきなさい。この力もあなたは使えるはずです」


 全身ずぶ濡れのオーガスタは頭を上げる。聖総主教のことを見上げている。


「さあ、お帰りなさい。インキュバスよ」


 聖総主教が命じると同時に、黒い塊は消失する。その光景は、まさに、影が光に当たり徐々に消えていくかのようであった。


 オーガスタに取り付いていた黒い塊。影のような存在が、オーガスタの心を狂わせていたインキュバス。男性型の夢魔に影響されオーガスタの性格は歪められていた。


 だが、それは聖総主教によって、それほど苦もなく祓われた。今までタローやロジーネが悩んでいたのがバカバカしくなるくらい簡単に。


「あなた、やはり、そんなものに取り憑かれていたのね」

「ははははは、私は祓ってくださいなどとは頼んでいなかったのですが!」


 ずぶ濡れのオーガスタはゆっくりと立ち上がると、殺気が感じられるくらいの迫力で聖総主教を睨みつけていた。

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