Episode.1 始まりの琴線

「じゃあ、〈〉を1人で紡げるっていう噂は本当なの!?」


 メイシャの声に、アイラは絶句した。手に持つカップに残っている紅茶が音を立てそうなほどに揺れる。震えているのだ、その手が。

 幸いだったのは、今彼女が口の中に紅茶を含んでいなかったことだろうか。含んでいれば、彼女は高貴な身分を持つ女性の前で紅茶を盛大に吹き出すという醜態を晒すところだったのだから。


「…そ………それを――どこでお聞きになったんですか……?」


 声が震えるのを抑え、なんとかそれだけを問いかける。アイラの問いかけにメイシャは微笑むと、それがさも当たり前であるとでも言うようにこう返した


「私の誕生パーティで、皇帝陛下から直接」


 アイラは、自らの身体から一気に力が抜けるのを感じていた。

 誕生パーティ。皇帝陛下。言葉が、頭の中をぐるぐると駆け回る。


「あら、いきなり言うとやっぱり頭が追いつかないかしら…?」


 案じてくれるメイシャの声すら遠く感じ、やっと自分が軽いめまいを起こしているのだと気づいた。


「……も…申し訳ありません…少し、その……体調が…」


 やっとのことで絞り出した声でそう告げると、メイシャは少々大げさに声を上げた。


「まあっ、大変!すぐ医務室へ行かなくちゃ!」


 その声に反応して、部屋の外から先程扉を開けてくれた騎士が入ってくる。そのままアイラの身体を軽々と持ち上げ、メイシャに会釈をして部屋を出ていった。


「あっ…あの……1人でいけます……!」


 驚きで大きくなるアイラの声だけが、静かになったメイシャの部屋に残されて、やがて空気と混じり合って消えた。それを聞きながら小さく息を吐いたメイシャが、だらしなくソファにもたれかかる。


「お嬢様、はしたないですよ」


「……わかってるわよ、そんなこと」


 傍に控えるメイドの言葉に気だるげに返したメイシャの顔には、深い憂いが浮かんでいるようだった。


「あの反応、皇帝陛下の仰っていたことは本当みたいね――となるとグランティアさん、これから少しまずいことになるかもしれないわね……」


 吐き出された言葉は、これからアイラに降りかかる大きな出来事を予見しているようだった。


 ――実際、すぐにその予見は現実となるのだ。が、それはもう少しだけ先の話である。


 ―♦――♦――♦――♦――♦―


「グランティアさんが自分で言っていたように、ただのめまいみたいですね。安心してください、少し休めば体調は戻りますよ」


 騎士に抱えられて医務室に来たアイラは、穏やかな表情を浮かべる壮年の校医からそう診断を受けて横になっていた。

 目を閉じて、先程メイシャから言われたことについて考える。


「皇帝陛下が、私に目をつけている…って、ことなのかな……七空になるんだから当然といえば当然だけど……やっぱり、私には荷が重すぎるような――それに、〈始まりの音〉のことも…知られてたんだ……」


 何度目かわからない同じ思考を繰り返して胃痛を感じた頃、ドタドタと騒がしい音が廊下から聞こえてくる。何事かと思っていると医務室の扉が勢いよく開けられ、見慣れた顔が3つ覗く。


「アイラ……!」


「倒れたって聞いたけれど…」


「大丈夫!?」


 息を切らしながら、3人でひと繋ぎのセリフを口にする。校医は呆れなのか驚きなのか何も言わずに固まっているようだ。


「ウン、ダイジョウブダイジョウブ。チョットクラットシタダケダカラ」


 アイラも、呆れを感じて少しばかり棒読みになっていた。


「大丈夫ならよかった…」


 息を整えて、最初に口を開いたのはリオンだった。ユウカとバーナードの顔は、安堵でへにゃりと歪んでいるようだ。普段すましている2人の見たことがない表情に、ようやく自分が心配をかけたのだと思い至る。


「でも……来てくれてありがとうね、みんな」


 それと、心配かけてごめん。そう告げると、3人揃って破顔した。


「いいのよ、結局何もなかったみたいだし」


 呟くユウカに、リオンがそーだそーだと相槌を打つ。すっかり気の抜けた友人たちの様子に、アイラは安堵を感じていた。


「ゴホン、グランティアさんは体調が良くなったら部屋に戻って大丈夫です。それと――」


 やっと正気を取り戻したらしい校医が、咳払いとともに4人の方を見つめる。


「医務室では、どうかお静かに願いますよ」


 その言葉に、アイラを含めてその場にいた生徒全員が苦笑を浮かべることとなった。


「すみません、私の友人が……」


 苦笑を浮かべたままのアイラが述べる謝罪に、校医の表情が元の柔らかいものに変わる。


「まあ、先に言っておかなかった私も悪いですからね。それに、ちょうど他の生徒もいませんでしたし……どうせなら、グランティアさんの体調が戻るまで世間話でもしましょうか」


 そう言って彼が話してくれたのは、「世間話」とはおよそかけ離れた内容でこそあったが、「そういうお年頃」であるアイラ達の興味をかき立てるのには十分な不可思議さを持った独特の話――そう、学園の七不思議と、それに関わる伝説であった。

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