壊れたビニール傘

真山おーすけ

壊れたビニール傘

ここのところ雨が続いている。


数か月前からコンビニで働いている俺。

雨の日は、傘立ての用意や濡れた床を掃除なんかの仕事が増えて面倒くさい。


「雨の日はホント嫌いだよ」


レジの奥で新聞を読みながら、けだるそうに呟くのは、この店のオーナーで店長の男だ。

雨が降ると客は次々とやって来るのに、店長はやる気がなくて使い物にならない。

レジには長蛇の列ができ、客の顔もどこか不機嫌そうだ。

レジから見える店長の姿を、客は睨むように見ているが、店長は気にしていない。

おかげで俺はレジ捌きがうまくなった。


並んだ客の会計が終わると、安堵と疲労感で大きなため息が出る。

客がいなくなったかと思えば、雨がすっかり止んでいた。

傘立てにあふれるほど置かれた傘も消えた。


だが一本だけ、ビニール傘が残っている。


「またか……」


雨の日になると、必ず1本のビニール傘が置かれている。

忘れ物というわけでもなさそうだ。

何故なら、そのビニール傘は壊れている。

傘の骨は折れ曲がり、ビニールには泥がこびり付き、一部は破れている。

こんな傘、差したとしても雨を防げないし、下手すれば泥で服が汚れるだろう。

イタズラだ、きっと。


店長はこの傘の事を知らせる度に、「とっとと捨てろ!」と機嫌がさらに悪くなる。

そう言えば、俺が初日に入った時から壊れたビニール傘が置かれていて、一緒に働いていた小野さんが処分をしていた。

どうやら、俺が来る前からたびたびあったらしい。

だから、イタズラだとしたら、このコンビニか店長への恨みという事になる。


その小野さんも、先週体調を崩し辞めてしまったから、今度は俺が処分しなくてはならない。

俺は、壊れたビニール傘の柄を持った。

すると、突然に脳を振らされるようなめまいがして、左耳に耳鳴りがした。

一瞬の事だったが、俺は気分が悪くなり、その壊れた傘を急いで裏口の燃えないゴミ箱に放り投げた。


「一体、誰がこんな嫌がらせを……」


何となく胸騒ぎがして、今度雨が降った時には必ず犯人を突き止めようと決めた。


だが、そう決めた日から、あれだけ続いていた雨が降ってこない。

犯人を突き止めようと意気込んでいたテンションが、晴れが続くにつれ下がっていく。

まぁ、雨が降らなければ仕事も増えないし、何より店長の機嫌が良いからそれはそれでいいのだけど。


それにしても、一体いつになったら新しいアルバイトは入って来るのだろう。

募集のポスターは、今にも剥がれてしまいそうだ。


「みんなすぐ辞めちまうんだから。貼り換えたって仕方ないだろ?」

店のフランクフルトを食べながら店長が言った。


それから数日経って、どんよりした空模様の中、ポツリポツリと雨が降って来た。

忘れかけた決意を思い出す。

相変わらず店長は、雨の降り始めた空を眉間にシワを寄せながら見上げている。

俺は傘立てを出し、傘がない事を確認する。

客が一人二人入って来る。

店に客が増えるにつれ、傘立ての傘も増えていく。

俺はレジを打ちながら、こまめに外の傘立てをチェックする。

今日はチェックしやすくする為に、傘立てを入口近くに寄せておいた。

まだまだ、あの壊れたビニール傘は差さっていない。

ビニール傘を置いた客はチェックし、ちゃんと持って行くかどうかまでチェックした。

おかげで、いつもの営業スマイルは40%ほどだ。

この店員何なんだ。とか思われてしまったかもしれない。

だが、俺には雨が降る度に壊れた傘の置き去りにする犯人特定の方が大事なのだ。

見つけてすぐにやめてもらわなければ。


どうやら、まだ残されたビニール傘はないようだ。

持ち主がしっかりと同じようなビニール傘の中から、自分の傘を取って行く。


その後も、客は次々にやって来ては俺のレジに並ぶ。

相変わらず、店長は何もしない。


「いらっしゃいませ。お弁当は温めますか?~円になります。ありがとうございました」


何度同じ事を繰り返しただろう。

客を見送る度に、傘立てを見て、次の客の会計をする。

そして、並んでいた客の会計を全て終えた頃、雨は上がっていた。

壊れた傘を入れるような、怪しい人物はいなかった。


「今日はないはずだ!」


清々しい気持ちで、俺は外に出て傘立てを見た。


そこには、見慣れた泥のついた壊れた傘が一本傘立ての隅に差さっていた。

ちょうど、ドアに貼られたアルバイト募集に隠れるように。

けれど、それを置き去りにするような怪しい人物は見ていない。

少なからず、客が店に入る時に壊れた傘を持っているなら、気づくはずだから。

一体、誰がいれたというんだ……。

イタズラへの怒りよりも、気味の悪さが強くなっていった。


俺はまたその壊れた傘を処分する事になった。


翌日も、雨が降りそうな雲行きだった。

店長は「また雨が降りそうだ。今のうちに傘立て出しといて。俺は……、奥にいるから」

と不機嫌そうだ。

俺も、ここのところ疲れがたまっているせいか、体調が悪い。

頭痛はするし、体が重い。


きっと、あの壊れた傘のせいだと思った。


昼過ぎ、弱い雨が降り始めた。

まだ客の数はそう多くはない。


そんな時だった。

アスファルトをゴムタイヤが急激に擦られた音と大きな衝突音が聞こえた。

そこにいた俺を含めた全員の視線が、コンビニの外に向いた。

店長は慌てて外に飛び出すと、「随分派手にやったなぁ」と呟き中に戻って来た。

俺も興味本位で外に出た。

店前の交差点で部品を撒き散らしながら、二台の車が車線を塞ぐように止まっていた。

その車から、それぞれ男が一人ずつ外に出てきた。

そして、車の下を確認するような仕草をしているようだ。


「誰か轢いたのかしら?」


通行人の話し声が聞こえた。

俺の周りには、いつの間にか傘を差した人だかりが出来ていた。

だが、車の下を覗いていた男達は、それぞれで首を傾げている。

遠くからサイレンの音が聞こえてくる。

降り始めた雨が、次第に強くなっていき、俺は店に戻る事にした。


すると、店の傘立ての前で佇む女子高生の姿が見えた。

女子高生は右手にビニール傘を差していたが、骨は折れ曲がりビニールは破れていた。

それを見た瞬間、あの壊れたビニール傘を置いた犯人だと思った。


「ちょっと、君!!」


俺は女子高生を捕まえようと、野次馬の傘をいくつもすり抜けた。

しかし、傘立ての前にいた女子高生はいなくなっていた。

代わりに、傘立てには壊れたビニール傘が置かれていた。

俺は辺りを探したが、その女子高生を見つける事が出来ず、すっかり雨に濡れてしまった。

しかも、コンビニに戻れば俺を睨むように店長がレジ打ちをしていた。

俺は謝りながら、慌ててレジを交代した。

髪も乾かさず、体も冷え切ってしまった。

それに、いなくなった女子高生の事も気になっていた。


店内にいた客が帰った後、俺は店長に壊れたビニール傘と女子高生の話をした。

すると、店長の顔色が徐に変わった。


「店長、さっき壊れたビニール傘を置こうとした女子高生を見かけたんですけど、心当たりってありませんよね?」


「女子高生なんて、珍しいものじゃないだろ。ここはコンビニだぞ」


「そうじゃなくて、前にここで働いていたとかありませんか?」


「……さぁね。もう、いいから。外の壊れた傘を処分してあがってくれ」


店長は俺から目を反らし、奥の部屋に引っ込んでしまった。


俺は店長に言われた通り、傘立てに置かれた壊れたビニール傘を手に取った。

相変わらずボロボロに壊れ、泥がついている。

誰も、こんな傘を差すことはないだろう。


だが手に取って、俺はなんとなく感じた事があった。

すでに何本か処分してきたが、同じビニール傘を処分しているような気がしてきた。


何の変哲もないコンビニのビニール傘だが、何というか、同じ傘が戻ってきているような。

そこで、俺はそのビニール傘をよく調べた。

すると、破れたビニール傘の隅に、マジックでうちのコンビニ名が書かれているのに気付いた。


これって、この店の傘か?


一度、傘を忘れてしまった時に、店長に店用にあるからと借りた事があった。

そういえば、あの傘返したっけ……?

そんな事はどうでもいいんだ。

あの女子高生は、やはりこのコンビニに縁があるのだと思った。

ただ、店長以外にその事を知っている人はいない。

俺は、店長に問いただすことにした。


「店長、ちょっとお聞きしたいんですけど」


「まだいたのか?もう帰っていいって言ったろ。その壊れた傘、早く捨てて来いよ……」


「この傘の件なんですけど。これって、店用の傘ですよね。内側にここの名前が書いてありました」


「そうだったのか。まったく、誰がそんないたずらを……」


「俺、この傘の持ち主、見ちゃったんですよ。店長、本当に心当たりはありませんか?」


「……」


店長を明らかに何かを知っているようだった。


「もしかして、店長の彼女だったとか……」


「そんなわけないだろ!! 彼女といくつ離れてると思ってるんだ!」


「やっぱり、店長の知り合いだったんですね」


「お前には関係ない。とっととその壊れたビニール傘捨てて帰れ」


「……わかりました」


俺は壊れた傘を力強く握った。

突然、また頭痛と耳鳴りに襲われた。


「……せっかく……」


耳鳴りの中で、一瞬女性の声が聞こえた。


すると、店長がガタンと椅子を倒すほど、勢いよく立ち上がった。

ガタガタと震えながら、窓の外を見つめている。

振り返ると、そこには壊れたビニール傘を置いて行った、さっきの女子高生が立っていた。

店長は、彼女を見て怯えているようだった。

それもそのはずだ。

その女子高生、さっきはよく見えなかったが髪も服もずぶ濡れで目は虚ろ。

制服はこの壊れたビニール傘のように、泥まみれで破れている。

何より驚いたのは、彼女の足だ。

骨が見えるほどに肉はえぐれ、そこからどくどくと血が流れ出ていた。

彼女は何かを呟いているようで、わずかに口が動いて見えた。

店長の顔が見る見るうちに青ざめていく。

やはり、この二人に何かあったのだと思った。

俺は一体、どうしたらいいのだろうか。

そう思いながら、俺は壊れたビニール傘を見つめた。

すると、彼女は俺が持ってる壊れたビニール傘を指差した。

そして、また何かを呟いているようだ。

俺は、ゆっくりと彼女の声が聞こえる距離まで歩み寄った。


「ご……な……さい。か……こわ……し……て……。せっかく……のに」


彼女の言葉は、何度も誰かに伝えようとしているようだった。


「ごめんなさい。傘、壊してしまって。せっかく貸してくれたのに……」


そう聞こえた。

すると、店長はハッと思い立ったように彼女の事を見つめた。

そして、今まで触ろうともしなかった壊れたビニール傘を手に取った。


「こんなボロ傘、壊したっていいんだ。気にする事じゃないよ」


そう言うと、彼女はスッと消えていった。

その口元は、少し微笑んでいたような気がする。


「彼女、ここのアルバイト店員だったんだ。真面目でよく働いてくれていた。優しい子でさ、バレンタインとか誕生日とか、手作りのお菓子を作ってくれたりしたんだ。だけど、ある日の夕方、彼女が帰ろうとした時に雨が降って、傘を持って来ていないって言うから、店のビニール傘を貸したんだ。大丈夫って言ってたけど、女の子を濡れて帰すわけにも行かないからな。そしたら、明日ちゃんと返しますって言って、このコンビニを出た。その直後、そこの交差点で彼女はトラックに轢かれたんだ」


「えっ……」


「そこの交差点、昔から結構事故が多いんだよ。店を飛び出すと、そこには彼女が惨い姿で横たわってた。彼女は即死だった。それからだ。壊れたビニール傘がコンビニに置かれるようになったのは」


「彼女は、このビニール傘を店長に返したかったんですよね?」


「そうみたいだ。初めてその傘を手にした時に、その事に気づくべきだった」


「どういう事ですか?」


「俺は、その壊れたビニール傘を一度手に取ったけど、彼女のあんな姿を見て、俺はすぐに傘立てに戻して店の中に逃げた。それで、他のバイトに捨てさせたんだ」


「でも、これで無事に成仏出来たんですかね?」


「だといいよ。あんな姿のままでいるなんて、可哀そうだ。その傘、悪いけどバックヤードに戻しておいてくれ」


「わかりました」


俺は返事をして、その壊れたビニール傘をバックヤードにある傘立てにそっと戻した。



その後、彼女の姿は見ていない。


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壊れたビニール傘 真山おーすけ @Mayama_O

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