傭兵と不死の女王

水森めい

不死者狂い

 ねやの中で目を覚ました。

 暖かい闇の中、手探りで隣を探る。そこには、滑らかな敷布シーツ以外の感触はない。手探りしても、目的の温もりは得られなかった。

 ゆっくりと身を起こす。視線を隣にやると、寝ているはずの愛しい人の姿が忽然と消えていた。健やかに寝息を立てる姿を眠る前に見た気がするのに。

 絶望感が首をもたげかける。だが思考が覚醒するにつれ、思い出した。

 いなくて当然なのだ。

 なぜなら愛しい人の――を、

 綺麗に余さず食った。欠片一つも逃さぬよう、温もりのあるそれを喉に感じながら、夢中で食った。

 記憶が蘇ると、今度は後悔が心を支配する。欠片でも残っていまいかと腹を抑えたが、そこはすでに空っぽだ。

 空腹感はただ虚しさだけを伝えてくる。既に愛しい人は隣にはいない。再びその温もりを味わうことはできない。

 膝を抱えてその味を思い出し、噛み締めた。



       *



 夜は深く、高く昇った月が煌々と草原を照らしていた。

 その月灯つきあかりの下、戦が繰り広げられている。規模はどちらの陣営も百に達しない、小さなものだ。だが片方の動きは緩慢で、勇猛とは程遠い。月灯つきあかり浮かび上がるのは――不死者の軍勢だ。

 肉が腐り落ちそうな者に、骨だけの者。そんなものが草原を闊歩し、もう片方の陣営である人間達に襲いかかっている。

 その一角。不死者達が一方的に薙ぎ払われている箇所があった。その中心にいたのは、一人の人間の男だ。

 幅広の三日月刀を手に、草原を走り回っている。不死者たちの中に突っ込んでは、その煌めく刃で命を黄泉に返していた。その動きはまるで舞うようで、剣舞かと思うほどだ。だがその優美さとは裏腹に、三日月刀の切先は容赦がない。

 短く刈った闇と同じ色の髪と浅黒い肌が夜闇に溶け込み、刃と同じ鈍色の目が際立って見える。口元に笑みさえ浮かべて肉片の飛沫を撒き散らすその姿たるや、鬼と呼ばれてもなんらおかしくはない。


 長い戦の火蓋が切って落とされたのは、十年ほど前のことだ。

 ある日突然、不死王ノーライフキングとその眷属が田舎町を襲ったのだ。その町の者たちは悉く不死者とされ、数を増やした軍勢は近隣の村々を飲み込んだのだという。

 不死王ノーライフキングが何の目的で人間を襲い始めたのかはわからない。皆知る前に死んで眷属と化したからだ。

 人間たちに出来るのは、防衛戦をひたすらに死守することだけだ。人が死ねば、街が飲み込まれればその分だけ眷属が増えて人間の住処が圧迫される。眷属が全て倒されるまでの、何とも終わりの見えない戦だった。

 その戦いの一つが今この場で起きている草原での戦いである。

 戦うものは皆、間もなく来る夜明けを待っていた。

 不死者たちは夜明け前になるとどこかへと消えていく。陽の当たらない場所へと移動するのだろうとは言われていたが、本当かどうかもわからない。


 暴れていた男は腐った肉片を浅黒い頬に浴びて、乱暴に拭う。その拍子に肉片から滴る液体が口に入った。酷い味と臭いに男は思わず眉を顰める。

 地面へ痰と共に吐き出すと、鬱憤晴らしとばかりに近くの骨ばかりの不死者をバラバラに崩した。骨は悲鳴とも言い難い音を立てて崩れ落ちる。その破片を踏み潰すと、男は再び戦場に躍り出た。

 彼の後方では同業者達が同じように戦に身を置いていたが、その彼らが呆れ返るほどに男は死に急いでいるようだ。


「何だあいつは。魚か何かなのか」

 

「不死者狂いの考えてることはわからんさ」

 

 そう、男を噂する声が上がるが、それも男自身には届かない。やがて朝日が昇るまで、男は戦場で踊り続けた。



         *

 


「酷い顔してるわね、ドランク」


 乱れた髪をかきあげながら覗き込む女の顔を一瞥すると、男――ドランクは寝台から身を起こした。安宿の寝台がぎしりと大きな音を鳴らす。

 男は下履一枚。女は敷布シーツに包まっているが衣服を身につけていない。先程まで共寝をしていたのだから当然の格好だ。

 安宿の一室に二人はいた。ドランクが根城にしているそこは、壁も薄ければ寝台も粗末だ。今も隣の部屋から軋む音と嬌声が聞こえる。戦から戻った男達は必ず女達を自分の部屋に呼ぶ。その度に安宿はそんな音と声ばかりになるのだ。

 ドランクを呼んだ女もまた娼婦であった。戦いでの興奮を吐き出すように乱暴に事に及ぶドランクにいつも付き合ってくれるのは彼女だけだ。自然と気心も知れ、軽口を叩き合う仲になっている。

 今回も戦の後、付き合ってもらっていた。

 その彼女の指摘に自分の顔を少し撫でる。いつもより激しく戦場を駆けずり回ったせいか、はたまた『会えなかった』せいか。疲れでも出たのだろう。

 そう思考を巡らせながらドランクは枕元に置いていた酒用水筒スキットルから蒸留酒をあおった。強い酒精が喉を焼く。喉の渇きを癒すには些か不向きだが、液体を喉に通すだけでほんの少し渇きがおさまった。

 女は寝台の上に座り込み、髪を手櫛で整えている。売り物であるその豊かな髪をいつも丁寧に梳いて、大事にしていた。安宿に呼ばれる娼婦にしては彼女は美しい方だ。壁掛けの角灯ランタンにぼんやりと照らされた顔は、体で稼ぐ為の気概と誇りに満ちている。

 名前は、なんだったか。ドランクは記憶を探る。そうだ、ココだ。長い亜麻色の髪が売りらしい。


「客がこの顔じゃ不満か?」


 鈍色の目で睨まれれば普通の女なら縮こまるか、あからさまに目を逸らす。疲れも相まって、自分は相当凶悪な顔をしているに違いない。

 だが、女――ココは目を瞬かせてから、怯えるどころかからからと笑った。


「やだ、不満に聞こえちゃった?

 違うわよ、心配してあげてんのよ常連さんの!

 あんたの顔自体は好みよ」


 そう言って、ドランクの背にのしかかる。豊かな胸が背に押しつけられるが、既に事が済んだ後ではそれに特に反応することもない。少し汗ばんだ肌が不快にすら感じた。

 ココは酒用水筒スキットルをドランクの手から取り上げると、一口呑んだ。形の良い眉が歪み、少し舌を出す。美味ではなかったらしい。


「随分強いけど、安物呑んでるわねぇ。ドランク酔っ払いってくらいだからお酒好きなんでしょ」


 その手から酒用水筒スキットルを取り上げると、もう一口あおる。


「酒なんて呑んで酔えりゃ良い」


 酒の味はよくわからない。例え天が遣わした美酒でも、酔えなければ酒精を体に回す意味がないのだ。

 ふうん、とココは生返事を返しながら、手持ち無沙汰とばかりにドランクの短く刈った髪を弄る。感触を楽しむように、細い指が頭の上を動いている。


「傭兵ってお給料いいらしいじゃない。もっといいの飲めば?」


「いらん世話だ」


 鬱陶し気にココの腕を払うと、気怠げに立ち上がった。荷物から財布を取り出すと銀貨を数枚摘み上げ、手に握り込ませる。

 それからココの耳元に囁いた。


「また頼む」


 その囁きに気分を良くしたのか、ココはくすくすと笑う。渡された銀貨の枚数を数えてから、奉仕サービスとばかりに頬に口付けた。


「はい、毎度あり。

 たまには休まないと勃つものも勃たないわよ、気をつけてねー」


 ココは素早く服を着込むと、手を振りながら部屋を出ていく。ドランクは最後の女の台詞に苦々しい顔をしてから、もう一度寝台に腰掛けた。

 急に部屋が静かに感じる。隣の部屋の嬌声も止んで、物音といえば階下の酒場で騒いでいる声だけだ。

 服を着ようと立ち上がると、窓に裸が映り込む。

 そこそこ鍛えてある体だという自負はある。そこには筋肉以外にも、噛み痕や切れ味の悪い刃物でついた引き攣れた痕があった。その中でも一際大きい傷が胸にある。まるで、何かを抉り取られたような。

 その傷痕を愛おしげに撫でると、ドランクの口元に自然と笑みが浮かぶ。それは人好きのする笑みとはとても言えない。まるで獲物を狩るような、剣呑な笑みだ。


「早く来いよ、女王様」


 傷を撫でて呟くその声音は、まるで愛しい恋人に語りかけるようだった。

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