時に蒼く、深く、小さく、世界は美しい

Nao

第一章第1話・そこにある世界と、誕生と。

 大きな満月がすっぽりと入るような、丸い丸い海岸沿い。

 海岸を縁取るように、ぐるりと舗装された細い道路。道の外側には防風林が覆っていて、その外側には南の岬手前から北の岬の手前まで続く線路、道の内側には桜の並木が連なっている。それぞれ両端が高台になっていき、やがて岸壁が突出して南北に岬があり、岬の先端には灯台がある。

 桜並木のさらに内側には小さな街並みがあって、ちょうど湾の中心部、少し丘の中腹には小さな学校と保育所と、少し大きめな病院と役場の支所があって。一つの雑貨屋と、一つの加工工場と、ちょっと大きな旅館があるくらい。

 家々もまた、丘の少しばかり高台からあって、だいたいが平屋建てで瓦屋根。40と少しの家々は天気がいいと朝は日の光で、昼過ぎにもなれば海からの照り返しで瓦屋根が艶やかに光って。

 春は桜並木が町を包み込むように柔らかに、夏は丘の先に連なって町を包み込むようにそびえ立つ山々の緑に、秋にもなれば海をも色変えるような紅葉に、冬にもなれば海側からの風と雪で全てが白銀の世界に、この町の色合いは移り変わる。

 丘の先に連なって町を包み込むようにそびえ立つ山々には、数十台もの風力発電機が規則的に並べられて、一部東側には合間を縫って大きな鉄塔が数台、町に向かってそびえたっている。夜にもなれば風力発電機と鉄塔の頂に光る赤い光が、規則的に点灯し、空に瞬く星々と月夜と共に、静かな海の水面に映しこまれる。

 北と南の岬は大きく湾曲しており、南の岬の裾側からは遠く山の向こうからの線路と、線路に沿う様に舗装された道路があり、それぞれ街へ導かれている。

 北側と南側の岬、湾の内側にはお社があり、お社からは北と南の岬の延長上、中央部の隆起した部分に向けて赤い橋が掛かっている。赤い橋が掛かる突起した部分にはより大きなお社と大きな舞台があり、大きなお社の真上には北側と南側の岬を連ねる位大きな鳥居がある。大きなお社の延長上、海岸沿い中心部にも小さなお社があり、その更に延長上、丘の中心部にも小さなお社がある。

 海岸沿いのお社、海岸沿いの線路中心部には小さな駅があり、更に北側の延長上ともなる北の岬の麓には貨物の荷受場があり、北の岬の荷受場の反対側の反りの部分には漁港がある。南の岬の道路から連なる細い道路は街中と海岸沿いとに分かれ、街中の道路は丘の上の各所へと山々の林道へと連なり、そしてまた海岸沿いの道路へとまとまって北側の岬へと連なり、漁港へとも連なっている。荷受場から山間に向かっての道は少しばかり大きくなっており、山道は山奥にある鉄鉱山へと繋がっている。小さな駅のすぐそばには遊覧船乗り場があり、湾を2隻の遊覧船が回遊している。


 そんな町の名前は、望月村。私は、私たちは、そんな町で生まれた。


 父は漁師。ここの男たちはおよそが漁師だ。父は漁師仲間の中でも人情深く、酒飲みで、情に厚く、涙もろく、演歌が好きで、ここの全てを大切にする人で。名を洋平といった。

 母は少しばかり町の加工会社や一つしかない旅館の手伝いをする人で、父とは同級生。突き抜けて明るく、歌が大好きで、誰からも慕われる程の器量よしで、名を陽子といった。


 私が生まれた年は、冬が長く、暦が春を迎えてもなお岬の岸壁を高潮が打ち付け、防風林はたたきつける重い雪と風を何とか耐えしのぎ、固く閉ざした桜の蕾には薄い氷が張り、空は真っ暗な程の雲が空を埋め尽くす毎日。

 

 生まれた日は、そんな日々の中でも風はさほど強くなく、雲はいそいそと動き、たまに晴れ間が見え隠れし、雪は降らず。

 母は陣痛で意識朦朧としている中でふと窓の外に目をやると、その雲の切れ間から差す陽の光が町を包み込むように、一気に、でも柔らかくゆっくりと届いた春を感じたそうだ。散々悩ませた陣痛もどこかに消え去り、まるで陽の光から母のもとに私が来るような感覚に見舞われたその刹那に私は生まれてきたと言っていた。

 海はキラキラと光り輝いていたと、父。遠くの山々から丘に、そして町に海にと照らされる陽の光は、まるで新しい世界が生まれてくる様だったと父は話す。

 産婆も珍しい光景に、父と共に目を奪われていたそうだ。その間に産声が上がったと思って産婆と父が振り返ると、私はそこにいたそうだ。

 母はまるで滑り台を滑り降りてきたようだったと話す。私の始まりは後にも町でそこそこ語り継がれる程の生まれ方だった。


 名を付けたのは母。この瞬間にもう決まっていたそうだ。


初めまして。あなたはね、太陽の光。皆を照らすの。光そのものじゃなくて、町とか、世界とかを照らす方。温かく包んでくれるの。私を。彼を。全ての人を。世界を。

 あなたは、陽(ひなた)。ようこそ陽。私の元へ。


 つい先程まで産声を上げていた私は、へその緒を切り、産湯で綺麗にしてもらい、ふかふかのタオルケットで綺麗に拭かれ、そして母に抱かれて、母は私に言ったそうだ。

 まるで言葉がわかるかのように、まだ見えもしないだろう瞳を母に向けて、私は母の言葉に聞き入っていたそうだ。産婆も父も、母の言葉を私と共に聞きながら、私の様子を見ながら、あぁそうか、この子は陽というのかと、妙に納得しながら絶え間なく笑みを浮かべたそうだ。


 私が生まれてきた日は、町で皆宴である。子供が生まれると宴を催し、とにかく祝う。それがこの町の風習である。

 宴はいつも旅館を貸切る。集会所もない町だから、いつも旅館には人が集まる。

たまに旅人が泊まる日であれば、これも縁だと旅人も巻き込む。私の誕生には旅人はいなかったが、やっと冬が終わった、やっと漁にも出れる、洋平の子は天気も連れてきやがった、好き放題言われたらしいが、父はそうだろう、うちの息子はすげえんだ、陽って名前も決まったんだと、負けじと豪語していたらしい。

 その日の夜は満月で、綺麗に湾の内側には、その月が映し出されて。

月と海岸に挟まれた海の水面は、とても深い群青で、水面に映し出される月が、空よりもなお色鮮やかにそこにあったそうだ。


 次の日からは、まるで昨日までの冬が噓のように春が見えるように訪れ、若葉が芽吹き、桜の蕾は膨らみはじめ、色づき、そして男たちは二日酔いながら漁に出る。


 そこにある世界は、私と共にこんな形で新たにいつもを描き始めた。

 

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