笹垂行
倉埜羊
一、笹垂行(ささだれゆき)
架空の列車に乗っている。
厳密には、列車自体は本物だ。実際には運行していないというところが「架空」なのである。しかし、向かう先がないわけではない。
〈各停・
停まる駅には停まるし、人を運んでいる。そうなると結局何をもって架空だというのか、考えれば考えるほど見えなくなってしまうから、わたしはあまり深く追及しないことにしている。とはいえ、乗客はそのほとんどが鉄道会社に雇われた
わたしはエキストラだ。周りの人間も、ほとんどがそう。ちなみにエキストラという名称は、わたし自身がそう呼んでいるだけのことだ。(それを指摘されてはならない身分であることは大前提として)呼ばれる分には
エキストラは、列車内でよく見られる光景を再現していなければならない。
〈
扉付近に
外が曇り始めたら、車内の光景からもみるみる色味が失せた。空気も淀んできた。目の前にいる人々などは背後の雲間から漏れ出す太陽光に照らされ、その表情を黒い影に押しならされてしまっている。ものの輪郭という輪郭が変にギラギラとして
ふしゅ、と新鮮なようで間抜けな音がした。人生初の赤点を披露した後の食卓に置かれる醤油差し的な間合いだった。近くの座席でサラリーマンがビール缶のプルタブを引いたのだった。ビール缶はレジ袋に包まれたままだった。
「酒を飲んでる人がいる」
いっそ声に出してみた。
誰も反応しない。皆が皆、自分の仕事を
「なんだか怖いね」
途中から乗りこんできた女の子が、隣に立つ母親の服の
母子と
母子は、母親の故郷へ向かっているところだそうだ。なんでも子供の祖母に当たる人が笹垂に住んでいるらしい。実はわたしは笹垂という地のこともよく知らない。明るくないなりに、どうも北国らしいとのイメージがぼんやりあるだけだ。
自分が架空の列車のエキストラだと確信する瞬間まで、どうやって生きてきたのか思い出せない。多分、周りにいる人たちと同じような人生を送ってきたのだろう。あまりつまらないものだから、どこかに置き忘れてきてしまったのだ。
天女の形をした巨大な雲が目の前を通過していく。輝く天女の身にまとわりついた風は、アイロンをしたように静かだった海を逆立て、津波を起こした。海は遠いものだと思っていたのに、白く泡立った波は墓場にまで首を伸ばし、すさまじい勢いで墓石を
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