第35話

 結界が展開された後に、アウラの頭の中に暗号化されたメッセージが流れてきた。

 送り主は始祖からで、内容は『〈ラーヴァ・ベヒーモス〉に関して、器以外はけして倒してはいけない』というものだった。

 まるで意味が分からない一方的な厳命に困惑しながらも、聡明なアウラは直ぐに一つの答えに辿り着く。


「ナイア様、一体なんでこんな事を……」


 この国でこんなトンデモナイ事が出来るのは、記憶している自分物の中では一人しかいなかった。

 地下の奥深くで、名状しがたき怪物達の地上進出を止めている〈冥府の王〉ナイア。

 最強のグレンツェンと並ぶもう一つの最凶。実力は謎が多く、本気を出したら他の王が束にならなければ止められないとすら言われている。


「ナイア様は無益な事はなさらない。これにはきっと深い理由があるはず……」


 だが戦地の中にいるGランクの彼は、今回は楽勝といかず苦戦を強いられていた。

 相手はDランク。限界突破をしているとはいえ、未だ最弱のランクである彼が勝てるようなレベルではない。

 そんな怪物を相手に、ステータスで負けているというのに、未だ拮抗した戦いを繰り広げている。

 力を抜きにしても、ソウスケの技量と知識は非常に目を見張るモノがあった。


 しかし五分の戦いができているからと言って、それを優勢に傾けることは難しい。

 現に少しずつではあるが、ステータスの差によって押されはじめている。


「ソウスケ様!」


 蹴りを受けた少年が大きく宙を舞う。

 ギリギリでガードしたらしいが、せっかく詰めた距離を再び大きく離されてしまった。

 炎獣が剣の投擲する動作に移行するのを見たアウラは、これから全力の遠距離攻撃が来ることを察した。


 数多の中級狩人達が命を落としてきた、炎獣の必殺技の一つ。

 ナイアの結界に囲まれている以上、内側にいる彼が逃げることは不可能。

 一つ、二つ、三つと次々に槍が放たれる。これは回避できないと判断し、黒剣を手にソウスケは自らに向かってくる炎槍を的確に最小限の動きで打ち落としていく。


 頑張って、頑張ってください。


 今のアウラには、全身全霊で戦いを続ける少年の姿を応援することしかできない。

 この光景を心の何処かで望んでいたというのに、いざ現実になるとこんなにも胸が痛むとは想像もしていなかった。


 脳裏に先程まで二人でデートをしていた記憶が鮮明に思い浮かぶ、あの景色を二度と見れなくなる可能性に、アウラは涙を流した。

 ソウスケがどんな気持ちで前に出たのか、その真意は理解している。

 彼は自分の隣に並び立つ為に、そして婚約者として、として前に出たのだ。


 嬉しい気持ちと辛い気持ちの二つが、アウラの中でごちゃ混ぜになって、どんな顔をしたら良いのか分からなくなる。

 でも一つだけ言えることがある。少年の勇姿を見守りながら、アウラは心の底から神に祈った。


「どうか……どうか死なないで。わたくしのもとに戻ってきて下さい……」




◆   ◆   ◆




 絶え間ない槍の弾幕の対処で、息をつく間もない防戦が続く。

 しかし魔力を消費する連続攻撃は、この負の魔力が薄い環境では長続きしないはず。

 呼吸が苦しい、まるで温度設定を間違ったサウナの中にずっといるような気分だ。


 途中回避に切り替えて数十秒間耐えていると、そこでようやく敵はガス欠に至ったらしい。

 消費し過ぎた魔力を回復する為に、炎獣は動きを止めて周囲の炎の回収を開始した。


「今がチャンスだ!」


 やっと到来した敵の隙を見て、今度は此方の番だと地面を蹴り突貫する。

 敵はそれを止めるため、回復に専念しながらも尻尾を大きく振り放ってくるが。


 自分は足に力を溜める動作で、尻尾による振り払い攻撃が来ることは事前に把握していた。

 跳躍してハードル障害物の様に回避して見せた後、今までよりも更に深く接近して黒剣を右から左に薙ぎ払った。


 鋭い刃は敵の右足を、膝下の半ばから完全に切断する。


『───ッ!!?』


「まだまだぁ!」


 横を通り抜けた後、鋭く息を吐く。

 片足を失い姿勢が大きく崩れたのを確認し、続けて地面を蹴って再度本体に接近。

 纏わりつくハエを払うように、炎剣による苦し紛れの横薙ぎ払いが来る。回避するのは時間のムダなので、黒剣で打ち払いながら懐に潜り込んだ。


 跳躍し今度は左下から、右上に刃を振り抜く。

 炎獣は急所を守る為に左腕を上げてガードするが、それを容赦なく切り飛ばした。


 これで片腕と片足を無くした状態、形勢は此方に大きく傾いている。もう核が埋まっている胸部を守る術は敵には右腕のガードしかない。

 このまま炎獣の共通点である心臓部にある魔石を狙い、上段に掲げた剣を振り下ろそうとしたら、


『BOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!』


 急に敵の魔力が膨張し、通常よりも五倍以上に肥大化した右腕を間に割り込ませてくる。

 防御をする事は想定していたのだが、この膨らんでいる現象は一体何なのだ。


 頭の中にある〈ラーヴァ・ベヒーモス〉の行動パターンの中に、こんなものは存在しない。

 身を守る為に腕の防御力を強化したのか、だがこの程度の障害は黒剣ならば断つのは難しくない。


 深く考えても仕方がない。こんな悪あがきはさっさと処理して、一刻も早く本体に止めを刺す。

 そう考えた目の前で、腕に込められる魔力が更に増えていく異常な現象に気が付いた。

 明らかに過剰な魔力の集中によって、肉や血管が耐えられずに裂けて血が噴き出している。


 どう考えてもおかしい、これではまるで───っ!?


 即座に敵の意図を理解するも、向かってしまった以上ここから逃げる事はできない。

 膨れ上がった右腕は臨界点に達し、視界を覆いつくす程の大きな爆発が起きる。

 とっさに両腕を上げ身体を丸くして防御の姿勢を取ったが、至近距離で受けた衝撃は凄まじく吹っ飛ばされてしまった。


「ガハ……ッ」


 勢いよく結界に叩きつけられ、激痛に自立することができなくなり地面に倒れる。

 爆風の直撃によって、身体のいたるところが悲鳴を上げていた。


 恐らくは身体中の骨にヒビが入ったか、少し動かそうとしただけで足や背中から激痛が走る。

 でも何よりもヤバいのは、両腕の黒衣が破られ皮膚が重度の火傷を負っている事だった。


「あ……ぐぁ……っ」


 焼けて皮膚が炭化している。痛いという感覚すらない、これでは剣をマトモに握ることすら難しい。

 腕を除いた全身を耐えがたい激痛と重い疲労感が支配していく、手足は震えて立ち上がる気力を大きく削っていく。

 ……油断した。あんなにも自信満々に出たのに、勝利を目前にして冷静さを欠いて前に進んでしまった。


 激痛に耐えながら身体を起こしたら、遠く離れた場所にいる敵も身体の大部分が爆発で吹き飛び魔石が露出している始末だった。

 炎獣も今のはかなりの無茶だったらしい。負けたくないからとはいえ、まったくなんという恐ろしい行動を……。

 互いに動くことはできない状況、しかし両腕と片足を失った敵はまだ終わらないと口を大きく開いた。


 ああ、アレは知っている、あの攻撃は───〈炎獣獄砲火ベヒーモス・ヘルファイア〉。


 魔力を燃料に圧縮した火炎をビームの様に放つ、〈ラーヴァ・ベヒーモス〉の必殺技。

 Cランクですら直撃を受けたら無事では済まない程の攻撃、自分が受けたら確実に跡形もなく消滅してしまうだろう。

 こんな状態では回避も防御も難しい、となれば残された道はただ一つ。

 力を刃に集め、斬撃として飛ばす事。


 ……だけどできるのか、こんな心身共に消耗しきった身体で、ヤツを倒すだけの力を集める事が?


 不安を抱いていると、不意に背後の結界を叩くような衝撃が伝わってくる。

 振り返るとそこには手をついて、聞こえなくとも声援を送ってくれている聖女様がいた。

 無様な姿を見せて涙を流させてしまった事に罪悪感を抱きながら、それでも彼女が近くにいてくれる事が他の何より嬉しかった。


 好きです。貴女の事が大好きです聖女様……。


 今は相応しくなく、伝えることができない思い。

 聖女様が近くにいてくれるだけで、不思議と身体の奥底から力が沸き上がって来る。

 最強の恋する心を胸に、手にしたエステルお手製最高の剣を見る。

 剣はもう亀裂だらけで、あと一回しか使えそうになかった。

 その一回があれば十分だと判断し、握った剣を天高く掲げた。


 もう防御はいらない。黒衣は解除しこの場に滞留している負の魔力を剣に集中させる。

 集まった負の魔力は亀裂を更に大きく広げ砕け散る寸前まで、体内で炎を圧縮している敵と同じように剣身に圧縮していく。

 これで倒しきれなかったら、自分の敗北。

 これで倒しきれたら、自分の勝利。


 さぁ、この戦いに決着をつけようじゃないかッ!


 まるで導かれるように、魔力が集まってくる。それは負の魔力だけでなく、聖女様が発している魔力にも干渉を行った。

 漆黒の粒子に純白の粒子が混ざり合って、かつてないほどの力が爆発的に生まれる。

 空気と地面が震え、結界に歪みを生じさせるほどの力の奔流ほんりゅうが天に突き刺さる。

 正と負の相反する二つの祝福を受けながら、無意識の内に口を開き祝詞のりとを告げた。



 ──深き眠りに就きし、偉大なる王を想望そうぼうせし世界の輝き。



 ──未だ遠き器の願いを聞き届け、深淵の底より天を見上げよ。



 ──救世を定められし、冠絶かんぜつなる王の剣。



の名は────────────』



 時間にしてコンマ数秒間だけ解放した真なる力が、世界を真っ白に染め上げる。

 炎獣〈ラーヴァ・ベヒーモス〉の放った獄砲火は光を貫くことができず、そのまま本体ごと飲み込まれて消滅するのが見えた。

 光は何処までも広がっていく、握っていた剣は既に手元からは消失していた。

 文字通り全てを使い果たした自分は、崩れ落ちるようにその場で倒れる。


 冷たくなっていく身体、遠くなっていく意識。

 ああ、また死ぬんだな……と三度目の死に達観した感想を抱く。

 真っ暗に染まっていく世界の中、辛うじて生きている身体の触覚が唇に何かが触れるのを感じとる。


 そこから流れ込む優しくて暖かい光が、身体の内側を満たしていくのに安心感を覚えながら、

 まるで聖女様に抱かれているような、例えようのない安らぎの中で眠りについた。

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