第12話

 ジリリリリ、と少し耳障りな音が鳴り響く。

 コレは覚醒を促す丸い鉄の塊──遥か昔にとある狩人が作成した、『目覚まし時計』と呼ばれるアイテム。

 枕元にあるソレに手を伸ばし、軽くスイッチの部分を叩いて停止させる。


「ふわぁ……」


 小さなあくびを噛みしめながら、身体を起こしたアウラは軽く手足を伸ばした。

 時計の液晶に表示されている現在の時刻は、午前七時くらい。


 意識の覚醒度合いは、大体七十パーセントくらいだった。

 ぼんやりしながら大きなベッドから四つん這いで縁まで移動すると、そっと片足ずつ床に下ろして慎重に両足で立つ。


 背筋をびしっと伸ばしたら、そのタイミングで部屋の扉が軽く二回ほどノックされる。

 入室を許可したら扉を開けて入室したのは、幼い頃から側で世話をしてくれている黒髪の美人メイドことオリビアだった。


「おはようございます、お嬢様」


「おはようございます、オリビア」


 軽く挨拶をしたら仕事のできる敏腕メイドは正装である白い法衣を用意して、先ず最初にアウラの着ている薄いネグリジェを脱がす所から始めた。

 自室でさらけ出すのは、髪の色と同じ真っ白な下着を纏った姿。


 適度な運動とバランスの取れた食事を徹底している彼女の身体は、全てが完璧と言っても過言ではなかった。

 整った顔立ち、ムダな脂肪のないスラッとした身体と玉のような肌。


 唯一気にしているのは、可もなく不可もない普通サイズの大胸筋だけ。

 法衣を着せるオリビアを見て、表には一切出さずに胸中で溜め息を吐く。


 ああ、なんて大きいのだろう……。

 白と黒のメイド服の上からでも、はっきり分かる程の大きい二つの膨らみ。


 目測だけどサイズは、恐らくGカップくらいは余裕であるはずだ。

 羨ましい、と声には出さずに胸中で呟く。


 最近読んでいる恋愛小説には男性が女性に惹かれる要素の一つに『胸の大きさ』というのが書いてある事に、アウラはこれ以上ない衝撃を受けている。

 何故ならそれ以外が揃っていたとしても、欠点である胸を兼ね備えた者が現れたら敗北する可能性があるから。


 現在の年齢は十八歳。狩人と同じ性質を持つアウラの身体は成長期を終えた為に、もうこれ以上は成長する事がないし外見が老いる事も無い。半年前なら、この身体について気にする事は無かったのだが……。

 今は違う、好きな人がいるのだ。それも誰に言われたわけでもなく自らの意思で心に決めた人が。


「お嬢様、お着替えが済みました。最後に髪をしますので鏡の前に移動を」


「はい、わかりました」


 着替えが終わると、次に大きな鏡の前に移動する。オリビアは長い白髪を整える為にクシと呼ばれる道具をメイドの不思議ポケットから取り出し、片手ですくい上げて丁寧に一束ずつすいていく作業を始めた。

 まるで貴重品を扱うような手つき、心地よい感覚に思わず顔がほころぶ。

 身を任せながらアウラは、再び思考の海に身を投じた。


 ──思い出すのは、生まれた時からAランクだった事。


 レベルは700と限界値で、初期ステータスもAランクの水準の二倍くらい。

 スキルに関しても〈神聖魔法〉〈光魔法〉〈剣聖〉〈拳神〉の最強四種を使用することが出来た。


 当然だけど、これは普通ではない。狩人同士の間に産まれる存在は基本的に両親が所有するスキルの一つ〜二つが継承されるのと、転生した狩人と同じようにレベルとステータスは初期のGランクから始まるのが普通。


 故に奇跡の御子と崇められる事となったアウラは、産まれてからずっとサンクチュアリ城内で両親とSランク狩人であるオリビアと姉達の庇護下で暮らしてきた。

 外の世界には一歩も出た事が無く、普通の狩人達と違ってノルマはない。


 物心がついた頃から、ずっと英才教育が施されてきた。その結果として練習相手にとある伝手で用意されたSランクモンスター程度なら、一人で倒せるレベルまで成長する事ができた。

 実力で例えるなら、現在の四大ギルドの団長と互角以上の戦いができるくらい。

 でも周りからどれだけ凄いと褒められても、アウラの心には全く響かなかった。


 理由は、今の生活があまり楽しいと思えなかったから。

 教わった事は直ぐに覚えるし、取り組んだ事はあっという間に極めてしまう。


 他者からしてみたら羨ましい話だけど、少女にとっては物足りなさを感じさせる大きな欠点であった。

 しかも周りにいるのは大人達ばかり。狩人の間で子供を作る者が全くいない為に同年代と接する事がなかった彼女の心の隙間は、より大きくなっていった。


 だから十八歳になる頃に、趣味が読書と外の景色を眺めるだけとなったのは当然と言える。

 ああ、せめて一度でも良いから本のヒロインみたいに素敵な恋がしてみたい。


 でもそれも、この城にいる限り叶いそうにない。

 きっと、このまま物足りない日々を過ごすんだろう。


 恵まれ過ぎているが故に、決められたレールを進む事しかできない自分の人生に諦めかけていた時。

 読書の時間を終えていつものように夕方の山を眺めていたら、アウラは自室からいつも見ている第一エリアの山中に自分の人生に光をもたらす程の、とても面白い光景を見つけてしまった。

 物語で書かれている運命の出会いとは、正にこの事をいうのだろう。


「うふふ……」


「お嬢様、どうかされましたか?」


「あ……いえ、なんでもありません」


 首を横に振って否定したら、オリビアは怪訝な顔をする。

 少しだけアウラの様子を伺った後に彼女は、目の前にある穢れなき純白の髪を手入れする作業に戻った。


 それに対し、今度は顔に出さずにホッとする。

 ふう、危ないところだった。あの時の事は思い出すだけでつい笑ってしまう。


(だってあんな面白い事、物語の中でしか見る事ができません!)


 彼女が脳内に再生したのは、半年前の出来事。

 初心者装備一式を身に着けた同い年くらいの少年が安物の長剣を片手に、オレンジ色のレアモンスター〈スライム〉と睨み合う光景。


 少年は出方を伺うと、先手を打つ為に勢いよくスライムに向かって駆け出し。

 全力で振り上げた長剣は、握り方が甘かったのか少年の手から綺麗にすっぽ抜けた。


 先手を取るつもりだったのに、まさかの痛恨のドジ。

 そしてスライムからの容赦のない右ストレート、左ジャブときて最後に右アッパーが炸裂して少年の身体を空高く打ち上げた。

 レア個体のモンスターは、通常と違う攻撃スタイルを身に付けている事がある。


 まさかスライムが格闘技を使うなんて、誰が想像できるだろうか?

 しかも打ち上げた少年と入れ替わるように、すっぽ抜けた剣が高速で回転しながらスライムに落ちてくると、そのまま綺麗に真っ二つにして光の粒子に変えた。

 本当にアレには、見ていて驚かされた。


 手から抜けた剣が時間差で、スライムに落ちるなんて予想外過ぎる。

 余りにもインパクトのある一戦にあっさり心を掴まれると、それからは毎日自室で同じ山で狩りを行う少年の動向を目で追っていた。


 つたない剣の使い方、ムダだらけの体捌き。

 だけど楽しそうに目の前にいるモンスターと戦い、傷を負いながらも少しずつ強くなっていく。


 見ている限り、特別な才能は一つも持っていなかった。

 狩人なら誰もが所持しているスキルを使わない事を不思議に思い、オリビアに調べてもらい〈スキルゼロ〉と周りから呼ばれ孤立していると知った時は激しい憤りを覚えた。


 何か力になりたいと考えて両親に相談をしたが、彼に関して直接干渉することは始祖に時が来るまで硬く禁じられていると言われてしまった。今まで願って叶えられなかった事は一度もなかったのに。


 生れて初めて、彼に何もしてあげられないと悔しい感情を抱かされた。

 自室から見守る事しか出来ない中、彼はくじけることなく一人でノルマを達成した後も山に登って日が暮れるまでひたむきに研鑽けんさんを重ねていた。


 そんな自身には無い、熱心な姿勢に惹かれてずっと見守り応援してきた。

 気が付くと、心の中を常に占めていたのは少年だった。


 スキルゼロの烙印を押された人族の狩人。


 名前を、──ソウスケ・カムイ。


 頑張る彼に何かしてあげたいと考え、難しい顔をする始祖を説得して何とか応援する手紙を書く許可をもらった。

 身分は明かさないように注意されたので、内容は応援とか自分の人に話せる趣味とか簡単なモノ。


 返事の手紙を貰った時は、嬉しすぎて一日中ニコニコしながら読み直していた。

 すると義理の姉的存在である他のメイド達に文通のやり取りがバレてしまい、「甘い物で胃袋を捕まえるのにゃー」という助言で初めてお菓子作りにチャレンジすることになった。


 この時は、自分の学習能力の高さに産まれて初めて感謝した。

 最初の形は歪だったけど、今は講師のメイドも大絶賛する腕前となったのだから。


(……まさかお礼にプレゼントを頂くことになるとは、予想もしていませんでした)


 いつも肌身離さず所持している、あの時のレアスライムからの希少なドロップ品〈ジュエルスフィア〉を加工したネックレスを見て、幸せな気持ちに笑みを浮かべる。


「お嬢様、支度の準備が済みました」


「ありがとうございます、オリビア」


 今日は彼が城にやって来る、どうおもてなしをしようか。

 彼の喜ぶ顔が見たい。今まで直接接することができなかった分、彼を楽しませてあげたい。

 綺麗に整った自分の姿に満足すると、アウラは本日の作戦を考える為に自室を後にした。

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