第2話 ハッピーエンド
治療のために彼女が入院してからというもの、私は病院にお見舞いに行くのが日課となっていた。
その日も、学校が終わってすぐに彼女がいる病院へ向かった。
病室の扉を開けると、ベッドの上から窓の外を眺める彼女がいた。
彼女は、私に気づいてニコッと笑った。
「…今日は遅かったね、凪咲ちゃん。」
「そう?いつも通りじゃない?」
私はベッドの近くまで歩いていくと、鞄を下ろして静かに丸椅子に腰掛けた。
「…体調はどう、明里?寝てなくて平気?」
「大丈夫だよ…!今日はすっごく調子が良いんだ〜。調子良すぎて、惑星一つくらいなら軽く吹き飛ばせそう…!」
「…もっと他の事に使えば?その調子の良さ。」
「えへへー、調子は良くても虫の居所は悪いんだよ〜…!」
「腹立つ事でもあったの?…惑星を消すくらい?」
「まぁね。ムカついてんだよね〜、あれに。」
「…何に?」
「ストイック過ぎる自分に…!」
明里は親指で自分のことを指し、ドヤッと私の方に顔を向けてきた。彼女の身体には複数のチューブが取り付けられていて、それが体の動きに合わせて静かに揺れた。
私は、彼女の自信に満ち溢れた顔を呆れた目でジーッと見た。
「…私、それに反応しなきゃだめ?」
「ううん、別にいいよ。安心して、そんな義務はないから…!」
「いや、そうじゃなきゃ困るけど。あっ、そういえば…最終話投稿したんだね。さっき、読んだよ。」
「ほんと?嬉しい〜。最初はめちゃくちゃ渋るくせに、なんやかんや最後まで読んでくれるよね〜、凪咲ちゃんは。…で、どうだった?」
「え、何が?」
「感想に決まってんじゃん…!どうだった?」
「ああ…。面白かったよ、とっても。」
「ほんと?よかった〜!」
明里はほっと胸を撫で下ろした。
私から面白いという言葉を引き出せて、心底安心しているようだった。
明里はここ数ヶ月、ネット上の小説投稿サイトに自分の作品を投稿していた。それは100話にも及ぶ大作で、彼女は休む事なくその作品を書き続け、毎日一話ずつ投稿していた。
そして、その作品の最終話が今日投稿された。私は、ここに来る前にそれを読んできた。
「凪咲ちゃんからその言葉が聞けてよかったよ。」
「うん…SNSの反応は?」
「みんなも面白いって言ってくれてるよ。ほら。」
明里はそう言って、テーブルの上にあるスマートフォンを手に取り、電源を入れて私に見せてきた。
スマホには、彼女が書いた作品に対する感想コメントが映っていた。
「とても面白かったです!」とか「感動し過ぎて涙が止まらないです…」とか「完結おめでとうございます!」とか。作品に対する感想から明里の頑張りを称賛する言葉まで、彼女のスマホには色々なメッセージが映し出されていた。
「…よかったね、明里。」
「うん。みんなが私の小説読んでくれて嬉しい。…思い切って病気のこと告白してよかったよ。」
「…明里の小説が面白いからだよ。みんな、この小説が面白くて大好きだから、最後まで読んでくれたんだと思うよ。」
「えへへ、そうかな~。」
「フフッ…そうだよ。」
数か月前、明里はSNS上で自分の今の状況を告白した。大病を患っていること、余命が僅かであること、そして、これから毎日、小説を書こうと思っていること。彼女は、それらを明かすことにあまり前向きではなかった。そこには彼女なりのプライドがあったのかもしれない。純粋に作品の面白さだけを評して欲しいという願いがあったのかもしれない。
しかし、明里は勇気を出して、そのプライドを捨て、SNSで全てを明かした。
すると、それを見た多くの人達が彼女のもとに集まった。そして、多くの応援や励ましのコメントが彼女のもとに寄せられた。
それを見た明里は、悩んでいたのが嘘だったかのように喜んでいた。みんなから寄せられたコメントに嬉々として返信していた。
やがて、彼女が小説を投稿し始めると、彼女を応援するコメントは更に増えていった。そして、話数が増していくのと同じように閲覧する人の数も増えていき、彼女は今までにないほどの注目を浴びることとなった。
「いやー、嬉しいもんだね。どんな形であれ、みんなが注目してくれるっていうのは。」
「…そっか。」
「…どうしたの?なんか、浮かない顔してるね。」
「えっ、そう?」
「うん、してるよ。」
「…。あのさ、明里。ひとつ、聞いていい?」
「なーに?」
「今回はなんでハッピーエンドにしたの?」
私が明里にそう聞くと、彼女は少し驚いたような顔をした。しかし、彼女は直ぐに微笑みを浮かべて、私から窓の外へと視線を移した。
「気づいた?」
「…明里の作品で、キャラクター達がみんな幸せになって終わるなんてことなかったからさ。」
「そうだね。まぁ、私、ハッピーエンド好きじゃなかったからね。」
「…。」
彼女の言葉に、私は押し黙ってしまった。なんと返していいかわからず、ずっと頭の中で言葉を探していた。すると、そんな私を見兼ねてか、明里は穏やかな口調で私に語り出した。
「今まで、世界には良いことより悪いことの方が多いって思ってた。最初はなんとなくそう思っていただけだったけど、年を重ねるごとにそれは確信になっていったんだよね~。それで、バッドエンドとかメリーバッドエンドのやつばっか書いてたんだけど…」
明里は、私の方に再び視線を戻した。
「病気のことを告白して、みんなからいっぱい応援を貰って思ったんだよね。ああ、これも悪くないなって。」
「…。」
「それで…今までにないほど注目を浴びて、今までにないほど色んな人に応援されて、こうも思ったんだよね。今まで自分の書きたいものばかり書いてたけど、ほんとにそれでよかったのかなって。私は、この人達の期待に応えられるようなものを書かなきゃいけないんじゃないかってね。それで…」
明里は、手に持っていたスマホを操作し、今日完成させた小説を画面に映した。彼女はそれを見ながら言った。
「これを書いたんだ~。この恋愛小説を。病気の女の子が主人公で、その子には幼馴染の男の子がいて、その二人が恋に落ちていくって話。今の私にはピッタリの題材だと思ってさ。」
「そうだね。」
「でしょ?一話目を投稿した時のみんなからの反応も良好だった。そして、その後もみんな面白いって言ってくれた。だから、最後まで書き切ることができたんだ~。」
「そっか。でもまぁ、ほんとにおもしろかったからね。いや~、最後、瀬奈が廉の呼びかけで目を覚ますシーンですっごい感動したわー。その後、二人が結ばれて、瀬奈の病気も取り敢えず落ち着いて、そんで途中仲が拗れた親友の麗香も最後は二人のこと応援してくれてたし。まさにハッピーエンドだよね。私は、今までの明里が書いた小説の中で、一番好きな終わり方かも。」
「見かけによらず凪咲ちゃんはそういうの好きだよね。こう…大団円みたいなやつ。」
「一言余計だよ。私は…明里ほど強くないから、嘘でも最後にはそうなるって言ってくれるものの方が好きなんだよ…たぶん。」
私はそう言って俯いた。すると、当たり前だが視界に自分の身体が映った。それは、私自身が発した言葉に呼応して、みっともなく震えている様に見えた。
「大丈夫、凪咲ちゃん?」
そんな私に気づいたのか、明里は優しく問いかけてきた。
「…うん。」
私はそれに弱弱しい声で答えた。
しばらく沈黙が流れた。とても静かだった。まるで、この部屋から私も明里もいなくなってしまったかのように静かだった。私は、物凄い勢いで時間が流れていくような感覚に陥った。明里と過ごせる時間は極僅かかもしれないと思ってしまった。
やがて、明里が沈黙を破った。
「実はさ…」
彼女は俯いている私の顔を覗き込んで言った。
「他の終わらせ方も考えてたんだよね。」
「…他の終わらせ方?」
私は俯いたまま答えた。
「そう。実は、この物語を思いついた時は、最終回を悲しいものにしようと思ってたんだよね。主人公の瀬奈が、幼馴染の廉と結ばれず、親友の麗香と仲直りする前に死んじゃうって落ち。登場人物が誰も報われないような、ね。」
「そうだったんだ。…でも、変えたんだね。」
「そうだよ、変えたんだ~。」
「それは…。」
私は言葉を詰まらせた。それを汲み取ってか、明里は続けた。
「さっきも言った通り、書き始める前にみんなから応援を貰ったこと。あと、お見舞いに来てくれる友達とか、私を心配してくれている家族とか親族の人、それからいつも私が書いたお粗末な作品を嫌々ながらも読んでくれる凪咲ちゃんとか…色んな人の顔が浮かんできて、私はこの人達を勇気づけれるような作品を書かなきゃダメだって思ったこと。それが理由かな。」
明里はそう言った後、窓の外に広がっている空の方を見た。空は、青色からオレンジ色へと変わっていて、私達がいる部屋もそれに釣られて少し色を変えていた。
「だけど、物語を書いて投稿し始めたら、今度は、やっぱり元々考えてた終わり方の方がいいんじゃないかな?って疑問が沸いてきたんだ~。その終わり方に行き着くように物語を考えていたんだから、それは変えない方がいいんじゃないの?ってね。変だよね?強く決心して書き始めたはずなのに。優柔不断だよね。」
彼女は以前、空を見上げていた。夕日が沈んでいく様子を眺めていた。
「でも、今度は変えなかったんだ。みんなの期待に応えないとって思って。一生懸命、ストイックにさ、頑張ったんだ~。だけど、ずっと不安は払拭できなかったね。私が書きたいのは本当にこれ?っていう疑問が、ずっと頭の中から消えなかった。」
私はずっと下を向いていた。しかし、明里はそれに構うことなく続けた。
「それでも、なんとか物語を最後まで書き切ったんだ。不安を抱えたままね。そしたら、読んでくれたみんなから『感動して泣いた』とか『主人公に勇気づけられた』とか『幸せな終わり方でよかった』とか、いっぱい温かなコメントが送られてきてさ。それに、凪咲ちゃんも面白いって言ってくれて、しかも、終わり方は一番好きだとも言ってくれた。…だから、私、とっても嬉しかったんだ~。みんなからの言葉を聞いて、すっごく安心したんだ~。期待に応えれたって。…みんなを勇気づけられる作品を作れたんだって。それで…思ったんだ。」
彼女は、少し笑った。そして、穏やかな口調で言った。
「…ああ、なんか違うなぁって。」
私は顔を上げた。
反射的に彼女のこと見てしまった。
彼女は遠くの空を見ていた。優しく微笑みながら、懐かしむように。
そして、しばらく間を置いた後、静かに私の方に顔を向け、明るい声で言った。
「私が書きたかった物語は、これじゃなかったなって思った。世の中には、悲しいこととか、苦しいことの方が圧倒的に多くて、夢や希望なんて僅かにしか存在しないんだよって。そんな物語に本当はしたかったんだなって改めて気づかされた。だからね、こう見えても私、今、すっごく後悔してるんだよ?」
私は黙ってその話を聞いていた。
彼女に慰めの言葉をかけてあげられない自分がとても情けなかった。
だが、言葉を発すると、涙が流れてしまうと確信していた。
窓の外に見える夕日が、さっきよりも眩しく見えた。
「だけど…」
その陽光に照らされながら、彼女は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに告げた。
「何故だかそれがとっても嬉しかったんだ~!死んでも死にきれないくらい悔やんでるはずなのにさ!…なんでだろうね?」
明里は少し首を傾げた。
私は涙を堪えきれなくなった。
流れないように堪えていたけど、無理だった。
下を向いた。
小さく震える右手で、顔をさり気なく覆う。
頭の中で纏められないまま、言葉を発した。
「あんたはさ…!私にとって、最高の作家だよ…!」
続けて何か言おうとしたけど、できなかった。
明里は茶化すように私に言った。
「もう…何でそっちが泣いてるの?」
そして、静かに微笑みを浮かべて、優く言葉を続けた。
「…ありがとう、凪咲ちゃん。」
その後も、私は泣き続けていた。
遠くに見えていた夕日がその姿を消すまで、ずっと。
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