第12話信長、長州藩士に語る

「壬生浪士組の浪士目付役? よく分からない役職に就いているな」

「是非もなし。適当に作っただけの役目よ」

「……織田さん。私はまだ、あなたを信用していない。だから国の大事については語れない」

「まあまあそう言わんと。先生、話してほしいぜよ」


 織田信長と坂本龍馬、そして桂小五郎の三人は料亭の二階で話していた。

 しかし、桂の信長に対する心証は悪かった。

 五十路の初老が、あの信長を騙っていると思い込んでいるのだから当然だ。


「当初、壬生浪士組は尊皇の思いで結成されたのではないか。だがやっていることと言えば、尊皇派の有志を取り締まっている。また商家を強請ってもいるそうじゃないか」

「そうらしいな。儂はよく知らんが」

清河八郎きよかわはちろうの口車に乗せられただけの田舎侍が、京で一体何ができるというのだ?」

「それも儂はよく知らん」

「……あなたは何も知らないのか!」

「今の世については知らんよ。沖田から少しずつ聞いているが」


 そんな余裕のまま、信長は出された渋茶を飲みつつ、菓子を食らう。

 その様子に桂は熱くなる。

 この男は自分と語らいに来たのではないのか?


「坂本くん。どうしてこんな輩を私の前に連れてきた? 話にならん!」

「面白いお人ですきに、連れてきただけです。そもそも国のことを語らせるためではありません」

「君も話にならんな!」


 坂本もこういった調子だからか、桂はますます不機嫌になる。


「しかしだ。おぬしたちは本気で攘夷――外国と戦えるなどと思っているのか?」


 何気なく出た核心を突く信長の言葉。

 桂は「何が言いたい?」と動揺を怒りで誤魔化しながら問い返す。


「三百年も国を閉じた状態だったのだぞ? 日の本が弱くなるのは当たり前だ」

「……外国の力が強大なのは認める」

「おぬし、勘違いしているようだが、海外と交わることで強くなるだとか、お門違いもいいところだ」


 信長は一拍置いてから結論を述べた。


「国を閉じたことの一番の弊害へいがいは――大規模な戦ができなかったことだ」

「…………」


 桂は息を飲んだ。

 寝そべっていた坂本はガバッと起き上がり「どういうことぜよ?」と訊ねる。


「戦は運動と同じよ。動かねば贅肉ぜいにくでだるだるになる。戦を行なうことで効率の良い人殺しを覚える。いかにして大勢の人間を殺せるか。そのためには武器を工夫する――つまりは火薬だ」


 信長の言葉に二人は口を挟まず黙って聞いていた。


「日の本が国を閉じてから、外国の連中は火薬を用いて銃を作り大砲を作った。そして積み重なった死体の山で築いたものは――新たな死体よ。戦場が戦場を呼ぶ連続した戦乱でより優れた武器を生む」

「その経験がないゆえに、日本は弱いと?」

「考えてもみよ。日の本が三百年間、火薬で何をしてきたか。若い連中に聞いたが、信じられぬ思いであった」


 信長は口の端を歪めた。

 おそらくかつての盟友である家康を嘲笑っていたのだろう。

 おぬしの天下は今、破綻しようとしている――


「年がら年中考えていたことは、誰も殺さぬ夜空に咲く花――花火だ。それを大きく美しく見せるため、様々な工夫をしてきたとは。随分平和になったものよ――否、危機を感じ取れておらんと言うべきか」


 信長は「まず、攘夷を行なうのではあれば」と桂と坂本に言う。


「最新式の武器を手に入れることだ。それらで調練を行なう。それから外国の中でも強大な力を持つ者と盟を結び、自らの力を増す。そして他国の領土を取り日の本の力を見せつけるのだ」


 戦国乱世に生きた男らしい、やや浮世離れした方法だった。

 信長は国内の動乱を知らない。

 今の世に興っている様々な主義や思想を知らない。

 だから単純に気に入らない者は滅ぼせと言っているのだ。


「そう単純に行けば良いが……」


 桂はやや落胆した気持ちになった。

 途中まで納得いったものの、最後はいただけなかったからだ。


「信長さんの言うことは分かるきに。しかし、それができるだけの力を幕府は持っていないっちゅうのが大問題ぜよ」

「ま、中央政権に力が無ければ群雄割拠が起こるのが必定。足利あしかがの世が終わった理由と似ているな」


 信長はそう締めくくった。

 話に一区切りが着くと「なかなか興味深かった」と桂は立ち上がった。


「おんや? どこに行くぜよ?」

「私にも予定がある。急ぎ向かわねばな」


 桂は懐から草履を取り出して部屋の中で履き、二階の窓に手をかけた。


「坂本くん。織田さん。今日はこれにて」

「であるか。気を付けてな」

「ああ。早く『桂先生』に知らせないとな」


 桂は信長が疑問を持つ前に二階から飛び降りた。

 信長は茶を飲んだ後「どういうことだ?」と坂本に問う。


「あの者は、桂小五郎ではないのか?」

「半分当たりで半分外れじゃの。あれは桂小五郎でもあるんぜよ」


 訳の分からないことを坂本は言い出した。

 信長は黙って彼が続きを話すのを待った。


「先生自ら明かしたんなら、俺が説明してもいいかもな。実のところ、桂先生には影武者が大勢いるんぜよ」

「影武者……武田を思い出すな」

「戦国の世ならありふれとるやり方ぜよ。だけどあん人の凄いのは、一人だけじゃありゃせん。十人くらいおるんで」


 信長は目を見開いた。

 いくら戦国の世でも十人は聞いたことがない。

 坂本は茶を飲んで「さっきの先生は新堀松輔にいぼりまつすけちゅうお人ぜよ」と言った。


「長州藩士で桂先生の手足となって働いちょる」

「そうか。だからおぬし『先生』としか呼ばなかったのか」

「ご明察じゃ。しかし、あの新堀松輔さんが桂小五郎ではないとも言い切れん」


 信長は「偽名で本当は桂小五郎かもしれないと?」と問う。


「そんとおり。俺は桂先生と直接会ったことがあるが、しばらく見ないうちにあんひとみたいになったかもしれん」

「顔を変えているのか……ううむ、油断ならないな」


 信長は感心しているが同時に不気味に思う。

 十人の桂小五郎。

 誰も正体を知らない不思議な男。


「ま、いつか腹を割って話してくれるはずじゃ。そんときは顔を拝めるきに」


 複雑怪奇な京の都で珍妙な策を用いる桂小五郎。

 信長は、そういえば思い出す。

 山南から長州藩はあの毛利もうり家の子孫だと。

 ならば家臣が毛利元就もうりもとなり顔負けの奇策をしてもおかしくはない。


「桂小五郎か。覚えておこう」


 信長は桂小五郎かもしれない、新堀松輔の顔を記憶した。

 特徴のない顔――記憶しづらいのも桂の策かもしれない――だがしっかりと脳に刻んだ。


「場が濁ってしまったの。ささ、茶のお替りでもいらんか?」

「ああ。是非いただこう」


 信長の湯飲みにゆっくりと坂本は注ぐ。


「そんで、さっきの話、どこまで本気ぜよ?」

「……おぬしには誤魔化しが効かぬようだな」


 坂本は手酌で茶を最後まで注いだ。


「どうやったら国が強くなれるのか……どうして真面目に言わん?」

「敵味方がはっきりとするまで、無用な考えは控えるべきだ」


 信長は坂本に向けて湯飲みを傾けた。

 同じように坂本も倣った。


「まだ策が決まっておらんこともある」

「おまんが何を仕出かすのか、少々楽しみじゃが……」

「不安に思うのか?」


 信長の問いに坂本は「不安より心配になっちょる」と正直に言う。


「見落とした罠にかかりそうな感覚ぜよ」

「であるか……」


 確かに信長自身、感じていないわけではない。

 現に、本能寺のことがある。

 だからこそ、見落とした罠を潰す必要があった。


高転たかころびにしくじらねば良いがな」

「うん? なんや?」


 信長の呟きを不思議そうに聞く坂本。

 だが首を横に振り、第六天魔王は空になった湯飲みを見せる。


「追加で持ってこい。今日は飲みたい気分だ」

「ま、そんな気分もあるぜよ。今、持ってくるきに」

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