入学編
第67話 入学式当日
机に肘を乗せて頬杖をつきながら、今日、アナスタシアから貰ったネックレスを見つめる。
鈍い銀色のネックレスだ。十字を象った中心の宝石は、小さいが安価とはとても思えない代物。こんなものを商人の娘とはいえ、ほとんど平民に近い彼女が用意するとは……。
いや、違う。俺が動揺してるのはそれとはまた別の理由だ。というより、商売を成功させてそのお礼にネックレスを貰うというのは、俺が前世で見たゲームのシーン……つまりはイベントだったりする。
「おかしいだろ……アナスタシアのあのイベントは、学院に通ってから発生するはずなのに……」
どうして学院に入る前から彼女は問題を抱えていたのか。考えられるパターンとしては、俺が他のヒロイン達を攻略したことによるシナリオの変化。あるいは、元々、彼女は本編が始まる前から問題を抱えていたかの二択だろう。
最悪なのは後者。仮に俺が介入しなくても彼女は無事に学院へ入学することができた……と言われたら、俺は余計なことをしてまた主人公とヒロインとの貴重なイベントを消化してしまったことになる。さらに、そのパターンが今のところ最も濃厚なのがより俺の胃痛を加速させた。
だが、よくよく考えてみたら今さらな悩みだ。もう俺はかなり大きくシナリオ本編を書き換えた。始まっていないにも関わらず、ヒロインたち全員と接点を持ってしまった。
たしかに原作のマリウスは、アナスタシアとは学院に入学してから接点を持つ。当然、性格最悪のマリウスは主人公との恋路を妨害するために彼女の商会を陥れようとするが、そこで俺が消化してしまったイベントをこなし、主人公とアナスタシアの絆は確固たるものになる。
けど現状は違った。俺に二人の恋路を妨害する気はないうえ、主人公ではなくマリウスがすでにアナスタシアを救ってしまった。イベントが始まらないどころの話じゃない。イベントを勝手に進めてしまった。
「……うん。忘れよう。これまでだってそうしてきたじゃないか」
嫌なことからは徹底的に逃げる。いつだって俺は、それこそ前世からそうしてきた。結局、最後は主人公とラブロマンスを繰り広げてハッピーエンドに向かうのだろう? だったら、俺だけが今後の展開を気にするのはおかしい。
学院に入学し、主人公とヒロインの背中を押しはしても、彼らのハッピーエンドを妨害はしないと決めたのだから。
俺は手にしたネックレスを箱に入れ、窓辺から覗く満月を見上げると、面倒なことは全て頭の片隅においやってベッドへ転がる。これからも俺の方針は変わらない。俺はいつだってどんな時だって——頑張らない。
不安な未来も、不満な現在も忘れて、俺は静かに瞼を閉じて眠るのだった。
▼
最後のヒロイン、アナスタシア・オニキスとのイベントが終わってからの日々は、問題ばかりを抱える俺にとっては久しぶりに感じる平穏だった。
高頻度でグレイロード公爵邸を訪れるリリアに街中を引きずられたり、精神が不安定なセシリアに動揺しながらも街中を引きずられたり、一足先に高等魔法学院へ入学したはいいが、長期休暇は必ずウチへ来るフローラに街中を引きずられたり、たまの休みに家を飛び出したらほぼ確実に出会うアナスタシアに街中を引きずられたり……まあ、おおむね平和な日々を過ごした。
ヒロイン達との危険なイベントはアナスタシアの
そして、そんな平凡な日々を過ごしていると、俺にとって人生で最も過酷な場所となる高等魔法学院への入学式まであっという間に時間は過ぎていく。
気付けば十六歳の誕生日を迎える年。すでに入学してるフローラを除く、俺やリリア達の入学式の日がやってきた。
▼
「マリウス様? 先ほどから何やら落ち着かない様子……どうかなさいましたか?」
王家が所有する豪華な馬車に揺られながら、俺とリリアは早朝から高等魔法学院へ向かっていた。
俺は両親と共に入学式の会場へと行く予定だったが、そこへアポなしで突撃してきたのがこの第三王女殿下。俺や家族、使用人の誰もが驚いてる中、彼女は悪びれもなく言った。「サプライズです」と。
そして半ば無理やり強引に俺を馬車に引きずり込み、今にいたる。
「ちょっとこれから向かう場所に関して思うところがあってな……リリアは気にしなくていいぞ」
「そんなこと言われたら嫌でも気になります! そう言えばマリウス様は、昔から魔法学院のことを気にしてましたよね。アナスタシアさんとの件もそうですが。学院に何か嫌な思い出でも?」
嫌な思い出、か。まさにその通りだった。
「嫌な思い出なんか無いさ。これから初めて通う場所だぞ? これは言うなれば……不安と期待、かな」
「不安と期待?」
「ああ。何事も初めての経験、場所というのは緊張するもんだ。リリアはさすがに落ち着いてるがな」
「そうでもありませんよ。高等魔法学院に通えば、三年間はろくに外へ出ることはできません。外出という意味では問題ありませんが、寮に住むことになれば色々と見える景色が変わるでしょう。私も、マリウス様とずっと一緒にいられる学生生活にワクワクが止まりません!」
いや、俺は別にワクワクはしてないよ? むしろ嫌な意味でドキドキしてる。
「頼むから無断で男子寮……俺の部屋に忍び込んだりしないでくれよ?」
「王女の特権があれば……」
「犯罪だよ王女様」
ブスリと釘を刺しておく。今の顔は注意してなかったらいつかマジでやりかねない顔だった。
リリアは最初こそお淑やかで清楚然としていたが、ここ最近は俺と関わったことにより少々、暴走気味だったりする。同じ暴走列車のフローラはエロ方面に特化してるが、リリアの場合は犯罪方面に特化していた。ある意味、彼女たちは似た者同士である。
「ぶ~……何年経ってもマリウス様はいけずです。私はこんなにもあなたのことを愛しているのに……」
「なに言ってんだか」
「本当ですよ! 子供だって産めます。ぽんぽん産みます」
「外でそういうこと言うのはやめたほうがいい。主に俺が社会的に殺されるから……」
「だって……マリウス様がいつまで経っても奥手だから……」
「リリア……」
しゅん、と可愛らしく落ち込む彼女だが、それが演技なのを俺はよく知ってる。ここ最近、彼女がよく使う手だからだ。
けど実際、俺はリリアにそこまで優しくない。本編でのことが脳裏にちらついてつい一線を引いてしまう。彼女もそれをわかってるからこそ、様々な手を使って俺の気を引こうとするのだ。
「ごめん。別にリリアのことが嫌いなわけじゃないんだ。俺だって、婚約者のことは憎からず思ってる。でも……まだ、その答えを出せそうにはないんだ」
「それは……マリウス様が抱える不安と何か関係があるのですか?」
「っ。まあ、ね」
やはり鋭い。リリアは高頻度で暴走する厄介な女の子ではあるが、第三王女としての、王族としての才覚と観察眼はたしかなものだ。ここ数年で俺が何か大きな不安を感じてることに
だが、俺が何も言わないので聞いたりはしない。あくまで俺から相談、あるいは話すことを望んでいるのだろう。前世やゲームの話など、彼女にしたところで気味悪がられるだけなのに。
「でしたら詳しくは聞きません。マリウス様の問題にズケズケと土足で踏み入るのは、私らしくありませんもの。いつか……いつか、この手さえ取ってくれれば……」
それ以上は何も言わない。ただ、リリアはいつもの笑顔を浮かべて笑うだけ。その隠された悲痛さが俺の覚悟を鈍らせる。お前には運命の相手がいるんだよ、と伝えられたらどれだけいいか。その相手は俺じゃない。もっと相応しい相手がいると告げられたら、この罪悪感とも別れることができるのか。
痛いくらいの沈黙の中、俺は密かにそんなことを考える。無論、答えは出ない。答えが出ないことこそが答えのような気がした。そして、なんとなく……俺の気分は最悪だった。
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