ここしかない。



 これまで十七年、一緒に生きてきて、これほどまでに怜奈の雰囲気が明るいことはなかった。この機会を逃せば、次にまたこれが来るのは十七年後かもしれないんだ。



「怜奈、聞いてほしい」



 立ち止まって言うと、怜奈も足を止める。だが、こちらへは顔を向けない。俺の声から何かを察したように、前を向いたまま黙っている。



「俺たち、これまでずっと一緒にいて……『それ』がいつからだったかは、俺にも解らない。でも、気づいたらずっとそうだった。


 お前とも、もう一緒にいられなくなるかもしれないって……そう思って言えないままだったけど、俺たちももうすぐ受験生で、その後は大学生だ。このまま有耶無耶にしておいたら、俺たちはこれまでみたいに一緒にはいられなくなる。だから――ちゃんと言っておきたいと思う」



 小さく息を吸って、右手の缶をグッと握りしめて、言う。



「怜奈、俺はお前のことが――」


「ごめんなさい」


「……え?」


「あなたの気持ちには……ずっと気づいてた。きっとそうなんだろうなって、そうだったらいいなって……思ってた」


「『そうだったらいい』……? じゃあ、お前も……?」



 怜奈はこくりと頷いた。



「あなたがそう思ってくれてること、嫌じゃなかった……ううん、すごく嬉しかった」


「そ、そう……だったのか? え? いや、でも、じゃあ、どうして……?」



 さっきは『ごめんなさい』と? 困惑する俺を、怜奈は振り返る。その目は悲しげに歪み、大粒の涙をこぼしていた。



「私は、あなたといていい人間じゃないの。あなたは、私といたら不幸になる。あなたはきっと……私のことが重荷になって、嫌いになる」


「な、何を言ってんだ? これまでずっと一緒にいて、なんで今さらお前が嫌いになるんだよ」


「ごめんなさい……」



 怜奈は顔を伏せ、しかしすぐに顔を上げると、涙で濡れたその顔に明るい微笑を広げるのだった。



「一番幸せなまま、ここでお別れにさせて? 今までずっとこんな私といてくれて、私を好きになんてなってくれて……ありがとう。あなたといられたこと……ずっと忘れない。じゃあ――さようなら!」



 震える声で言って、怜奈は俺に背を向けて自宅のほうへと先に走っていった。



 これはつまり……フラれたってことか?



 混乱して、事情がよく呑み込めない。だが、告白が受け入れられなかったことはどうやら間違いないらしい。



 こんな時、怜奈を追いかけていいのかどうかも解らなくて、俺はしばらくその場に立ち尽くしたが、やがてコーンポタージュもすっかり冷めた頃、とぼとぼと帰路についた。



 そして俺が怜奈と会うことは、それきり一度もなかった。翌日から怜奈は学校を休み、その数日後には別れの挨拶もないまま転校していってしまったからだ。



 あの日、あの時、怜奈は心の中で何を考え、何を俺に対して望んでいたのだろうか。俺は果たして怜奈の気持ちをちゃんと考えていたのだろうか。



 もうすぐそこにあった怜奈の手を――暗い穴へと落ちていく怜奈の手を、俺は掴み損ねてしまった。そんな気がしてならないのだった……。



 エンド5:すぐそこにあった手。

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