アイドル声優だった私が、アイドル声優をやめるまで

文乃綴

序章

序章(前)

 小学五年生の時、パソコンを買ってもらった。ピカピカのノートパソコン。新品だからとても高いんだぞ、とおじいちゃんは言う。

「これからの時代はコンピュータだ。菜摘もがんばって使い方を覚えてみろ」

 そのように話すおじいちゃん自身は、コンピュータどころか携帯電話さえまともに使えない。きっと、このコンピュータも誰かからの貰い物で自分では使えないから、私にくれたんじゃないかとさえ思う。なんであれ、このプレゼントは祖父が私に過去に買い与えた品々を象徴するような、高くて、それでいて取り扱いに困るものだった。

祖父のプレゼントというのは大体がいつもそのようなもので、お正月にお年玉と言って渡すのは図書カードであるし、誕生日には分厚い、勉強になる歴史漫画が渡され続けて、私は読みもしないので、これらは机の下で埃を被っている。渡された図書カードで漫画を買い過ぎれば没収されかねないので使うこともできず、上手い使い方も思い浮かばないまま図書カードはいつも期限ギリギリまで残されている。

 さて。今回プレゼントされたコンピュータも、それら歴史図解漫画や図書カードと同じ運命を辿るのであろうか?

最初はそのように思った。そして、喜ぶべきかどうか。この予想は外れ、私の生活においてこのコンピュータはなくてはならぬ存在となったのだ。

最初は、中に入っているゲームを遊んだ。マインスイーパだった。これは大体、二十回は遊んでそれで飽きた。

その次に出てきたのは文字入力ソフト。『こんにちわ』と書いた。別に、誰も出てこない。

私がそうやってコンピュータを弄くり回していると、それを知った父が言う。

「菜摘。お前の部屋にあるあの線を、コンピュータにさすんだ。そうすると、インターネットができる」

「そのインターネットで、何ができるの」

「お父さんも分からないんだけど、同僚でパソコンを家で使うって奴はそれがメインなんだって言ってたよ」

「インターネット、が?」

「そうだ」

 お父さんには分からないけれどね。そう父は繰り返す。

 私は言われるがままに線をつけて、インターネットができるというアプリを立ち上げる。トップページには検索欄があり、最近のニュースや天気予報などが書かれている。

そこから、どのようにしてそれに辿り着いたのか。詳細は覚えていない。ただそれが、私の人生を大きく変えることになったということだけは、確実に言える。

 それは、動画だった。

 一つの動画。アニメキャラ三人が踊る映像……私にとってアニメと言えば、夕方の五時から六時にやるもので、そのアニメは私の知識の範囲になかったし、みたこともなかった。

可憐、だった。

そう、可憐。今になってもそのようにしか表現できない。何か心の底から格好良いとか、可愛いとか、綺麗みたいなことを感じたことがこれまで一度もなかった私が初めて出会った『可憐』そのもの……それが、そのアニメの映像だった。

私だって年頃の子供であったから、アニメや漫画に触れたことがないわけでもない。しかし、今まで触れてきたのは毒にならないようなそんな物ばかりで……少なくとも、今のように心揺さぶられるようなことは過去には一度も、なかったのである。

 私はこの『可憐』そのものから得られる、言いようのない高揚感の虜になった。

九時には寝なさいという両親の言いつけにも逆らい、兄が夜まで勉強をしているその時に、親に隠れて私はコンピュータで動画を鑑賞し続けていた。

そうした行為。親の言いつけにさからい、秘密裏に事を成すという快感は、動画そのものの面白さも相まって、一種至上の幸福として結実した。

ある時、私はこの手の『夕方には放送されないアニメ』をみるために、深夜の親の居ない時間帯にこっそりと起き出し、照明も暗いままに居間のテレビでそのアニメをみた。

 感動、だった。私にとっての異世界。『未知』を象徴するようなアニメーションが、家にあるこの古ぼけたテレビの映像で展開されているその非現実感。

しかし、この時間はそう長く続かなかった。

私のその深夜の冒険に気付いたのは、深夜に起き出してトイレに行こうとした父であり、父は何故このような時間に起きているのか。暗いところでテレビなんかみるな、と言い出し、私は何も言えずにただ父の言葉を聞いていた。

 すると母も起き出し、父の言葉を制止した上で、たった一言。

「明日話しましょう」

 とだけ言って、私を解放した。

 次の日、私は自分で予想していた通り母に強く叱られた。これからは夜中に部屋を見に行くとまで宣言された。両親含む家族はアニメとそれに関わる物全てを否定するので、私は言われるたびに泣き出して、赤子の頃が懐かしくなったのかと怒鳴られた。

けれど。その後に両親から、深夜に起き出してわざわざアニメをみたと笑われても、私の中にあるあの『可憐』そのものの偶像は、私の脳裏について離れなかった。今から考えればこれは一種の呪いだったのかもしれないが、当時の私は……幸せ、だった。

直接テレビでみることができないというので、私は何とかしてコンピュータを使いこなしてアニメをみた。

また、時間が取れない時にはあの三人の女の子が踊るアニメーションをみて、過ごし続けた。

 私は考えた。

この美しい、可憐な、何か奇跡のような作品の裏側には、私の想像を遥かに超えた、何も言い表しようのない営為が。奇跡のような美しい営為が、そこに存在しているのではないだろうか。当時の私はそう考えて、その一切を疑わなかった。

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