きれいな雑音

月井 忠

第1話

 僕の耳は何かが変だ。


 音が一つしか入ってこない。


 人の声に注目していると、後ろからやってくる車の音が聞こえない。

 だから、いつもお母さんに怒られる。


 先生も友達も僕のことを悪く言う。

 いじめられてるわけじゃないけど、居心地は良くない。

 でも、それは慣れた。


 僕が気になるのは、この耳の仕組みだ。


 中学に入って買ってもらった携帯で耳のことを調べた。

 突発性難聴とか難しいことが色々書いてあった。


 僕と同じ症状は一つもなかった。


 きっと心理的な何かが関係しているのだと思う。

 そのわりに、僕にはストレスがない。


 だって、この耳は変だけど、不思議なことは楽しいことだから。


 一人のとき、いつも僕は耳の後ろに手を当てて、パラボラアンテナみたいにして音を聞く。

 拾ってくる音に法則性はないみたいだ。


 鳥の鳴き声が聞こえたと思ったら、急に飛行機の音が聞こえる。

 音の切り替わる瞬間は、いつもびっくりする。


 その驚きが、僕をわくわくさせる。


 今日もこうして公園で、耳に手を当てている。


「ねえ、君」

 急に後ろから声が聞こえた。

 びっくりして振り返る。


 そこには顔見知りの男子がいた。

 同じクラスで、いつも両手をさすっている。

 僕と同じような存在。


 彼は口をパクパクさせていた。

 残念だけど、今は君の声を拾えないみたいだ。


 とりあえず、うなずく。


「それでさ、これ」

 彼は耳あてを差し出した。


 ヘッドホンみたいな形で、耳の所がふわふわのあれだ。


「これ、上げる」

「え? うん」

 理由はわからないけど、くれるらしい。


 正直、外で着けるのは勇気がいる。


 でも、ちょうど寒かったから、その耳あてを着けてみた。

 もぞもぞするけど、あったかい。


 すると、僕は驚きで飛び上がった。


 音が同時に聞こえてくる。


 カラスの鳴き声。

 ブランコで遊んでいる子供が鳴らす金属のこすれる音。

 車がシャリシャリと路面の雪を弾く音。


 僕は初めて冬の音を聞いた。


 それぞれの音は個別に聞いたことがある。

 でも、同時に聞こえたのは初めてだった。


 単なる雑音でしかなかった音がオーケストラみたいに重なって、僕は心が踊った。


「気に入ってくれた?」

 彼の声も、冬の音に混じって聞こえてくる。


「うん」

 たぶん彼は勘違いしている。


 僕はいつも耳に手を当てて聞いていた。

 その姿が寒がっているように見えたのかもしれない。


 僕は一度耳あてを外してみる。

 やっぱり、音は一つしか聞こえてこない。


 この耳あてをしているときだけ、冬の音が聞こえるみたいだ。


「そうだ、一緒に来て」

 僕は彼を誘う。


 近くのコンビニまで来た。

 彼を外に待たせて、一人で店に入り目的の品を買う。


「これ、お礼」

 目に留まった手袋を買った。

 それを彼に渡す。


「え? いいの?」

「お礼だからね」


 そもそも、どうして耳あてをくれたのかわからない。

 だから、一応お礼は必要かなと思った。


 彼は手袋をはめる。


「え? うわああ」

 彼は声を上げて、空に両手をかざす。


 目はキラキラと輝いていた。

 そんなに気に入ったのかな。


 ふと、僕は気づいた。


 彼はいつも両手をさすっていた。

 ちょうど、僕が耳に手を当てていたように。


 だから、なんとなく手袋を買ったんだ。


 彼にも、僕と同じような秘密があるのかもしれない。


 さらに、僕は気づいた。


 だから、僕のことにも気づいたのかな。


 自分にも普通と異なるものがあるから、変なことをしている僕に気づいたのかな。


「すごいなあ」

 彼はまだ空に手をかざしている。


 理由なんて、どうでもいいか。


「ねえ、図書館行かない」

 僕は彼を誘う。

「うん」


 僕に初めての親友ができたんだから、それ以外のことなんてどうでもいいや。


 今は言葉なんていらないよね。

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