第28話 雪解け

 4月も終わりに近づいた頃。

 残雪も大分解け切って、少しずつ暖かくなり、大袈裟な寒さ対策も必要がなくなってきた春先。

 駅を行き交う人々は、既に防寒着を脱いだ春服に見を包んで、開放感を覚えているのか、土曜日の休日というのを考慮しても、皆の足取りは軽そうに見える。

 対照的に、片頼かたらいいつきの足取りは少し重いように見える。


「なんでこんな緊張しているんだ俺は」


 いつもは樹が誘われる側だったが、今回は樹から風莉かざりを誘って、休日に待ち合わせをしている。

 妙に落ち着かなくて家を出て、予定よりも30分ほど早く、待ち合わせ場所に到着しそうになっている。

 

「流石に早すぎるだろ」


 あまりにも早すぎるのはどうかと思い、少し時間を潰して向かおうと思ったが、言わなければバレないだろうし、待ち合わせ場所で待つことにする。

 待ち合わせ場所は駅の広場の中央になる時計の下。待ち合わせにはわかりやすく目立つ場所だが、今日は休みなので、遊びに外出してる他の生徒たちも横切るかもしれない。

 そうすれば樹と風莉の様子は目撃されるかもしれないが……。


「どうせ、噂はされてるんだろ」


 付き合う前からバカップルだなんだと言われていたらしいので、逆に堂々としていれば変に騒がれることもないだろう。


(そもそも、風莉は俺と付き合ってることを誰かに言ったのか?)


 そんなことを考えていると、待ち合わせ場所が見えてきて、遠目から既に確認できる白いシルエットに目を見開いた。

 風莉は既に待ち合わせ場所に来ていた。


「まじか」


 まだ待ち合わせの時間には早いはずだが、既に彼女がいることに少し焦って、足早に風莉に近づいて行く。

 道行く人々は風莉のことをチラチラと横目で見て通り過ぎて行く。


(なんか前もあったなこういうの)


 以前は風莉の長い白い髪と頬にある火傷痕、それと男っぽい服装から、かっこいいのもあるが、少し怖い印象もあった。

 そんな彼女が帽子を眼深に被って静かに佇んでいたのだから、横切る人達は警戒してしまう。


「まあ、あの時は俺も話しかけるのに緊張したけど」


 今は慣れたから問題ない。

 そう思って、少しずつ風莉に近づいたところで、樹はドキリとした。

 風莉の服装はあの時のメンズファッションではなく、カジュアルなスカートを履いた女性らしい服装だった。

 しかも、その服には見覚えがあった。


「早いな風莉」

「おはようございます。樹さんこそ早いですね」

「え、いや………まあな」

「30分前とは」

「まー、遅く来るよりもいいだろ?」

「それはそうですね。私は別に気にしませんけど」


 待ち合わせは13時予定だ。

 落ち着かなくて早く来たことは、なんだか少し恥ずかしいので誤魔化そうとする。

 風莉の方は。


(あれか、二度寝するから早く来るってやつか)


 前にそんなことを言っていたのを思い出す。

 一応、風莉が休日起きるのが遅いのを考慮して、今日は昼から待ち合わせていた。

 いつも通り、風莉は表情を崩さず淡々と会話する……かのように思えた。


「……すみません。やっぱり訂正します」

「え、なにが?」

「気にしないといったことを、です」


 風莉は突然俯いてしまい、樹は少し心配そうに近付いて、様子を伺う。

 その頬は僅かに赤くなっているように見えた。


「私は我慢できなくて早く来てしまいました」


 目を逸しながら恥ずかしそうに風莉は言う。

 思わぬ不意打ちに、樹の心臓が跳ね上がったように大きく揺れた。

 

「……そんなに楽しみだったのか」

 

 エスコートする側として気丈に振る舞う。

 そもそも元々こういうことを言う奴だ。と、樹は自分に言い聞かせる。


「はい」

「そ、そうか」

「だから……その、服も……」


 風莉はおずおずと小さな声で喋る。

 いつもとは明らかに様子が違う。

 真っ直ぐに見つめてくる赤い瞳が、今日は1度も目を合わせてこない。

 風莉は1つ深呼吸をして、顔を上げる。

 そして、スカートを僅かに摘み上げ、眉を顰めながら首を傾げて、目を合わせてくる。


「かわいいと言ってくれたものを着てきました」

「────」 


 その言葉に樹は刹那、息を呑み込んだ。


「ぁ……あ、ああ! 似合ってるな!」

「そうですか? でも秋服ですし……色合いとか心配で」

「いや、いいと思う! うん!」

「……そうですか」


 先程から樹の心臓がうるさく鳴り響いている。

 あまりに耳の奥を叩く音がうるさいが、それでも風莉のか細い声は一言も聞き逃すことなく、耳に入ってくる。

 風莉は樹の言葉に安堵し、ほっと胸を撫で下ろす。


「今日はそれだけが心配でした」


 そういう風莉はいつも通りのフラットな表情に変わる。

 器用な奴だ。とも思ったが、まだ頬が少し赤くて内心喜んでいることが伝わってくる。

 それでも、赤い瞳が真っ直ぐに見つめてきて、ようやくいつも通りの風莉に戻ったのを確認する。

 

「では行きましょうか」

「ああ、そう──いや、俺がその……一応エスコートする立場なんだが」

「そうでした。よろしくお願いします」


 いつも通りに戻ったが、いつも通り過ぎて油断すればいつものように振り回される可能性がある。

 無表情なので、何を考えているかはわからない織咲風莉という少女。今日はそんな彼女のポーカーフェイスが崩れるのを既に見てしまったが、それは一時のもので、すぐに収まる程度のもの。


(もしかして、さっきの表情は計算のうちか?)


 そんなことを考えてしまうが、風莉に限ってそれはないだろう。

 風莉ほど自分の考えに正直な人間もいない。

 そんな彼女から逃げるのをやめて、樹も正直に告白したのだ。

──だとすれば、自分だけ誤魔化したのは不誠実ではなかろうか。


「…………」


 樹は立ち止まる。

 風莉に対して憧れのような感情があった。

 彼女みたいに正直に生きたい。彼女みたいに自分を貫きたい。

 だとすれば……


「風莉」

「はい」


 樹が振り返ると、風莉は表情を変えずに真っ直ぐ見つめてくる。

 樹はそこで右手を伸ばして──


「あっ」

「俺も……その、今日は楽しみにしてたから……お前とのデート」 


 風莉の左手を握って、隣に立った。

 樹は思わず顔を逸してしまうが、それでもなんとか、堪えて風莉の顔を覗き込む。

 再び風莉の顔は赤く染まって、今度は耳まで染めあげる。

 

「…………はい」


 小さな声でそう返事をする。

 2人は強く手を握りしめて、ゆっくりと歩き出した。

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