第18話 伸びる風莉
この高校には体育館が3つある。
学校創立時からある第1体育館は、男子バスケ部と女子バスケ部が練習していても、余裕を持ってお互いにスペースを確保できる程の広さがある。この学校の1番大きな体育館だ。
第2体育館と第3体育館はそれぞれ、第1体育館よりも少し小さい。
長い年月を過ごした第1体育館は、老朽化により、補強工事にも限界が近づいていた。
第3体育館はそんな第1体育館が、近い将来使えなくなるのを見越して去年建てられたばかりだ。
なので今のところは体育館が3つある状態で、あと数年後には第1体育館はなくなる。
第1体育館は少し離れたところにあるが、第2体育館と第3体育館は隣合わせで存在しており、体育の授業は男子が第2体育館で、女子が第3体育館を使って、2クラス合同で行われる。
「よし! まずは1本ずついこう!」
体育授業のバスケットボール。人差し指を掲げて自分のチームを鼓舞するのは、バスケ部……ではなくサッカー部の中でも一際目立つ男子生徒。の抜けた明るい茶髪をした、いかにもクラスの中心のような人物だ。
4時間目の体育の授業も終わりに差し掛かる頃、最後の試合には自由参加のエキシビションとなり、合同で授業をしていた1年1組と1年2組の各運動部が参加した。
「やる気あるな」
(野球部とサッカー部が多いな。雪のせいで基礎トレばっかりだから球技に飢えてるのか?)
それともただ単に、部活動以外での何もプレッシャーもないような遊びのスポーツがしたいだけか。
何にせよ、やる気に満ちていることはいいことだろうと思った。
「
「見てるよーナイスー」
まさか名前を覚えられてるとは思はなくて、内心びっくりしたが、変に警戒することもない。
だがそこで、光善の言葉を思い出した。
『下手すれば学年1、いや、全校1のバカップルとか思われてるかもよ』
そんなことを言った光善はもういない。
先程、足を捻って保健室に行ったばかりだ。
(まさか。そこまで有名にはなってないよな?)
樹は自信なさげに、思いついた可能性を否定しながら、授業が終わるまで静かにスコアを捲っていた。
第2体育館と第3体育館は並んで存在しているが、校内からの経路はそれぞれ教室棟の2階と、特別棟の1階から向かうのが、基本的な移動手段だった。
つまり、2つの体育館は外から見れば場所的には近いが、校内から移動するには少し遠い関係にある。
授業が終わると着替えるのが早い男子達の方が、教室棟に直接繋がっている第2体育館なこともあって、移動の際、特に授業が終わって教室に戻る際に、女子と鉢合わせることは滅多にない……はずだった。
「お疲れ様です。樹さん」
「
授業終わりの風莉と出会ったのは、樹が教室に戻ってから購買に向かって1階に降りた時だった。
体育の授業は既に終わってるはずだが、体育着の入ってるであろうバックを持っているあたり、今から教室に戻るところのようだ。
その風莉ともう1人、隣に立つ女子の顔を見て樹はハッとする。
「
風莉の隣には、顎下くらいで揃えられた金髪の女子が立っていた。
今はクラスが違うが、中学校ではクラスメイトだった
「久しぶりだね。片頼」
「あ、ああ……」
三葉は明るい髪とは裏腹に、風莉のように落ち着いたトーンで話しかける。
彼女の身長は樹と並ぶほどの高身長だが、もしかしたら、既に追い越されてるかもしれない。
久しぶりに彼女の姿を見た樹は、言葉に詰まってしまった。
「片頼。縮んだ?」
「いや、橙乃がデカくなったんだろ」
樹がそう言うと、三葉は自分の胸元を両手で素早く隠した。
「え? セクハラ?」
「違っ、今そんな話の流れじゃなかったろ!」
単純にからかうのが目的なのだろう。
三葉の真顔で胸を隠す姿に色気も恥じらいもなく、なんならツタンカーメン像の物真似にしか見えない。
とはいえ、女性に直接そんなことを言われると、樹も理不尽な非を感じてしまう。
三葉は周りに流されず、誰に対しても平等に対応するクールな性格で、少し悪戯っぽくて、背が高いモデル体型なこともあり、女子からも人気があった。
(なんか少し雰囲気が風莉に似てるな)
表情のあまり変わらない落ち着いた彼女を見て、そんなことを思う。
樹もそんな仲良くなかったはずだが、こちらの反応を伺って冗談を交えてくるあたり、コミュ力の高さが伺える。
その時、視界の端で白い影が動いた──否、伸びた。
「何してるんだ風莉」
風莉はつま先立ちで背伸びをしていた。
体育着の入ったバックを抱きかかえて、バランスを取ろうと無理をしているらしく、よく見ると身体が小刻みに震えている。
「身長が低いと会話に混ざれないみたいでしたので」
「いや、そんなことはないから楽にしていいぞ……」
「そうで──」
「ッ風莉!?」
案の定、風莉はバランスを崩して倒れそうになる。
大きく転びそうに体が振れた所で、樹が風莉の両肩を掴んでなんとか転倒は免れた。
「あぶねーな!」
「す、すみません……助かりました」
風莉もだいぶ焦ったのか、この一瞬で冷や汗を流してる。
両手は塞がっていたから、もし転んだら怪我では済まない可能性があった。
樹が肩を押して風莉は体勢を立て直す。
風莉はゆっくりと息を吐いて呼吸を整えると、眉を顰めて申し訳無さそうに樹の顔を見る。
「ありがとうございます。樹さん」
「びっくりさせるな、怪我してないならいいけど」
「はい。お陰様でなんとか大丈夫です」
風莉は体育着の入ったバックを左手に持ち直すと、右手の指で樹の制服の袖を掴んだ。
「ん?」
「すみません。少しふらつくのでちょっと腕をお借りします」
「え? ああ…………え?」
予想していなかった風莉の行動に、樹の思考が停止する。
風莉の足はしっかり地面についている。踵も床に付けて安定した立ち姿をしている。
支えなど必要ないように見えるが。
「風莉?」
「なんでしょうか?」
「いや、『なんでしょうか』じゃなくて」
樹が疑問に思っても、風莉はさも当然の如く袖を掴んでいる。
そもそも、掴むのではなく摘むという表現が適切な状態で、樹を支えにするほどの力を風莉は使っていない。
何か違和感を覚えるが、先日も背中を摘まれたことを考えると、特に気にする必要はないのかもしれない。
そんな2人のやり取りを見て三葉は言う。
「ほんと仲いいね2人とも」
授業中にも思ったが、やはり樹と風莉のことを他のクラスの生徒も、知っているような口ぶりをする。
「もしかして、橙乃のクラスでも変な噂がされてるのか……?」
「噂? 何か噂されてるの?」
「いや、特にないならいいや」
「私は風莉さんから片頼の話をよく聞いてたから」
「んんんっ?」
予想外の言葉に樹は困惑のあまり唸ってしまう。
風莉の方を横目にみると、視線に気づいた風莉がキリリとした顔で答える。
「任せて下さい」
「何をだ? 何を任せるんだ?」
僅かな表情の変化から、謎の自信に満ち溢れてることを読み取る。
(なんでこいつ、こんな堂々としてんの?)
クラスメイトの男子の話ばかりして、変に邪推されたりするとかは考えないのだろうか。樹はただただ困惑した。
実際、樹は無自覚に風莉の話ばかりしていたのが、光善に指摘され、誂われていたのだから。
「というか、2人はこんな時間まで何をしてたんだ。授業が長引いたのか?」
「いえ、橙乃さんと1対1のゲームをしてました」
「え? 橙乃とやってたのか?」
樹の記憶が正しければ、三葉は中学の時はバスケ部でかなり注目されていた選手だったはずだ。
高校でもバスケ部を続けていて、周りから期待されてるほどの才能があるはずだが
「相手になるのか?」
「失礼ですね」
風莉はあからさまに眉を顰めて不機嫌そうに睨みつける。
「風莉さん。実は結構運動神経いいよ」
「そうだったのか。そんなことは一言も聞いたことがなかったけど」
「今までは端っこで静かにしてましたので」
「……ああ、そういうことか」
きっと今まで人と関わらずにいようとしたから、あまり目立つようなことは避けていたのだろう。
特にバスケみたいなチーム戦ともなれば、波風立たないようにうまくやり過ごしていたのかもしれない。
「風莉さん。強かったよ」
「1度も勝てませんでしたけどね」
「じゃあ今度は片頼と2人がかりでもいいよ」
不敵な笑みを浮かべて挑発する三葉に、樹と風莉はジトりと睨み返す。
「随分な自信だな」
「ならいまからもう1度やりますか?」
「いいね」
「いや、今は無理だ。光善の分の昼飯買って帰らなきゃいけないし」
風莉も挑発に乗ってやる気を出してきたが、樹は足を捻った光善の為にも、代わりに購買でパンを買いに来ていた。
「光善さんがどうかしたんですか?」
「あー、足を挫いてな。今日はあいつの分まで買って帰らなきゃ」
「そうだったんですね」
ところで、風莉はいつまで服を掴んでいるのだろうと、樹は疑問に思う。
「じゃあ私も教室に戻るかな。いつも一緒に食べてる子、そろそろ拗ねてそうだし」
そういう三葉の顔は少し楽しそうに見えた。
「すみません。私が長引かせてしまったみたいで」
「いいよ。負けず嫌いなのは好きだから」
「そんなやってたのか……」
やはり織咲風莉という少女からは、『か弱い』とか『儚い』という言葉からは、無縁な存在のように思える。
「じゃあね。2人とも」
三葉は手をひらひらと振って、1人その場を立ち去る。
その横顔に女子からの人気が高いのが伺えて、樹はなんだかため息が出た。
そして、風莉は未だに樹の服を掴んでいる。
「橙乃さんとは仲が良いんですか?」
「え?」
三葉が立ち去ってすぐに風莉が聞いてきた。赤い瞳がまじまじと樹を見つめている。
「いや、別に仲がいい訳では無いはず。中学の時もそんな話したことはないし」
「そうなんですか?」
「ああ、でも橙乃は誰に対しても躊躇いなく話すタイプだから」
「……なるほど」
風莉は何か納得したようにいつもの言葉を呟くと、ようやく樹の制服の袖から手を離した。
「では、私達も教室に戻りましょうか」
「いや、パン買ってからな」
「そうでした。ここで待ってますね」
「ああ」
そう言って風莉は壁に背を預ける形でリラックスする。
すぐそこにある購買にはまだ数人の生徒が集まっており、樹はその後ろで待機することにした。
少し離れた所で待つ風莉を横目で見る。
なにやら自分の右手をじっと見つめている。
「…………なんだったんだ?」
結局、風莉が樹の袖を摘んでいた理由はわからなかったが、樹はあまり深く考えないことにした。
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