第15話 愛されたいから愛している

 いつきは朝が苦手なわけではないが、寒さの酷くなって来たこの時期は、流石にベッドから出るのが億劫になってしまう。

 樹は動かない身体に、頭の中で理性的に「起きろ」という命令を何度も下して、殆ど力技で起き上がる。

 もはや自己暗示に近いこの力技は、中学時代、朝の早かった野球部の時に身につけたものだ。

 樹は立ち上がり、部屋のカーテンを開ける。

 窓を開けると、まだ5時の早朝は真っ暗とも呼べる程、朝焼け手前の薄い青も見えない。

 冷たい空気が差し込むと、否が応でも目が覚める。それでももう1度ベッドに潜れば、眠りにつきそうだが。


「まだ雪は降らないか」


 白い息を吐きながら、ぽつりと呟いた。

 12月ももう目と鼻の先の11月下旬。

 去年のことはもう忘れたが、そろそろ降雪の時期だろうに、これも毎年恒例の異常気象のうちかと、樹は外の景色を見て思う。

 雪国出身ならばうんざりする『降雪』。樹のところは他の地域に比べればマシだが、雪による障害は起きる。

 だから雪は好きでもないはずなのに。

 今年はなぜだか心待ちにしている自分がいることに、樹は少し不思議に思った。




「おはようございます。樹さん」


 登校してすぐ、またしても風莉かざりと生徒玄関で鉢合わせる。

 流石に寒さが厳しくなって来たせいか、お互いに制服の上にはコートを着ている。


「おはよう風莉。なんか最近は遅いな、いつもは先に教室にいるのに」

「今までは家にいると2度寝して遅刻する可能性があったので早く来てました」

「……たしかにこっちに来てこっちで寝れば遅刻の心配はない。か」

「最近は寒いせいかまず1度目が起きれなくて……」

「ああ、そういうこ──おい、ここで寝ようとするな」


 風莉は目をうつらうつらとさせている。

 黒いタイツを履いた細い足は、床に置いた上履きから照準を外し、つま先が床に激突した。


「うっ……」

「そうはならねぇだろ」


 痛みにうめき声を上げ、苦悶の表情を浮かべるも、その瞼は閉じたままだった。

 そんな姿に呆れて、樹は上履きを履いて、先に教室に向かうとする。

 が、そこで何かが背中に引っかかってるような違和感を覚える。


「ん?」


 振り返ると風莉が樹のコートの背中を、その白く細い指先で摘んでいた。


「お願いします」

「何をだ」

「道案内を」

「は?」

「行きましょう。私達のROOM102へ」

「おい! 起きろ風莉!」


 もはや夢の中を半分歩いているかのように、風莉は意味不明な言葉を使い始めた。

 立った状態で目を完全に閉じて、首が落ちそうなほどカクカクとしている。

 不覚にも寝顔が綺麗だと思ってしまったが、やってることが異常過ぎて、樹も流石に見惚れる暇もない。

 いつも通り、周りの注目を浴びるものの、なんだか慣れてきてしまう。

 ひとまず完全に眠りに落ちそうな風莉がついてこれるように、なるべくゆっくりと歩いて教室に向かうことにした。

 

「……2人ともなにしてるの?」


 教室に入って早々、樹と風莉の姿を見て、光善みつよしはジト目を向けて言い放った。


「おはよう光善」

「え、うん。おはよー」


 樹のコートを掴んだ風莉を連れて、2人は堂々と教室に入ってきた。

 樹はまるでいつも通りと言わんばかりに、平静を装っていた。


「おはようございます久屋くやさん」


 風莉も樹の後ろから顔を出して光善に挨拶をする。


「起きてたのか」

「教室は暖かいので」


 風莉は樹のコートから手を離す。


「ありがとうございました。樹さん」


 そう言って風莉は自分の席に着席すると、背筋を伸ばしたまま目を閉じる。

 どうやらあの体勢で眠りについたらしい。


「結局寝るのかよ……」

「あれでよく寝れるね」


 なかなか器用なことをする風莉に樹は呆れる。

 光善はそんな樹をジトりと睨みつける。


「君たちさあ……下手すれば学年1、いや、全校1のバカップルとか思われてるかもよ?」

「カップルじゃないからな」

「じゃあなに? 友達?」

「そうだよ」


 樹の言葉に光善は1つため息をついた。


「まあ、樹には恋愛とかわかんなそうだしね」

「はあ?」


 馬鹿にしているような口ぶりで言われて、樹も少し語気が強くなる。

 それでも光善は動じす、樹の顔を見つめる。


「だって樹は他人に期待してないじゃん」

「……それが何の関係があるんだ」

「恋愛においてさ、誰かを好きになるっていうのは、その誰かに好きになってもらいたい。っていう気持ちの裏返しに過ぎないんだよ」


 それは一体どの本の受け売りなのかと、樹はツッコミを入れようとした。

 しかし、光善が真面目な顔で話すので、樹は黙って聞くことにする。


「他人に期待しない樹には、その『好きになってもらいたい』って感情がさ、ないよね」

「勝手なことを言うな」

「じゃあ聞くけど、樹は僕の寝取られ趣味についてどう思う?」

「別に他人の趣味なんて深く気にする必要ないだろ」

「寝取られっていうのは『好きになってもらいたい』っていう感情があるから辛いんだよ。その気持ちがあれば、多分殆どの人は寝取られというジャンルが嫌いだと思うよ」


 その話に樹は顔を顰めた。


「じゃあそのジャンルが好きなお前にも、その『好きになってもらいたい』って感情はないだろ」

「あるよー。あるからしんどいし、しんどいからいいんだよー。そういう楽しみ方」

「めちゃくちゃだろ……」

「辛い食べ物が好きな人の中には『辛くない! おいしい!』って言う人と、『辛いけどおいしい!』って言う人がいるでしょー。僕は後者ってだけ」 

「いや、食べ物と一緒にしていいものなのか……?」

「他人の趣味なんて深く気にする必要ないでしょ」

「こいつ……」


 光善は真面目そうな雰囲気から一転して、けらけらと肩を透かして話す。

 今度は樹がため息を1つ吐いた。


「樹はさ、幸せになれる人間ってどんな人間だと思う?」

「唐突に今度はなんだ」

「お金持ち? 裕福な家庭? 運動神経が良かったり、頭が良かったり、それこそモテる人かな?」


 光善は樹の答えを待つが、樹は明確な解答を見つけられずに黙り込んでしまう。

 光善はわかっていたかのように、話を続ける。


「僕はね。『失って初めて気付くような幸せに、失う前に気付ける人間』が幸せになれる人間だと思うんだ」


 真っ直ぐに、樹の目を見て言い切る。


「だからさ、樹には気付けるようになって欲しいんだよね」

「幸せになれってか……なんか重くないか?」

 

 茶化すように言うものの、光善の言うことに否定的な意見はしない。

 

「まあでも……別にお前が気にすることじゃない」

「そう? そうかもね」

「……俺も、最近は変わってきてるような気がするから」


 樹は顔を背けながら、口籠って言う。

 自分で言うのがなんだか恥ずかしくて、光善には目を合わせなかった。

──他人に期待しない。

 だとすれば、何故自分は風莉の噂話を放っておけなかったのか。

 何故、風莉にプレゼントをあげようとした時に、あんなにも生きた心地がしなかったのか。

 今の樹にはそれがうまく理解できないが、少なからず、自分の中で何かが変わつつあることに気づいた。


「じゃあ僕が気にすることじゃないね」

「はあ、なんで朝っぱらからこんな話しなきゃならないんだ」

「そりゃ僕も樹の口からBSSは聞きたくないからねー」

「ビーエ……なんだって?」

「んーなんでも。僕はアレを寝取られとは認めないからねぇ」

「なんかこだわりがあるのか」

「面白かったら別にいいんだけどね」

「なんもこだわりがないのか」

「ぶっちゃけ、消費者としては変なしがらみとかこだわりとか気にしない方が楽しいからねー!」

「お前はなんでも楽しそうだな」

 

 朝から妙に頭を使って疲れたが、樹は光善が自分のことを気にしてくれていたことに、少し嬉しさを覚えていた。

 それは絶対に口にすることはないが、改めて友達という存在の大きさを身にしみた気がした。

 そこまではいい話だったのだが、気がつけば周りの生徒が、なにやらこちらを見て、コソコソと話をしているのが確認できる。


「な、なんだ……?」


 間違いなく、樹達の話をしているのだが、いつもの話の種である風莉は、まだスヤスヤと寝ているようだ。

 光善は「あー」と何かわかってるかのように声を漏らした。


「まあ寝取られなんて、白昼堂々と声を大にして語り合うものじゃないよねー」


 またしてもけらけらと笑って、「ごめーん」と手を合わせる。


「語り『合って』はいないだろ! 完全にとばっちりだ!」


 樹の嘆く声も虚しく。

 いつの間にか、この教室では風莉よりも、樹に対する噂のほうが徐々に増えていた。

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