第12話 進んでもいい

 日曜日。

 風莉かざりが指定した待ち合わせ場所は、先日と同じショッピングモールだった。

 先日と違うのは、待ち合わせ場所が店内ではなく、今日は外の南側出口を指定された。

 自販機と並んで設置されたベンチの前で、風莉の姿を見かけた。

 防止を被った、黒いパーカーにダメージジーンズのメンズファッション。先日の風莉と同じ装いを見て、いつきは少し緊張がほぐれた。

 

「おはようございます樹さん」

「おはよう風莉。まあ昼も過ぎたけど」

「3時のおやつですよ」

「確かにちょうどいいかもな」


 風莉の顔には少し笑みが見える。

 かなり楽しみにしていたのかもしれない。この間は眠そうに見えたが、今日は心なしか目が輝いているように見える。

 その目は樹の顔を見ていたが、ふと、視線が下へと向かう。


「それはなんですか?」


 それ、とは樹が左手に持っている紙袋のことである。

 樹は変に隠すことを諦めて、堂々と持ってきていた。


「ああ、これは誕生日プレゼントだよ」


 堂々と持ってきた以上、堂々と答える。


「樹さんも誕生日なんですか?」

「なんでだよ」


 まさかの勘違いに樹は肩を落とした。

 恐らく、樹がそんなものを用意してくるとは、風莉も思わなかったのだろう。


「これは風莉への、な」

「え、私にですか?」

「そうだよ。大したものじゃないけどな」


 風莉は少し目を見開いて、その顔からは僅かな驚愕が伺える。

 樹は紙袋を持ち上げて渡そうとする。

 風莉は1度受け取ろうとしたが、その手は既の所で虚空を掴む。


「悪いですよ。だって、私は今日……そんなつもりじゃなかったんですよ……?」

「そう、か……」


 風莉の言葉に樹は胸が苦しくなる。

──やはり、こんなものは用意するべきではなかったのか。

──風莉は純粋に今日を楽しみにしていたのに、自分のエゴで気を遣わせてしまった。

 樹はすぐに走ってこの場を立ち去りたいという強い後悔に襲われた。だが、それとは反対に脚が鉛のように重く、動くことが出来なかった。

 それでも樹は気丈に振る舞い、声を絞り出す。


「本当に大したものじゃないんだ。ただ友達として……」


 もしかしたら、風莉との関係が壊れるのではないか。

 そんなことを危惧して、言い訳のように言葉を紡いだ。

 樹は……必死だった。


「その……弁当もくれただろ? だから……その時の、お礼……的なものも、含まれていると思ってくれて構わな──」

「そうですか? じゃあ遠慮なく頂きます」

「…………へ?」


 風莉は一転して、紙袋に両手を伸ばした。

 

「ありがとうございます。樹さん」


 思い出した。

 ああ、こいつはこういう奴だった。と、樹は思い出した。

 1度は建前で遠慮はするものの、風莉は遠慮のしない性格だ。

 冷静に考えれば、今までのやり取りから予想は出来たはずなのに、何故こんなにも必死になったのか。

 様々な感情が押し寄せてきて、最後に先程の必死な自分がフラッシュバックして……。

 今まで経験したことのないほどの、耐えられない羞恥心が込み上げてきて、樹は思わずその場にしゃがみこんだ。


「お前さぁーーー!」


 行き場のない感情が、八つ当たりじみた叫び声へと変換された。


「え? え? やっぱりダメでしたか?」


 突然の叫びに、風莉も紙袋を持って困惑する。


「いい! いいから! 持ってってくれ!」

「そ、そうですか?」


 樹は深く、長く、息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。

 顔が熱い。空を仰いで、深呼吸をした。

 風莉の方は、樹のことが気になって立ち尽くしていた。


「大丈夫ですか?」

「問題ない」


 何故、樹が急にしゃがみこんで叫んだのか、風莉には分からなかった。

 まだ樹の耳は赤くなっていたが、その表情は大分落ち着いていた。

 風莉はそれを見てひとまず安心する。


「それで、これは」

「ああ」

「中を見てもよろしいでしょうか」

「ここでか、まあいいけど」


 風莉の好奇心は紙袋の中身に集中されていた。

 ケーキを食べにいくことは忘れてないとは思うが、樹はなんだかどっと疲れて苦笑してしまう。

 風莉は紙袋の中を覗く。


「これは」


 風莉は中の物を取りだした。

 めんどくさい包装はしておらず、本当に気軽にプレゼントするつもりだったそれは、取り出すと何かはっきりわかった。


「手袋ですか? 少し厚い」

「そ、防寒だけじゃなくて防水でもある」

「なるほど」


 防水にしたのは理由があった。


(風莉は雪降ったら興奮するタイプだろうし)


 風莉は元々は雪の降らない……降ったとしても、大して積もらない地域で暮らしていたのは、少し前に聞いていた。

 だとすると、積もった雪に所構わず触れて歩くのが、樹には想像できた。

 ただ、時期的にはまだ雪は降っていない。 


「……もう1つあります?」


 だからもう1つだけ、用意していた。

 風莉は取り出したそれは、手袋よりも小さく、樹がおまけ程度に用意したものだった。


「靴紐?」

「なんか地味だけど変えてみると気分が変わるからいいかなって」


 細い丸紐だが、レザーのような加工がされ、ツヤがある、ちょっとしたおしゃれな物。

 とはいえ、靴紐なので誰でも手軽に買える物だ。


「確かに、わざわざ買おうとは今まで思いませんでした」

「まあそうだよな」

「付けてみていいですか?」

「……今?」


 風莉はベンチに座ると、靴を脱いで紐をほどいた。

 その行動力には関心するが、樹は手持ち無沙汰になってしまう。


「片方、手伝おうか?」

「お願いします」


 隣に座って聞いてみると、風莉はもう片方の靴も脱いで、樹に渡してくる。

 見た目は男子でも履いてそうな、白と黒のハイカットのスニーカーだが、サイズは女子らしい小ささをしている。


(ってかなんの躊躇いもないのか)


 履いてた靴を脱いで他人に渡すのは、樹からすれば少し避けたいことだった。

 しかし、風莉が気にしてないのであれば、きっと常識的ではなく個人的な問題なのだろう。

 特に気にせず樹は黙々と紐を取り替えた。


「おぉ……」


 風莉は紐を取り替えた靴を履いて、感嘆の声を漏らす。

 立ち上がり、つま先を立てたり、その場で時計に歩き回ったり、確かめるように様々な動作を行う。


「意外と変わるものですね」


 大分気に入ってくれたようで、風莉の頬が緩んでるのが伺える。

 樹としては、手袋の方が悩んだから、ここまで露骨に反応の違いがあると、少し複雑な気持ちになる。

 手袋だけだと下心があるのではないかと、変な後ろめたさを感じ、恐らく女子へのプレゼントでなさそうな、靴紐というものを選んだ。

 とはいえ、これも風莉のことを考えて買ったものではある。

 喜んでくれているのは嬉しかった。


「変に時間使ったな。そろそろ行くか」

「あっ、そうですね」


 一応、ケーキについては忘れてないようで安心する。


「なんだか足が速くなった気がします」

「小学生か?」

「樹さん。ケーキ屋さんまで競争しませんか?」

「しねぇよ! そもそも俺は店の場所わからないんだからな」

「そうでした。では、行きますか」

「ああ」


 先導する風莉に樹は付いていく。

 歩いている時、風莉はチラチラと足元を確認していて、見ていて危なっかしい。


「ちゃんと前見て歩けよ」

「す、すみません」


 指摘されると、少し恥ずかしそうに、風莉の頬が赤くなった。


 風莉の言っていたケーキ屋は、ショッピングモールからは然程遠くではなかった。

 こんなところにあるのならば、樹が知らないだけで、既に地元の人達の多くは、知っているのかもしれない。

 店内に入ると、ガラスのショーケースの中には、色とりどりのケーキが並んでいる。

 だが、樹が最も目を奪われたのは、そのショーケースから上に目線を逸らした、カウンターの向こう側。


「いらっしゃいませ! 風莉ちゃん! それと、片頼かたらいくん!」


 赤みがかった茶髪のポニーテールの少女──海凪みなぎ夏帆かほが、笑顔で2人のことを出迎えてくれた。

 

「は?」


 と、樹は真顔で呟いた。

 何故、夏帆かほがここにいるのか、樹には一瞬理解出来なかった。


「おはようございます。海凪みなぎさん」

「おはよー。ってもう大分お昼だけどねー」

「え?」


 まるで夏帆がいること知っていたかのように、風莉は動じていない。

 元々あまり顔に出さない風莉だが、それでも樹にはわかった。風莉は夏帆がいることを知っていたのだ。


「まさか、ここって……」

「そうだよー。私の家」

「まじか……」


 その言葉を聞いて、樹は目眩がした。

 

「あちゃー片頼くん。ほんとに知らなかったんだね」

「同級生の家なんて知るわけないだろ……」

「えー、樹なら知ってると思ったんだけど」

「どういう意味だ?」


 そこまで聞いて2人の会話は止まる。

 樹の隣にいた風莉が、じっとショーケースの中を除いているのを見て、2人はハッとなった。


「この話はまた今度にしよっか、デート中に他の女の子と話すなんてよくないよ」

「デートじゃねぇ」 


 まさかクラスメイトに、風莉と2人でいる所を見られると思わなかった。

 それも夏帆の反応を見るに、こちらも2人で来ることは把握してる様子。

 

(うちの学校は、確か2年の時にクラス替えがあったよな)


 残り約4ヶ月を過ぎれば、なんとか騒がれずにすむか。樹がそんなことを考えている間、夏帆の視線は風莉の方に向いていた。

 正確に言えば、風莉の持っている紙袋に。

 さらに樹の顔を見て一言。


「なるほどね」

「……」


 樹は月曜日のことを考えて憂鬱な気持ちになった。


「樹さん。どれにします?」

「お前は何も気にしてなさそうだな」

「……もしかしてダイエット中でした?」

「いやしてないけど──気にしてないっていうか、聞いてないな」

「え?」


 風莉は既にケーキに意識が行っているようだ。

 樹は1つため息をついた。


「風莉は何にする?」

「私は──ちょっと待って下さい。樹さん、奢って貰わなくても結構ですよ?」

「そうか?」


 どうやら樹の考えは読まれたようで、先に釘を刺された。

 いつも通り、押せば通ると思ったが、今回は本当にやめて欲しそうに見えた。

 それに樹も、そろそろ財布が心許ないのでやめておいた。

 昼に購買でパンを買うような生活をしていれば、その積み重ねで月の後半は辛いものがある。


「私はこのチョコレートケーキがいいですね」

「じゃあ、俺はショートケーキかな」

「ありがとー。いやー、私もケーキ作れたら風莉ちゃんにあげたかったけどなー」

「作れないのか、ケーキ屋の娘なのに」

「うわー出た。いるよねーそういう偏った思想の持ち主」

「言わなきゃいけない気がしたんでな」

「……ねぇ、私たちってそんな会話したときないよね? なんか辛辣じゃない?」

「守りに入ってたら、これからめんどくさそうなんで」

「何と戦ってるの?」


 風莉とのことでからかわれるのは、面倒になるので避けたい。

 それこそ、先日の教室での風莉とのやり取りは、見世物のようにされていたのだから、樹は堂々とした態度で舐められないようにしたかった。


「樹さんって、距離の詰め方おかしいですよね」

「お前にだけは言われたくないからな!?」 


 風莉はジトりとした目を向けてくるが、樹は心底納得いかなかった。


 それからは店内で2人でケーキを食べた。

 紅茶も頼もうかと思ったが、風莉はコーラが飲みたかったらしく、夏帆はそれを聞いてサービスとして、家の冷蔵庫から持ってきていた。

 風莉も申し訳無さそうにしてたが、夏帆は笑っていた。

 樹はそんな2人の様子を静かに眺めていた。


 2人が食べ終わって店を出る頃には、既に日が落ちかけていた。

 少し風が強く吹く、夕焼けの差す帰り道を2人で歩き、横断歩道の前で止まった。


「樹さん。今日はありがとうございました」

「ん、うまかったな」

「それもそうですけど、これも」


 そう言って紙袋を持ち上げる。


「大したものじゃないって」

「そんなことありませんよ。うれしいです」

「そ、そうか」


 真っ直ぐな赤い瞳が樹を見つめる。

 恥ずかしくなって、目を背けると、ちょうど反対側の横断歩道の信号が点滅した。

 風莉が渡る方もそろそろ青になる。

 初めて風莉が家にきた時も、こんな感じだったなと、ふと思い出した。

 今は周りには車もない静かな十字路となっていた。


「それでは、今日は楽しかったです。また明日学校で会いましょう」

「ああ、また明日」


 信号が青になる。

 風莉がゆっくりと横断歩道を渡り、反対側に辿り着いたところで──樹は1番大切なことを忘れていることに気づいた。

 

「風莉!」


 樹も横断歩道を渡ろうとしたが、そこまでの手間はないと判断し、聞こえるように声を出した。

 名前を呼ばれた風莉が振り返る。

 既に信号は点滅して、赤に変わろうとしていた。

 樹は聞こえるように大声を出す。


「誕生日おめでとう!」


 本当なら、プレゼントを渡す時に言うべきだった。

 だが、あの時は1度頭が真っ白になってしまったせいか、すっかり忘れていた。

 風莉には確かに、その樹の声が届いたようで、


「樹さん!」


 紙袋を左手で抱え、右手は口元に添えて、慣れない大声を出して風莉は応えようとした。


「ありが────」


 2人の間を、灰色の塊が低い風切り音を出して通り過ぎて行ったのはその時だった。


(は? 今!?)


 貨物トラックが勢いよく通り過ぎる。

 あまりのタイミングの悪さに樹も風莉も呆気に取られた顔で向かい合う。

 通り過ぎたのはその1台だけで、再び静寂が訪れる。

 それがなんだかおかしくて、


かざ──」


 風莉は笑っていた。

 

「──ッ」 


 それは初めて見る、風莉の笑顔だった。

 赤い瞳が閉じて見えなくなるほどの笑顔に、樹は思わず目を奪われ、言葉を失った。

 うるさいくらいに心臓の音が耳を叩いている。

 やがて風莉はその笑みが引ききらぬ、慈愛に満ちたような顔で、樹に手を振って別れを告げる。

 その振った手に、反応できたかは、樹は覚えていない。

 ただ半ば立ち尽くしたような状態で、風莉が立ち去っていくのを見送った。

 気がつけば、信号は既に青に変わっていた。

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