第6話 トリック→トリック→トリート
月曜日。10月最後の日となるも、まだそれほどひどい寒さを感じることもなく、今日も昼休みはいつもの場所へと来ていた。
「
「まあ、ただの風邪だろ」
2人とも既に食べ終わった後で、青空の下、いつもの練乳ココアとりんごジュースを飲んでいた。
今日は天気もいいので、中庭にはちらほらと他の生徒がいるのが見える。
「光善は風邪引いたけど、まだ例年よりも全然暖かいほうだな」
「こっちの冬は雪が降るって聞いてたんですけど、今年はそうでもない感じなんですかね」
「ああ、今年はまだ大丈夫そうだな」
過ごしやすい日々が続き、既に風莉との会話にも、少し慣れたこともあって、樹はかなりリラックスしていた。
風莉とこうして話すのは昼休みだけで、同じクラスではあるが、教室の中では顔を合わせることがない。
別に避けているわけではないが、この昼休みも、食べるのが一緒というだけだ。
その延長で、他愛のない会話をしているに過ぎない。
「しかしあまり
「独り占めって、まあ光善は奪われることにある種の幸福を感じる変わった奴だし」
「……どういうことですか?」
「いや、気にしなくていい」
はて、と首を傾げる風莉から目を背ける。
光善の性癖は、他人からすればかなり理解しがたいものだ。
樹も理解はできないが、無理に理解しようとする必要もないとも思っている。
理解をしようと無理をしない。
その関係が許されるのが、光善と仲が良い理由とも言えるかもしれない。
「樹さんは光善と特別仲が良く見えます」
「んー、まあ中学の時は部活も一緒だったしな」
「何部だったんですか?」
「野球部だよ。うちの中学は必ず部活に入らなきゃいけなかったからな。その時に、光善は運動が苦手なのに運動部に入ったんだ」
「それはまたすごいですね」
「あいつは中性的な見た目してるから、筋肉つけたかったらしい。もう諦めたけど」
「なるほど」
野球部はあまりいい思い出ではなかった……というよりも、かなり弱いチームだったので、自分から語る内容もない。
樹はふと、空になったりんごジュースを見つめる。
その樹の頭の上に、何かが優しく触れた。
「ん?」
隣を見ると風莉が手を伸ばして樹の頭を撫でていた。
「……なにしてんの?」
「いえ、野球部ということは坊主頭だったんですよね」
「そうだけど」
「なるほど」
「なにが『なるほど』?」
風莉はそっと手を離すと、樹の顔をじっと見る。
風莉の奇行は、事前に予測できないだけでなく、その意図も表情から読めなくて、慣れたと思っていたが、まだまだ困惑させられる。
「樹さん」
「な、なに?」
風莉は樹の目を見て、ゆっくりとその小さい口を開くと、透き通った声で一言、
「トリック・オア・トリート」
「は? え? 今!?」
唐突ではあるが、確かに今日は10月31日のハロウィン。
この学校には手芸部があるせいか、ちょっとした仮装の意味合いで、猫耳などの小物が作られたりして、今日は一部の生徒たちが浮ついているようにも見える。
「さっき頭を撫でたのは悪戯にカウントされるのでは?」
「言う前だったのでノーカウントです」
「そんな普通の格好でトリック・オア・トリート言われても」
そう言うと風莉は自分の右頬を撫でる。
「私って素で仮装みたいなものじゃないですか?」
「一応、それ触れにくいからな……」
急に攻めた自虐ネタが飛んできて、どうしたらいいか分からず、ちょっと引いてしまった。
風莉の右頬にある火傷の痕。樹も特に触れないようにしてた部分なので、どういう反応をすればいいのか分からなかった。
「すみません。配慮が足りませんでした」
「いや、まあ……な……」
まるで、子供の頃にふざけてどつきあいをしていたら、思いのほかいいパンチが入って、不穏な静寂が起こるような。
そんな気まずさが一瞬訪れた。
それでも風莉は気にしていないのか、口を開く。
「中学校の頃、クラスメイトのみんなで肝試しをしたんですよ」
「……陽キャかよ」
「そんなことないですよ。みんなが優しかっただけです」
急になんの話かと思ったが、樹はツッコミを入れつつ話を聞くことにする。
「その時の私がお化け役ではないのに、かなり恐怖を与えてしまって」
白く、腰まで届くほどの長い髪に、雪のように白い肌、血が溜まったような赤い瞳。
暗闇でそんな女性を見たら、確かに幽霊か何かと思ってしまう……かもしれない。
「そんなみんなの怯える顔がすごく面白かったんですよね」
「性格悪いだろお前」
少しはにかみながら話す風莉の顔を、樹はジトりと睨みつけた。
風莉は自分の容姿に悲観的な印象を持っていないのか、それとも、他人との違いを個性として飲み込むことが出来る人間なのか。
樹は風莉の堂々たる振る舞いに尊敬の意志を持ちつつも、こちらからそれをネタにする気は流石に起きない。
だが、風莉は「あ」と何か思い出すと、途端に顔が俯いて影が差した。
「でも、その後。私が悪ノリして怖がらせ過ぎたせいで、逆に私のことを怖がり過ぎてるみたいになったんですよね」
「……どういうことだ?」
「私が怖がらせたのに、周りの人が、私を怖がり過ぎてるように受け取られて……。なんというか、私が『被害者』になってたんですよね」
「ええ……?」
「『あまりそういう反応は良くない』とか『君達は楽しいだろうけど、言われた本人は傷つく』とか……あの時の空気は下手なホラーよりも肝が冷えましたね……」
先程は楽しそうに見えた風莉の瞳から光が消えていた。
「その人も悪気はないんですよね。優しいんですけど……優しくされるほど、これがコンプレックスだと自覚させられてるようで、だから……」
風莉は物憂つげな目を閉じ、深く息を吸って、再び樹の顔を見た。
「トリック・オア・トリート」
「強引に戻したな?」
強引に話を戻したのに戸惑いつつも、変に重い空気を引き摺られるより、よっぽどマシだった。
「じゃあ、なんか買いに行くか」
「えっ」
樹が立ち上がって伸びをすると、風莉は眉を顰めて見上げる。
「流石に買って貰うのは……何かあったらでいいですよ」
「それが何もないからな。まあ俺もなんか甘いの食いたいし、ついでに──」
「そうですか? じゃあ行きましょう」
樹の言葉を聞いて風莉もすぐに立ち上がり、弁当を入れていたバックを持つ。
「……俺、お前のそういうところはホント好きだよ」
「照れますね」
風莉の遠慮のなさに呆れながらも、少し関心してしまう。
風莉の頬は少し緩んでいて、待ちきれないのか、足早に購買に向かった。
購買は教室棟の1階、生徒が使う玄関の近くにある。
中庭からなら、購買に寄って教室に帰るのは、対して面倒なことではない。
もうすぐ昼休みも終わる時間だ。
案の定、既にピークを過ぎているので、購買に他の生徒の姿は見えなかった。
カウンター越しによる商品を販売する形で、中を覗いてみると、何故かいつもよりもお菓子類が少なく見える。
「なんか今日は品揃え悪いっすね」
「今日はお菓子は全部半額セールさ」
店の中を覗いた樹が不思議そうに訪ねると、中にいる中年男性がそんなことを言った。
そこで樹の疑問は更に増えた。
「さっき来た時はそんなこと言ってなかったすよね」
樹は今日も購買で焼きそばパンを買っていた。
購買には昼休みになってすぐに訪れたが、その時はそんなことは一言も言ってなかったし、そんなことがあれば、その時には既にある程度、売れ尽くしている状況でもおかしくなかったはずだ。
「ああ、さっき猫耳つけた女の子たちが来てな。そんな現役女子高生ズに『トリック・オア・トリート』なんて言われちゃったら、悪戯を受けたら社会的にアウトなおじさんはお菓子を差し出すしかなかったわけだ」
「何いってんだこの人」
「流石にタダってわけにはいかないから、半額で手を打って貰ったのさ」
「それいいんすか」
「もちろん俺のポケットマネーから引かれる」
軽蔑の眼差しで見つめる樹にも動じず、男性は親指を立てて清々しい顔をしている。
どうやら大分楽しんでいたようだ。
「まあ今日だけさ、一応平等の精神でその子達以外にも半額だ」
「まー、そういうことならなんか適当に……」
樹は左手を腰に手を当てて、リラックスしながら中を見る。
いつもは忙しないことの多い購買を、こんなにゆっくり見れる機会はあまりない。
何があるかと目を動かして物色していた時だった。
ふわりと、なにか甘い花のような香りがした。
「樹さん、樹さん」
「どうし──」
話をしているのを気遣ってか、樹の背後で遠目から購買の中を見ていた風莉は、いつの間にか、身を乗り出すように樹の右腕に身を寄せていた。
(近くね!?)
風莉の距離の詰め方はおかしいとわかっていた。
そんな理解の上を行き、今まで1番物理的に近い距離だった為、樹は飛び上がりそうになった。
そして、気づいた。
腕に何か柔らかいものが当たっている。
冬服の厚いブレザーのせいか、当たっている方も、当てている方も感覚が鈍くなっているのか、風莉は気づいていない。
樹は一瞬理解するのに時間がかかった。
「おおおお織咲さん!?」
風莉の奇襲に驚きすぎて、不自然に声が裏返ってしまったが、風莉は全く気にしていないようで、購買の中にある商品の1つを指差した。
「アレにしましょう」
「あ、アレ?」
未だ当たっていることを、なんとか頭の隅に追いやろうとして、風莉の指差した物を見る。
風莉が指差したのは、2枚入りの小さなチョコパンケーキだった。
確かにあれならば、残りの昼休みの時間で簡単に食べることが出来る。
「じゃあそれで」
買うものも決まり、財布を取り出そうとして──財布が右側の後ろポケットに仕舞ってあることを思い出す。
「……織咲」
「なんです?」
風莉はきょとんとした顔で樹の顔を見上げる。
いつもよりも近すぎる赤い瞳に見つめられ、樹は顔を合わせることが出来なかった。
「少し離れてもらえるか?」
「…………すみません」
風莉は気づいて距離を取る。
白い頬が真っ赤に染まっているが、樹も意識を逸らそうと、財布を取り出して小銭を出すのに夢中だった。
少し震えた手付きで支払いを済ませると、1つ息を吐いて風莉の方を見る。
「教室に戻るか」
「そうですね」
既に風莉の顔はいつも通りに戻っていて、樹は1人であたふたしていたと思い、恥ずかしくなる。
樹は風莉の耳がまだ赤いことに気づくことはなく、2人は静かに教室にも戻っていった。
「今日は本当に面白いものが見られる日だな」
2人の背中が暖かい目で見送られると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。
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