第5話 赤は止まれ
今日の樹は朝から落ち着きがなかった。
そんな若干の不安を抱える樹とは対照的に、母の
年頃の息子が女の子を家に呼んだ。だけではないだろう、そもそも友達を家に呼ぶこと自体が初めてなのだ。
あまり学校のことを話さない樹に、家に呼ぶ程の友達がいたことが、母親からすればうれしいのだろう。
(けど、話して3日しか経ってないんだよな……)
やはり織咲風莉という女子はおかしい気もするが、中学の時は仲が良い人達は結構居たとも言っていた。
その人懐っこい風莉こそが本来の姿だとしたら、今まで抑えつけてた分の、会話欲的なのが出てるかもしれない。
リビングのソファに座って、ちらりと壁に掛けられた時計を見る。
時計の針はもうすぐ11時になろうとしていた。
「風莉ちゃんもうすぐ来るかしら」
「かもしれない」
どうせならと、昼食も樹の家で食べることになっている。
風莉も最初は断ったが、どうせなら纏めて済ませた方が、洗い物なんかも楽になる。
「母さん、朝も言ったけどその……」
「わかってるわよ」
風莉の容姿について、遥かには朝に伝えていた。
白い肌、白い髪、赤い瞳に右頬の火傷痕。言葉では伝わっただろうが、実際に見たらどういう反応をするのか……してしまうのか。それが少し心配だった。
「特徴的な見た目をしてるけど、本人は全然気にしてないようにしてるんだ。だから……」
「もう、私はそんなに人の見た目に突っ込む人に見えるかしら」
「俺には結構言うだろ」
「それは樹が自分のことにあまりにも無頓着だからでしょ。そういうところは荘司さんに似なくていいのに」
「はいはい」
小言のカウンターを喰らって、耳が痛そうに樹は顔を背けた。
ちょうどその時、インターホンが鳴った。
「俺が出るよ」
「その方がいいわね」
まだ来訪者が風莉と決まったわけではないのに、遙は期待に満ちた笑顔をみせる。
せめて母が余計なことを言わずに、今日1日が妙なトラブルも起きずに、平和に終わることを願うばかりだ。
樹は玄関まで出向いて、1つ深呼吸をして扉を開けた。
「おはようございます。片頼さん」
白く長い、腰まで届くほどの髪が風に揺れる。
真っ赤な瞳はどこか期待に満ちているようにキラキラとしているが、その表情はいつもと同じく平静を保っている。
織咲風莉は背筋を伸ばし、いかにも真面目そうな姿勢で佇んでいた。
「おはよう織咲……制服?」
風莉は学校の制服を着ていた。
今日は土曜日で学校も休みだが、何か委員会とかの用事があったのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
「今日は学びに来ましたから」
「あー、そういうこと」
律儀というのだろうか、やけに気合が入っている風莉を見て、なんだか可笑しくて樹は少し笑った。
「とりあえず、中入るか」
「はい、お邪魔します」
振り返って、リビングの扉から遙が覗いているのが見えた。目が合うとすぐにリビングの中に戻っていき、なんだか不安が強くなってくる。
横目で風莉を見ると、丁寧に外履きを揃えて、用意しておいたスリッパを履いた。
リビングに向かうと、期待に満ちた顔の遙が待ち構えている。
そして、樹の背後にいる風莉を見て目を見開いた。
「初めまして、織咲風莉といいます。今日はよろしくお願いします」
堅苦しい挨拶をして、頭を深々と下げる風莉を、遙は手を口に当ててじっくりと観察する。
風莉は頭を上げると、そんな遙と目が合い、妙な静寂が訪れた。
こてん。と、頭に疑問符が浮かんでるかのように、風莉は首を傾げると、横目で樹の方を見て確認する。
「母さん……?」
懸念していた出来事が起きてしまったかと、樹は胃が痛くなるのを感じた。
やはり風莉の容姿は直接見ると、刺激が強いのかもしれない。高校入学当初の話題性は今の比ではなかったし、樹も今でも視界の端に入ると1度、目で追ってしまう。
だが、よく見ると遙の目はキラキラと輝いていた。
「妖精……?」
「は?」
振り絞るように遙が呟いた。
一瞬、何を言ってるんだ。と思ったら、突然動き出して、樹の肩を両手で力強く掴んだ。
「何!?」
「ちょっとこの子可愛すぎない!?」
明らかに興奮した様子で樹に訴えかける。
「そうでしょうか?」
「あ、ごめんね挨拶が遅れて。片頼遙っていうの、よろしくね風莉ちゃん」
「よろしくお願いします……遙さん」
どうやら心配していたことは杞憂で済んだみたいだが、遙のテンションが上がりきってしまっていることに違う心配が込み上げてくる。
「じゃあ一緒にお昼ごはん作りましょー、実は私ワクワクしてたの」
「はい。では失礼しま──あっ」
風莉は何か思い出したかのように横目で樹の顔を見る。
「私ってかわいいんでしょうか?」
「へっ?」
油断していたせいで、素っ頓狂な声をあげた。
それはどういう意図で聞いているのかと、躊躇ったものの、振り絞るように答えた。
「まあ……そう、だな……」
面と向かって言えるわけでもなく、首を掻きながら明後日の方向を見る。すると、既にエプロンをつけてキッチンに立つ遙と目があう。
(ニヤニヤしてんじゃねぇ!)
カウンターキッチンという物が酷く恨めしく感じた。
「そうですか」
一体どういう感情なのだろう。
わりと陽の感情が表に出やすい風莉の顔は、平然としている。
決して嫌な反応というわけでもなさそうだが、あまり嬉しいとも思ってもなさそうか……会って3日しか経っていないのだから、分からないことがあって当然かと、樹も深く受け止めないことにする。
2人がキッチンにいる間、樹は暇を持て余していた。
部屋に戻ろうかと思ったが、遙からの威圧的な笑顔を向けられ、仕方なくリビングのソファに座りながら、スマホをいじって時間を潰す。
追い出しておいてなんだが、父の荘司がいてくれたら、暇を潰せたかもしれない。と、樹は少し後悔していた。
だが、荘司は普段あまり喋らないせいかコミュニケーションが下手だ。余計な質問をしてこっちが恥ずかしくなる可能性がある。
妹の木花には、この情けない兄の姿は見せたくないものだ……。
(なに作ってるんだ?)
チラチラとキッチンの様子を伺う。
風莉が興味あるのは卵焼きだったが、一緒に昼食を作ることになり、それも自然と受け入れている。
なにやら、遙の楽しそうな声が聞こえてくるが、邪魔はしないでおこう。
「片頼さん」
「ん?」
風莉に呼ばれて振り返ると、風莉は小さな皿を持ち、その上に一切れの卵焼きが乗っていた。
そのまま持って樹に近づこうとした時だった。
「どうしたの風莉ちゃん」
「え?」
遙がわざとらしく反応して、キッチンに顔を向けた風莉は「あ」と声を漏らす。
樹も遙もどっちも『片頼さん』なので、遙が反応するのも当然と言えるだろろ。
もっとも、遙はニコニコとしたり顔で困惑する風莉のことを見ているから、間違いなく確信犯である。
(あんたはさっき「遙さん」って呼ばれてただろうが!)
母の悪知恵に、樹は思わず頭を抱えて、1つため息をついた。
「すみません。樹さんの方です」
「あら、ごめんね」
「なにが『あら』だ……」
ぼそりと、樹が呟く。
風莉は再び樹の方を向き、卵焼きを持ってくる。
「食べてみて貰えませんか樹さん。教えられた通りに作ってみたんです」
「ん、ああ」
ここで照れると遙がますます楽しくなってしまう。樹は躊躇うことなく一緒に渡された箸を使い、卵焼きを一口で食べる。
淡白な卵に少量に加えられた味噌の甘さが混じる。醤油やソースなどの調味料をかけなくとも完成された味は、この一品だけで立派な前菜となるだろう。
「ん、美味しいな」
「ですよね。初めて食べましたがとても美味しいです」
風莉が作った物に対して『美味い』と言ったつもりだが、あまり伝わらなかったのか、まるで他人事のような反応をした。
それでも風莉もかなり気に入ってるのか、僅かに頬が緩んでるように見えた。
「もうすぐご飯が出来るので待ってて下さいね」
「ああ」
パタパタと、風莉はキッチンに戻っていく。
その様子を見送ると、カウンターから遙が笑顔で覗いていた。
その顔がどういう心境なのかは、とりあえず考えないことにした。
その後は、簡単な昼食を風莉と遙と樹の3人で食べた。
てっきり遙が張り切って作り過ぎるかとも思ったが、そんなことはなく、ミネストローネのスープに短く切ったパスタが入れられた程度の軽食となった。
元々、昼食は軽めで済ませることの多い、片頼家の習慣に習ってるのかとも思ったが、食後に遙がコーヒーを出して風莉と話してるところを見るに、ただ話をしたかっただけなのかもしれない。
雑に会話を振られる前に、樹は食器を洗ってしまうことにした。
その間に2人が話していたことは、服の話だったり、風莉の特異な肌や髪に合いそうな、化粧水やシャンプーの話だったりと、樹と風莉の関係についてでもなければ、必要以上に風莉の容姿などに触れようとはしなかった。
それが意図的に避けているのか、それとも素で興味のあることしか聞いてないのか。
静かな人間の多い片頼家では、遙は太陽のような存在だと思っていたが、やはりコミュ力の高さを感じる。
思春期特有の鬱陶しさを感じつつも、親に対するリスペクトは持っている樹は、ただただ母という存在の偉大さに舌を巻いた。
風莉も表情の変化こそ見えないが、遙のことを見てよく喋ってる様子から、楽しんでるように見える。
会話は途切れることなく、14時を少し過ぎたあたりで、風莉は帰ることになった。
「本当に送らなくていいのか」
「ええ、大丈夫ですよ」
「そうか」
玄関の外で風莉を見送る。
こういう時は男なら送っていくのが正解なんだろう。樹もそれを薄々わかっているから、ちらりと背中の方に目を配る。
このまますぐに家の中に帰ったら遙に何を言われるだろうか。
そんな樹の落ち着かない様子を察したのか、風莉は1つ提案をする。
「じゃあ少し歩きながら、お話しませんか」
「ん、ああ」
風莉の気遣いに甘えることにして、歩き始めた風莉の後ろを樹は付いていく。
「今日はありがとうございました。突然ですみません」
「いや、母さんも楽しそうだったからいいんじゃないか」
「ありがとうございます」
風莉は重ねて感謝の言葉を述べる。
人との距離の詰め方に対して、この堅苦しい喋り方のアンバランスさが、樹にはなんだか面白く思えてきた。
「あ、そうだ樹さん」
「ん、なんだ?」
「連絡先教えてくれませんか? 実は、今日断られたらどうしようかとちょっと不安だったので」
「あー、それもそうだな」
未だ下の名前で呼ばれていることに突っ込もうとか思ったが、風莉はそんなことは些細なことだと言わんばかりに、相変わらず距離を詰めてくる。
同年代の女子と連絡先の交換など初めてだが、風莉の影響で樹も少し感覚が麻痺しはじめたのか、躊躇いなくスマホを取りだしたところで、2人は1度立ち止まる。
「私達ってどんな関係なんでしょう?」
唐突に。
そんなことを言われて、樹は操作していスマホから顔を上げて、風莉の方を向いた。
風莉の方は、まだスマホを操作するのに夢中なようだ。
「どんなって……友達、じゃないのか?」
「友達……」
どういう意図で聞かれたのかはわからないが、樹は率直な気持ちで答えた。
男子と女子、異性というのがあるかもしれないが、そんなことは別に気にせず、ただ『友達』という関係が合ってるだろう。
少なくとも樹はそう思ってた。
「樹さんって距離の詰め方すごいですね……」
「お前に言われたくないんだが!?」
連絡先の交換を終えた風莉は、少し驚きながら、樹を横目でジトりと見て、少し引き気味にそう言った。
思わず、反射的に『お前』と言ってしまったが、風莉はにしていない様子で、顎に指を当てて何かブツブツといいながら、2人は再び歩き始める。
「友達、友達ですか……」
「何か不満が?」
「いえ、高校生になって初めての友達なので、すごく嬉しいです」
風莉は顔を上げて、樹の方を見て微笑んだ。
その赤い瞳に吸い込まれそうになり、妙に落ち着かなかった。
「では、ここまでで大丈夫ですので」
やがて十字路に差し掛かり、赤信号の横断歩道を前に2人は立ち止まる。
「そうか? じゃあまた学校でな」
そんな他愛のない別れの挨拶をしたのだが、
「…………」
風莉は無言でじっと樹を見つめた。
(ん? んん? 俺なんかおかしいこと言ったか……?)
不自然な沈黙に樹が困惑すると、風莉は信号が青に変わると同時に口を開いた。
「そうですね。また学校で会いましょう」
風莉は一礼して、信号を渡っていく。
その姿を送ると、やがて横断歩道の青信号が点滅した。
「友達か……」
赤に変わった信号を見て、ふと、そんなことを呟いた。
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