Liberator. The Nobody’s.3

黒ーん

Ⅲ Don't want reunion.

1 Complicated.

隠者

 ――旧ロシア モスクワ跡地――


 元は街だった物の成れ果てには、そのどれにも例外なく雪が降り積もり、目を凝らさねば街の残骸があったことにさえ気付きはしないだろう。


 そんな街の一角。それがかつて何の目的で造られたのか、今ではその理由を知る由も無い地下深くのその部屋に、人の痕跡があった。石造りの部屋には様々な色の液体が入ったフラスコや、激しいながらも無音で蒸気を上げる蒸留器等の実験器具が幾つも並び、その有り様はまさに実験室と言った風体をしている。


 部屋の中には二人の男。一人は透明な容器に入った液体を覗き込みながら何かを思案しており、もう一人は部屋の隅で、薪をくべるタイプの小さく簡素なストーブの火にあたりながら震えていた。


「……さ、寒い……。お、おい……それ、れは……ほ、本当に……こんな場所で……やらねばらない……実験なの、か……?」

「んー? いや、別にここでなくても構わないよ。ただ私たちの邪魔をする可能性のある者に見つからないような場所を選んだだけだからね。“不干渉空間エタニティスペース”生成系の“神威かむい”が使えれば良かったんだけど、今はちょっとできそうもないからさ」

「ど、どこでも良いなら……早く、別の拠点に移るべきだ……。ここは、寒くて……か、叶わん……」

「教団にリベレーター、人の目の多い場所はそれだけ見つかるリスクが大きいからね。それに、…………、いや、これはまぁ良いか。だけどさカイラス君、君はもう少し逃亡者としての自覚を持ってくれないと困るよ」

「し、仕方がないだろう……こんな寒さ……耐えきれん……」

「う~ん、君は本当に“SVO”の信徒なのかい? この程度の気温で音を上げるなんてさ。まぁ、“深度しんど”七くらいじゃ、こんなものかもしれないけど」

「う、うるさい‼ 教団を抜けたというあんたに、そんなことを言われる筋合いは無いぞ‼」

「それはごもっとも。ただまぁ、恐らくそう遠くない内に君の願いは叶うと思うよ」

「……どういうことだ?」

「いやね、多分この場所は、もう既に感知されている筈だからね。実はこの間、ちょっとポカをやらかしてちゃってさ。だからそろそろ、別の場所へ移動しなければならないかなって」

「なんだと⁉ どうしてそれを黙っていた⁉」

「いやぁ、私一人でならいつでも簡単に逃げることができるから、別に君には言わなくても良いかなって思って」

「き、貴様‼ 裏切る気か⁉」

「フフフ……。なぁんちゃってぇ、ウソウソ、冗談だよ~ん。大丈夫、少なくとも今突然この場所に誰かが現れることは無いって。ちゃんとした確信があるんだぜ、私にはさ」

「……確信、だと? 一体なんの根拠があってそんなことを言いきれる?」

「うん。何故なら私は、この先の未来を知っているからさ」

「……まさか、未来視……それがあんたの神威、なのか……?」

「ハハ、君は本当に私の言ったことをなんでも鵜呑みにするよね。良く考えてもごらんよ、そんな力があったなら、私は助祭ディーコンなんて半端な地位じゃなく、それこそ大司教アークビショップくらいにはなれていただろうぜ」

「お前……俺を揶揄からかうのも大概にしろよ‼」

「まぁまぁ、そう怒らないで。君に力を与えることは約束するからさ」

「……それが嘘だったなら、俺はあんたを殺してやるからな」

「分かっているって。でもね、落伍者らくごしゃの私が言うのもなんだけど、君はもう少し“扉の先・・・”へ進もうとは思わなかったのかい? こうして時間が掛かっているのも、言ってしまえば君の深度に合わせるのに手間取っているからなんだよ」


 研究者の男がそう言うと、少し前まで寒さに震えていたもう一人の男の体は、再び小刻みに震え始める。それは寒さに耐えているというよりも、まるで何かに怯えているかのようで、血の気が失せ、顔は蒼白となっていた。


「……い、いや……いやだ……。あの、扉の先、には……もう、二度と……入りたくなん、て……」

「あぁあぁごめんね、意地悪を言ってしまった。安心してくれ、ちゃんと分かっているって。私はそんな教団の悩める君たちを救う為に、こうして研究を続けているんだからさ」


 そう言って研究者の男は白く発光する小さな石のような物を取り出すと、静かに泡立つフラスコの中へとそれを入れる。すると中の液体は徐々に液体は青みを帯びて、徐々に薄紫色へと変化し、次第に少しずつ透明度を増してゆく。


「深度……一、といったところかな。ギリギリで、マイナスまでは届いていないけれど。しかし、何度見ても凄いな……。なぁカイラス君、君にはちゃんとこの凄さが分かるかい? 彼は一体何を考えて、あの“旅路みち”を歩んでいたのだと思う?」

「……考えたくもない……」

「おいおい、少しは彼の苦悩をくみ取ってやりなよ。深度七の君とは、まさに雲泥の差なんだぜ?」

「ならあんたには、彼が何を考えていたのか分かるとでも言うのか?」

「あぁ、分るよ」

「また、口から出まかせを――」

えさ」

「はっ? 飢え、だと?」

「そう。彼をひたすら前に突き動かしていたのは、我々のような元人間・・・には想像も付かないような、絶望的で、想像を絶する程の強烈な飢え。彼はそんなものから逃れたくて、途方も無いあの道を歩み続けたんだ。ただ力を欲するという軽薄な理由であの門を叩いた我々には、到底理解の及ばない境地というものなのだろう」

「……全く分からんな。そんなものの為に、あんな道を行くなんて……。俺に言わせればそんなものはただの副産物で、腹が減らないなんてものが特典だなんて言われたならば、とっくに気が狂っていただろうよ」

「そうだね。だから君はこうして教団を抜け出して、楽に力を得ようとしているのだろう?」

「――ッ、……そ、そんなことはどうだって良いんだ‼ そんなことより、この実験はちゃんと成功するのだろうな⁉」

「それは安心してくれよ。この実験は今回が初めてじゃない。ここまできたなら、後は時間を掛けて深度の浅い君に合わせてやるだけで良いのだからね」

「いちいち気に障る言い方をしやがって……。だが待て、その言い方だと、この実験は今回が初めてじゃないのか? 俺が教団内に居たときには、こんな方法が存在するなんて聞いたこともなかったが……」

「いや、今回は君が初めての被験者だよ。どうだい、嬉しいかい?」

「……また俺を揶揄っているのか?」

「極めて真面目さ。だけどこの方法は必ず成功するよ。言っただろう、私には未来が分かるんだってね」

「…………。なぁヘクター、あんた、どうして教団を抜けたりしたんだ? こんな方法を思いつくなら、その力を教団内で活かせば良かったじゃないか。そうすれば、俺たちだってあんな思いをしなくて済んだだろうし、教団を抜けることだって……」

「どうだったかな、そんな昔のことは忘れたよ。ただ強いて言うなら、音楽性の違いってやつさ」

「……はぁ……もう良い。あんたと話していると疲れるだけだ……」

「そうかい? まぁ、もう少しの辛抱だ。あと数日で、ちゃんと君の体に適合するようにしてみせるからね」

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