第138話 奴隷、王女の側に
日がな一日、魔法書を読み耽るのは、いったい何年ぶりだろうか。
護衛奴隷になってから、初めて手に入れた本当の意味での時間が、セレティアの部屋というのは皮肉な話である。
連れ帰ってから、まだ目を覚まさないセレティアを警護するため、常にセレティアの部屋に籠もる日々だ。
男の俺が、周りの目を気にせずセレティアの部屋にいられるのは、俺が手を出せないのと、戦士長という地位に就いたのが大きな要因だろう。
「……奴隷術は、あくまで呪いの類いであって、魔法で補うのは無理があるか」
偶然成功した死者蘇生魔法について、血契呪が重要な役割を果たしたのはわかっている。
だが、奴隷術を魔法でどうにかしようと考えたが、呪いで奴隷の魂を主の魂に強制的に結びつける状態を一時的にでも生み出すような、そんな都合のいいものは調べてもヒントすら見つからない。
一旦手を止め窓に目をやると、今まで室内を煌々と照らしていた太陽は、既に稜線に隠れ始めていた。
そろそろ灯りが必要になる頃合いかと、椅子から腰を上げる。
ユーレシア王国で使っている灯りは、旧式の、油を使うタイプだ。
魔法で着火させると、ぼんやりとした、暖かな光が壁を照らす。
「ん……んっ…………」
ユーレシア王国に戻ってから、目覚める気配がなかったセレティアから漏れた初めての声。
もう少し離れていたら、きっと聞こえていなかった声量。
ベッド脇から顔を覗き込むと、瞼が薄っすらと開き、目と目が合った。
「――――よく眠っていたな」
何日かぶりに表情が戻ったセレティアを見ると、自然と笑みがこぼれる。
「…………ウォルス……どうしてここにいるの? カーリッツ王国に行ったんじゃ……」
「何を言ってるんだ? セレティアはカーリッツ王国に……」
「……ウォルスこそ何を言っているのよ。わたしはイルス王に呼ばれて……それから、……そのあとが思い出せない……」
セレティアは頭を押さえ、必死に思い出そうとしているが、その答えを見つけられないでいる。
「本当に覚えてないのか……」
「そんなことよりも、まずはこの状況を教えてほしいのだけど……ここはわたしの部屋よね? どうしてウォルスがいるのよ」
「それを説明しなければいけないのか、……まあいい」
セレティアが錬金人形のイルスにさらわれ、カーリッツ王国で人質になり、そこから気を失って現在に至っていると説明すると、セレティアは深い溜め息を吐いた。
「そんなことになっていたなんて……迷惑をかけたみたいね」
「それが俺の仕事だし、気にするな。そんなことよりも、イルスが特殊な個体で、魔法もある程度使える錬金人形だったようだが、今回の件は、結界を通過できるとは思っていなかった俺の落ち度だ。すまなかった」
記憶がないのなら、セレティア自身が殺されたこと、俺が死者蘇生魔法を使ったこと、俺がアルス・ディットランドの転生者だと言う必要もない。
この関係を崩す必要はなく、また、喋るとどこから情報が漏れるかわからないのなら、今までどおりの、王女と護衛奴隷という立場を維持したほうがいい。
俺はセレティアの手を取り、心から謝罪すると、セレティアの顔が急速に赤くなってゆく。
「きゅ、急にどうしたのよ、ウォルスらしくないわね」
「ああ、つい嬉しくて、――――セレティアが無事なら、俺も死なずに済むからな」
「そうよね、それでこそウォルスよ」
セレティアは手を振り払ってベッドに座り直すと、両腕を高々と上げ背筋を伸ばす。
「何日も寝てたんだ、ゆっくり動かしたほうがいい」
「大丈夫よ、この程度。イーラ討伐後に比べれば全然マシだもの――――さっきの話の続きだけど、黒幕はアルス・ディットランドで、ウォルスはそのアルス・ディットランドを倒した、ということでいいのよね?」
「まあそうなんだが、カーリッツ王国も英雄が邪教の黒幕だとなれば、崩壊するかもしれないからな、そこは穏便に済ませられるようにしておいた」
結局、アルスはイルスたちを巻き込まないため、死ぬ覚悟で玉座を奪い、亡命という形でイルスたちを国から出すという形になった、ということにするしかなかった。
それに気づいたイルスが国へ戻り、そこでアルスによって体力を削られた邪教の黒幕を、イルスが何とか相打ちに持ち込んだという顛末にすり替えたのだ。
黒幕の顔は知らず、アルスとともに消滅したとなれば、それ以上詮索されなかった。
アルスとイルス、二人が命を落としてまで倒した敵ならば、誰も疑うことはない。
「イルスがセレティアを連れ去ったのは誰にも知られてなかったからな、二人が忽然と姿を消したのは、セレティアがアルスの思惑に気づいてイルスに助言したため、ということにしておいた。俺の下までやってきたのは、セレティアのわがままという体でな」
「それでこの状況って、わたし一人だけバカみたいじゃない――――その話じゃ、邪教をやっつけたのはウォルスじゃないことになってるし、フェベック領も、うやむやになっちゃうんじゃない?」
「カーリッツ王国が滅べば、その余波はここ、ユーレシア王国にまで及ぶことを考えれば、フェベック領が手に入らないのは仕方のないことだろう。生き残っているフェスタリーゼを保護してやったんだから、何か要求してもいいとは思うが」
結局、アルスの息子とされるハーヴェイや、王宮にいた者たちも、国境を強化するという名目で、王宮を追い出されていただけだった。
ハーヴェイの顔が俺の若い頃にそっくりなのは、イルスがアルスの顔に成りすましていたのと同様、錬金魔法によって弄っているだけ、ということはわかった。
その魔法も解けていないことは確認済みのため、世界中に散らばっている錬金人形もまた、未だ人として生活しているものと思われる。
「あのフェスタリーゼが、こちらの要求を呑むとは思えないんだけど」
「一応今は憔悴しきってるから、それなりの援助をしてやれば、恩を感じるとは思うがな」
「そこまでしてあげる気なんて、さらさらないわよ」
「――――まあ、そう言うと思ったよ」
今の状況でも、流石にあのフェスタリーゼでも、敵としては認識しないはずだ。この程度の支援に留めておくのも一つの手といえば手か、とセレティアの意見を尊重しておく。
「まだカーリッツ王国の王がフェスタリーゼになるか、それともハーヴェイになるかはわからないしな。決まってから、手を差し伸べるのもいいだろう。どちらが王になったとしても、以前のような求心力もなければ軍事力もないからな」
「凄く気にかけてるのね」
「――――カーリッツ王国次第で、周辺国がどう動くか決まるからな」
王位継承順位は生まれた順番でもなければ、男女差によるものでも、王の指名によるものでもない。
王は次代を担うために必要と思われる能力を選別し、王位継承権がある者にその試験を受けさせることになっている。
二十歳を迎えた王位継承権を持つ者は、その成績によってのみ、王位継承順位が決定するのだ。
その年齢に達していないフェスタリーゼとハーヴェイは、年齢差を考慮することなく、イルスが用意していた試験を受けさせられるか、試験がまだ用意されていなければ、過去の試験をすることになるはずだ。
万一両者とも試験を拒否した場合に限り、姉弟で骨肉の争いを演じることになる……流石にそこまで愚かな姉弟ではないと思いたい。
「結局、クラウン制度じゃ、何も成果を挙げられてないし、また一からやり直しかしら」
「カーリッツ王国と対等に渡り合える関係だと誇示できれば、多少なりとも人材を集めることはできるだろう。セレティア個人の功績は残らないだろうが」
「それは納得できないわね」
「――――まあ、それも言うとは思っていた」
俺の反応を見て、セレティアがくすくすと笑い出す。
久しぶりに見るその笑顔に、心からこの時間が続けばと願う自分に気づいた。
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