第113話 奴隷、置いてきぼりになる

「勝者、ウォルス・サイッ!!!!」


 一瞬遅れてネイヤの声が地下に反響してゆく。

 それでも静まり返ったままの会場の中で、唯一、一人だけ元気に声を出してこちらに走ってくる者がいた。


「凄いわね、ウォルス・サイ! あなたはこれから私の従者よ」


 そう叫びながら、俺に一直線に向かってくるのは、セレティアの妹である、フレア・ロンドブロだ。

 わけがわからず、何か知っていそうなネイヤへ顔を向けるが、全力で首を横に振られた。

 観客が見守る中、フレアは足を止める様子を見せず、そのまま俺の手前でジャンプし、俺の首へと両腕を回した。


 ――――避けるわけにもいかず、されるがままにしてみたが……状況が飲み込めない。

 静かだった観客席が動揺しているのがわかり、徐々にその声が大きくなってゆく。


「殿下、お戯れにしては度が過ぎているかと」


「私のどこが、度が過ぎているっていうの? しっかりとお姉さまにも許可は取ってあるのよ」


「……はっ?」


 さらにわけがわからない。

 セレティアがそんなことを約束するとは思えない。

 きっと冗談だろうと、観客席にいるセレティアに顔を向けるが、そっぽを向いて完全に無視された。

 隣にいるフィーエルにいたっては顔を伏せ、関与する意志さえ見せてくれない。


「まあ、色男は辛いわね」


「どこから現れたんだ……」


 賛辞とも同情とも違う、軽蔑が込めらていそうな声をあげたのは、俺の頭上を飛ぶアイネスだ。


「この子の背中に付いてきたのよ。まあ、それにしても色々な女の子をたぶらかすのね」


「何を言っているんだ」


「そんなことより、早く返事をしてあげなさいよ」


 アイネスは俺の言うことを聞くつもりはないらしく、突き放すように言う。

 返事をしろと言われても、このような一方的な情報を鵜呑みにするわけにはいかない。


「申し訳ありませんが、セレティア様から、直接ご命令を受けておりませんので、承諾いたしかねます」


 フレアの手を解き、地に下ろす。

 だが、フレアは納得した表情ではなく、子供らしくその頬を膨らませた。

 

「あなたさえ私に従えば、あなたはお姉さまの下から離れられるのよ。次は私のものになって、私のために働くの」


「――――お言葉どおりだとすれば、そこに私の意志が関与できる余地がありそうですね」と俺は落ち着いた口調で言った。


 俺がフレアに従う道理はない。

 これはセレティアが俺を試している、と見ていいだろう。

 アイネスの態度からしても、ここで選択を間違えば、どんな責めを受けるかわかったもんじゃない。


「どうしてよ! 私の言うことを聞けば、お姉さまより待遇をよくしてあげるわ。この条件ならどう!」


「それでもです。セレティア様をお守りする、それが私の使命であり天命ですので」


 両目に涙を浮かべ、悔しそうな表情で俺を睨みつけるフレア。

 このままでは、王族であるフレアから恨みを買いそうだ……。


「ウォルス・サイ……どうしてそこまでお姉さまに尽くすのよ…………まさか、奴隷の身でありながら、お姉さまに惚れてしまったんじゃ……」とフレアはそこまで言って、ショックを受けたように後退る。


 忙しい娘というしかない。

 答えに困るような質問を、何の躊躇もなくしてくる。

 この質問に、適切な答えはあるのかと悩みながら、俺は口を開いた。


「セレティア様は素晴らしいお方です。民、国のことを第一に考え、魔法の才能にも溢れておられます。誰であろうと惹かれるのは当然かと。――――ですが、私は奴隷の身、想いを寄せるなど、恐れ多いことでございます」


「そうよね、お姉さまは素晴らしいわ。自慢の姉ですもの」とフレアは納得したような姿勢を見せ、「私もまだまだお姉さまには敵わないし、もっと素敵な女性にならないといけないわね。その時は、私のものになってもらうから」


「その時がくれば、考えましょう」


 俺に背を向け、ルヴェンの下へ歩いてゆくフレアと入れ替わるように、セレティアとフィーエルがこちらへ向かって歩いてくる。

 その顔は険しく、到底勝利を祝う空気ではない。


「勝ったってのに、その顔はないだろう」


 俺が声をかけても、二人の表情に変化はない。


「一応期待どおりの返答はしたようだけど――――その時がくれば、ウォルスはフレアを選ぶかもしれないのよね」


 セレティアは不満そうに言ってはいるが、怒っているわけではないようだ。

 どちらかと言えば、拗ねているような印象を受ける。


「……なんだ、聞こえていたのか」


「私は風属性も使えるんだし、聞くことくらいはできるわよ」


 さっきまでの態度とは打って変わり、セレティアは髪の先を指先にクルクルと巻きつけながら、しおらしく答える。

 

「あんなのは冗談に決まっているだろう。はっきり断って角が立つのも困るからな。嘘も方便というやつにすぎない」


「そ、そういうことね! ウォルスも空気を読むことはあるわよね!」


 今度は急に早口で喋り始め、焦りのようなものが見える。

 コロコロと変わる態度は見ていて面白いが、その原因がさっぱりわからない。


「ちょっとちょっとぉ、フィーエルもこのまま黙ってていいの? 先を越されてるわよ」


 アイネスがフィーエルの耳元で、こちらに聞こえるほどの声量で叫ぶ。

 こっちはこっちで何のことなのか、見当すらつかない。


「私はウォルスさんに付いていくだけですから……恩は一生かけて返すだけです」


 フィーエルの返答に、アイネスがヒューヒュー言って茶化し始める。

 護衛奴隷というものが、セレティアには直結するもののため気にするのはまだわかるが、フィーエルも俺が誰に仕えるか気になるらしい。

 ここははっきり言っておいてやるほうが、お互いのためでもあるだろう。


「セレティアの護衛でいるほうが俺には合ってるからな、離れるつもりはない」


「そ、そそ、そうですよね。私も頑張りますから」


 フィーエルは頬を引きつらせるような、不自然な笑顔を浮かべ、空元気にも似たやる気を見せる。

 それとは逆に、セレティアはくるりと周って背を向けると、「さあ、戻るわよ」と普段以上に気合の入った声をあげた。


「なんなんだいったい……」


 元気になったセレティアの後ろに、フィーエルとネイヤが並んで付いてゆく。

 結局、待遇改善に関して意見を言おうと思っていたが、言うタイミングを逃してしまった……。

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