第42話 奴隷、戦場を去る

「魔法師にも人形はなし、と」


 死人という人形は魔法が使えないのか、それを判断するにはまだ早計だが、少なくとも、食事から魔力を補給しているだけなら、この規模の魔法を行使するには魔力が足りないはずだ。その点では、アルスが血を流し、魔法も使っていたというフィーエルの言葉と照らし合わせると、アルスが人形という線は完全に排除できる。


 遠ざかる兵士の呼吸と魔法による爆音。

 戦場で考え込んでいると、周りが先ほどまでとは違い、やけに静かになっていくことに気づいた。俺の周囲には空間ができ、レイン兵は俺を標的にするのを避け始めていた。だが、それと入れ替わるように、強く、鋭い殺気が近づいてくる。


「やっとお出ましか」


「オレを待っていたようなセリフだな。貴様、自殺願望でもあるのか」


 馬に乗った、図体のデカい槍使い。

 着ている鎧の装飾は細かく、その態度もレイン王国でも上の者だと、ひと目でわかる程度の貫禄がある。


「お前がブロアーネだな。思っていたより若いんだな」


 将軍ということもあり、もっと年配者を想像していたが、実際は三十そこそこに見える。こんな前線に出てくるだけあって、実力にも自信があるのが伝わってくる。


「貴様のようなガキに言われるとはな、オレも舐められたものだ」


 こうやって面と向かって喋っているが、これも近くに、ブロアーネを知っている者がいることで成り立っているだけでしかないのだと思うと、少し拍子抜けするような感覚に陥る。

 周囲の者は手を動かしながらも、こちらに注目している者が多く、誰がそのキーとなっている者かはわからない。将軍ともなれば、全員がキーとなっている可能性すらある。


「お前は、何度死んだんだ? 誰がお前を作ったか、理解しているか?」


「――――わけのわからんことを。戯言に耳を貸す時間はない。その首、オレが刎ねてやろう」


 ブロアーネは頭上で槍を高速回転させ、切っ先を俺へと向けて構え直した。

 記憶読み取りの魔法式に制限がかかっているのか、それとも、この戦場にいるブロアーネのキーとなっている者の知識にないのかはわからない。ただ、嘘を言っている様子はなく、自分の存在について、理解していないことだけは確かなのだろう。


 ブロアーネが、馬の首をも両断できそうな巨大な槍を、ネイヤの一撃に近い速度で俺の首目掛けて薙いできた。


 刃先を止めるか?

 それとも、即、滅するのが得策か?

 この一瞬の間に、あらゆる選択肢が脳裏を駆け巡る。

 注目が集まっているのなら、それを利用するのが最善手だと、俺は槍の懐に飛び込み、その腕を吹き飛ばすことを選んだ。


 大地を蹴り上げ、ブロアーネの右上腕に拳を当てると、腕が一瞬にして肉片へと姿を変えた。


「――ほう、痛がる演技はしないんだな」


 ブロアーネは吹き飛んだ片腕を押さえ、馬上で鼻の穴を大きく膨らませて息を荒くするだけで、一切声を上げない。

 砕け散った肉塊に血液はなく、バラバラになった肉片は蠢きながらブロアーネの馬の足を登ってゆき、本人の足から吸収されていく。

 ネイヤ並の太刀筋の男を倒したというのに、また復活されたとなると、カサンドラ兵の士気が下がるのも得心がいく。きっと、甚大な被害を出して、倒したに違いない。


 士気を上げるには今しかない、と俺は声を張り上げた。


「このブロアーネは、不死者じゃない。魔法によって作られた、ただの人形だ。今からこいつを壊すから、よく見ておけ」


 敵味方関係なく、俺とブロアーネに注目している者は多い。

 連中の戦闘が本格的に再開される前に決着をつけようと、俺はブロアーネの足を掴んで馬上から引きずり下ろし、その上半身に渾身の一撃を放った。


 大地が陥没するほどの衝撃で砕け散った上半身。

 それはすぐさま銀色の液体に変化し、同じように下半身も服と鎧だけを残して、その形を銀色の液体へと姿を変えた。


「今回は……蝶形骨が核か」


 魔法式が書かれた、蝶の形をした骨がいくつかに砕け、地面に残っていた。

 だが、それもすぐに魔力を失い、魔法式が消えてゆく。

 さっきは、静かになっていったと感じるだけだった戦場から、無音になったのかと錯覚するほど音が失われる。


 見渡す限りの兵が、手を止め、こちらを見つめていた。

 レイン兵も、カサンドラ兵も、等しく事の顛末を見届け、そして、その結果に呆然としていた。


 だが、その均衡もすぐに崩れ去る。


「おおおおおッ! あのブロアーネを討ち取りやがったぞぉおおおッ」


 どこの誰が上げた声かはわからない。

 しかし、その声をきっかけとして、カサンドラ兵に勢いがつき、レイン兵は将軍がただの人形だったという事実と、その人形が敗れたという結果に狼狽という答えを見せた。

 完全に戦意を喪失したレイン兵は、敗走しだす者が続出し、他の人形と思われる騎士も、同様に敗走するという形で終わりを迎えた。




       ◆  ◇  ◆


「流石はウォルス様です。ここまでカサンドラ兵の心を鷲掴みにするとは」とネイヤが握りしめた拳を見つめながら言い、「私は感銘を受けるとともに、己の未熟さを痛感させられました。武器を使わず、肉体一つで、ここまでのことができるのですね」とキラキラした瞳を俺へと向けてきた。


 俺たち四人に用意された天幕の中で、一人、テンションが高いネイヤ。

 間違った道へ進みそうだが、俺はあえて返事をしないことにした。


 俺の肉体は鍛錬の積み重ねだけでなく、魔力を全身に効率よく循環させることで、サイ一族の中でも突出した力を得ている。これは魔法師だった俺だからこそできることで、魔法師嫌いのネイヤでは、進みたくとも進めない道でもある。


 天幕の外では、戦場から帰ってきた兵たちが、ブロアーネを倒した英雄が誰なのか、という話題で盛り上がり、今も英雄捜しを続けていて騒がしい。


「ブロアーネの首を取ってくるようには言ったけれど、ここまで目立つ手段を取るなんて、私の認識が甘かったようね」


 セレティアは、フィーエルが入れた茶を飲みながら、軽く息を吐いた。


「仕方がないだろう。あの人形には、剣による攻撃よりも、素手による面攻撃のほうが効果的だったんだよ」


「そのことじゃないわよ。ブロアーネを倒す時に、より目立つように声を上げたらしいじゃない」


「あれはだな、カサンドラ兵の士気を上げるために、やらざるを得ないと判断しただけであってだな……」


 セレティアは空になったカップを、木樽をひっくり返しただけの仮設テーブルに置くと、俺の目の前に詰め寄ってきた。


「そう、それよ」とセレティアは鼻息を荒くすると、「程度というものがあるのよ、ウォルス。わたしたちがここから動けなくなったのも、やりすぎたせいなんだから。カサンドラの英雄になってどうするのよ。フィーエルも、そう思うでしょ?」と突然振り返り、フィーエルへと問いかけた。


 フィーエルは、少し首をかしげると、「そうですね、ウォルスさんは後先考えず、全力でするところがあるようですから。カサンドラ兵も、鬼神が現れたと言い出す者も現れるくらい浮かれてましたし。でも、そこがウォルスさんのいいところでもあると思います」と笑顔で答える。


 その返答に、セレティアは頬を引き攣らせる。


「クロリナ教において、鬼神だなんて、わたしたちが邪教になっちゃうじゃない。確かに、とんでもなく強いのは、わたしも認めるところではあるけれど」とセレティアの態度が軟化した。


「……ウォルス、頬が緩んでるわよ」


「……緩んでないから。それより、セレティアこそどうしたんだ、少し赤くないか?」


 セレティアは悔しそうに頬を膨らませ、顔を赤くする。


「そりゃあ、わたしとしても、きっちり約束を守ってくれたことに対しては、評価せざるを得ないし、文句なんてないのよ……ただ、ユーレシアの英雄じゃなく、カサンドラの英雄になられても困るというか……」とセレティアの視線が泳ぎだす。そして、その視線がネイヤと交錯する。


「……わかってるわよ」とセレティアは独り言のように言うと、俺の肩に手を置いた。


「何はともあれ、よくやったわ、ウォルス」


 これは何かの儀式なのか?

 以前にもあったような気がするが……思い出せない。

 そして、なぜか満足げなネイヤも気になる。


「ところで、同盟に関する契約は上手くいったのか?」


「それなら、滞りなく完了したわ。期間の定めはなく、一度だけ力を貸してもらえるようにね」


「一度だけか……変わった契約だな」


「わたしたちが貸すのも、今回だけということにしたから、それは仕方ないわね」とセレティアは言う。だが、その表情は言葉とは違って嬉しそうなものだ。


「ただし、同盟を結んだということを、大々的に広めてもらうことにしたわ。これでユーレシアの名も広まるでしょうし、抑止力になるでしょう」


「そういうことか」


 ユーレシア王国のような超弱小国は、普通の国からすれば取るに足らない国だ。

 侵攻しようと土地があるわけでもなく、旨味はないだろう。

 実際、戦争になることも考えづらく、どこまでカサンドラ王国が手を貸すかもわからない。それなら軍事力そのものに期待するより、宣伝と、今後の抑止力のために使った、と捉えるほうが正しいだろう。


 仮に、カーリッツ王国に、俺たちとフィーエルがいることが漏れると、何をしてくるかわからない。何カ国も跨いでいるため、直接は無理でも、周辺国に圧力をかけてくるかもしれない。だが、カーリッツ王国にとって、カサンドラ王国は貿易でもそれなりの相手ではあるため、ユーレシア王国に迂闊に手を出せなくなることも考えられる。周辺国からしてもそうだ。


「上手くやったな」


「当然でしょう」


 セレティアはいつになく、満足げな表情になる。

 だがここで、俺は世話になったあいつの顔がないことに気づいた。


「それはそうと、トマスはどうしたんだ」


 俺の問いに、三人が顔を見合わせ、三人とも知らないといった表情を作る。

 すると、丁度そこに狙っていたかのように、ムラージが天幕の隙間から顔を覗かせた。


「ああ、お前たちを運んできたっていうあの商人なら、お前たちにヨロシク伝えておいてくれ、と言ってたぞ」


 戻ってこない俺たちに関わって面倒事に巻き込まれるより、先にここを離脱することを選んだ、と俺は受け取った。

 商人なら利益優先、賢明な判断だろう。

 護衛を雇うために町まで行かないとダメだろうに、途中で放棄せざるをえないような形になったのだけが心残りでもある。


「――――で、いつからそこにいたんだ」


「偶々だって。それより、次の行き先は決まってるのか?」


「いや、まだ決めてないが」


 俺の答えに、やけに嬉しそうにするムラージ。

 胸元から折りたたまれた紙を出すと、それをネイヤへと手渡した。


「邪教に関係あるかはわからないが、カサンドラでも、教会の力が弱くなってるって地域があってな。ちょいと辺境なんだが、何かの役に立ててくれ」


「それはありがたいな」


 俺の意見にセレティアも首肯してみせる。


「そうね、思っていたより、邪教の規模は大きいようだし、布教している人物、それにあの人形のことについても、調べないといけないことは山のようにあるから助かるわ」とセレティアがその紙を広げ、目を通してゆく。


「あとは、兵が落ち着くまで、どのくらいかかるかだな。今、外に出ると、俺の顔を覚えてる奴がいるかもしれないからな」


 俺が言った言葉を否定するように、ムラージは首を横に振り、一度天幕の外に首を出して、何かを確認した。


「それなら大丈夫だと思うぞ。もう粗方、向こうに行っちまってる」


 確かに、さっきまで騒がしかった声が収まり、今はすっかり静かになっている。


「どういうことだ? あの様子じゃ収まるのは、当分先になりそうだったんだが」


「だからさ、さっきトマスって商人がヨロシク言ってたと伝えたとこだろ。あの商人にお前たちのことを教えたら、ここへ英雄を運んできたのは自分だと、吹聴して回るんだと張り切ってたからな。英雄にあやかったブレスレットやら何やら、在庫一掃するって鼻息荒くしてな」


 先に離脱した、と考えていた自分が少し情けない。だが、それ以上に商人魂を見せつけられたことに、思わず笑みが漏れた。


「ムラージ、悪いんだが、トマスに近くの町まで護衛をつけてやってもらえるか」


「そのくらいなら構わないぜ。外にブラッサンド団長が用意した馬車もある。期待以上の結果を出してくれた礼だそうだ」


「何から何まですまないな」


 ムラージは一瞬キョトンとした表情を見せたあと、俺の背中を一度強く叩いた。


「世話になったのは、こっちのほうだっつうの。本当に助かったぜ。邪教の件もカサンドラに関わることだ、よろしく頼む」


「ああ、任せておけ」


 俺はムラージと固い握手を交わし、戦場をあとにした。

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