第六話

 一宮(梵勝)、二宮(梵仲)兄弟の下向を得た後南朝勢力は南山に旗を揚げた。二宮の下向を得たことは橘将監にとっては望外の出来事であり、将監は河野郷金剛寺をその在所として奉ることとした。

 河野郷は伯母谷おばたにより更に北に位置している。ここを二宮の拠点としたわけだから、上北山行宮かみきたやまあんぐうは北から順に河野郷金剛寺、伯母谷といった外郭そとぐるわを構えることとなった。上北山行宮は、広域かつ堅固な防御を備えることとなったわけである。

 川上村河野郷におわす二宮に付けられたのは宇野大和守、次郎三郎、智荘厳院宝順といった人々であり、同じく川上村の北塩谷には大西助五郎を配置し、伯母谷には橘将監が全体の統率者として、そして上北山行宮におわす一宮には井口太郎左衛門尉、同三郎左衛門尉が祇候するというのが後南朝の陣容であった。

 旗揚げと同時に一宮が天皇に即位、二宮に征夷大将軍位が宣下され、それぞれ自天王、忠義王を号したとする伝承がある。

 私には無論これら伝承を否定できるほどの知見はなくその資格を持たないが、「自天王」の呼称には違和感を覚えざるを得ない。

おのずから天王を称する」

 この語感を禁じ得ないからである。

 博識の読者諸氏にとっては今さら説明不要であろうが、「皇」の字を避けて、格下である「王」が付されている点から考えても、これが天子の諡号ではないことは明らかだ。

「自天」を諱として考えた場合はどうか。

 その場合、「よりたか」といった読み方が考えられなくもないが、この時代に「天」を諱として使用した用例が管見のうちになく、なにやらこじつけくさい。

 私には「自天王」という呼称は、北朝秩序に列する何者かが、皇位に就いた一宮の権威を貶めるため、後世になって敢えて付した卑称のように思われてならないのである。

 余談はこれくらいにしておいて、旗揚げした後南朝勢力に対する赤松牢人衆三十余名は、その鉄壁の防御を目の前にしながら大和国宇智郡に逗留すること既に数日。

 かかる防御の堅固に接して逡巡したのがひとつ、いまひとつは、同心衆だったはずの中村宗通及び同兵庫助がいつまで経っても宇智郡の集合場所に姿を現さなかったためであった。

「両名は恐れをなして逐電したものと思われます」

 中村弾正にそう進言する者があった。無理もないと思う。敵中深く潜入して大将頸を討ち取るだけでも容易ではないのに、さらに神璽を見つけ出し持って帰ってこいというのだから並大抵の困難ではない。事実中村弾正とて成功に自信を持てず、一度は辞退した経緯があったではないか。脱盟者が出ないと信じる方がどうかしている。

「追っ手を差し向けますか」

 そんなことをいう者もあったが弾正は即座に却下した。

「無用である。もし我等が御公儀(幕府)や朝廷(北朝)に対して謀叛を企てているというなら、露見を防ぐためにも脱盟者は絶対に殺さねばならぬところだが、南朝の賊徒に我等の企てを通報したところで宗通並びに兵庫助が得られる利益はなきに等しい。彼等は単に、達成困難な任務に恐れをなして逐電しただけである。南山に駆け込んだとは万に一つも考えられぬ。

 加えてただでさえ戦力が不足している折節、更に人を割いて追っ手を差し向けても利はなく、万が一返り討ちに遭っても補充はない。またいたずらに日数を延引せしめるのみであって無益であるから、追っ手の儀は重ねて無用と申し付ける」

 そういって受け容れなかった。

 中村弾正は自らの被官人である小谷こたに與次よじに剃刀の準備を命じた。訝しんだ與次が訊ねると

「剃髪し僧形となって南山の人々に偽りの恭順を申し入れるために」

 と言った。

 南山を攻め落とすに当たり、正面から攻め入って事を成し遂げるのは不可能であった。赤松牢人衆はそのため、後南朝に対し降伏、恭順を申し入れ、味方を装い潜入したうえで事をなそうと考えていた。

 しかし敵が降伏を受け容れるかどうかはまったくの未知数であった。もし考えもなく全員が打ち揃って出頭したとして、それこそ脱盟者から企てが露見でもしておれば全滅の憂き目を見かねず、それを防ぐためにまずは偽装降伏の使者を送り込むことは以前から申し合わされていたことではあったが、それにしても赤松牢人衆を束ねる中村弾正自ら出向くとは……。

「殿は我等同心衆の総大将たる御身。総大将が単騎斬り込んで勝ったためしなど古今聞きませぬ。その任、それがしにお命じ下さい」

 與次なりの忠節から出た申し出ではあったが、難色を示す弾正。

 敵に恭順を信じ込ませるためには最も信頼できる使者を送り込む必要があった。中村弾正にとってその任に堪えるのは自分自身以外になかった。

 あるじの身を案ずる與次の申し出はありがたいものではあったが、事を成就させるという観点からすれば不安要素でしかない。

 そんなことを考えながら黙り込む中村弾正の胸の裡を見透かしたかのように、與次は続けた。

「殿は任の達成など度外視し、御公儀に忠節を示すことこそが目的だと申された。その殿が今になって事の成否にこだわって、忠節を示すより前に犬死にするかもしれない使者の任に自ら名乗り出るなど木っ端武者同然の心懸けであり、およそ御大将の振る舞いとも思われぬ。

 まずは某を使者に立てられよ。もし某が帰らず殺されたとあれば、その時になって改めて使者を送り、重ねて降伏、恭順を申し出れば良いだけのこと。

 某が死んだ後は殿が使者に立つなり、誰か他の者を立てるなり、ご自由になされたが良い。

 今回は是が非でもこの小谷與次に申し付けられたし」

 自らの被官人から木っ端武者呼ばわりされた中村弾正は苦笑いするしかなく、與次が持参した剃刀でかえって彼の頭を剃り、その忠節に因んで「忠阿弥ちゅうあみ」の法号を与えたうえで南山に派遣したのであった。

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